ブライアン・ファルケンボーグ

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「打てるか!!!」
ファルケンボーグの攻略法を質問された事 について、山崎武司
馬原を出せ!!!」
2011年日本シリーズ第4戦でファルケンボーグが8・9回続投登板した事 について、中日ファン
「見たかこれが決意のコンバート!!!」
2012年に米野智人が逆転満塁ホームランを放った際の実況 について、斉藤一美
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ブライアン・トーマス・ファルケンボーグ(Brian Thomas Falkenborg 1978年1月18日 - )は、屈強な男たちが固い肌色の棒を手で握りしめ力強く速く振り、白いものを柵より遠くに飛ばして点を入れるスポーツチーム東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するアメリカカリフォルニア州出身のプロ野球選手の皮を被ったチートマシン。ポジションは投手。72通りの愛称を持つと言われているが、特に使われるのは先生ファルキー世界のチートソフテンバーグ鬼畜ンボーグファル川ボー児などなど数え切れない。

決してファルケンボー(余談だが過去本当にARAKAKIをやったのは2回)ではない。

人物[編集]

アメリカカリフォルニア産のサイボーグ。身長200cm(1.30hyde)、体重106kg。球種はストレート、フォーク、カーブの三種類のみであるが、大柄な身体から繰り出される球は最速157km/hにも達する。鋭く落ちる140km/h台のSFFも強力であり、相手バッターを次々と瞬殺する。おかげで三者三振も日常茶飯事、その上全くと言っていいほど無駄な四死球を出さない抜群の制球力を持つ(しかも一見速度が出なさそうな独特のフォームで投げる)。これで2009年以来シーズン防御率1点台と言うのだからまさしく(スタミナ以外は)存在自体がチートである。

ノっている時には打たれる気配すら無く、時折クローザーとして活躍する事も多い。その為(ぅまーが9回に時折大炎上してサヨナラ負けする事がよくある事から、ホークスファンの胃を救うと言う意味でも)ホークスファンからはロドニー・ペドラザ以来の外国人助っ人[1]・・・を通り越して、現人ネ申・救世主として崇められている。

性格は温厚かつ愛嬌のある顔をしている。森福ファンクラブの名誉会長でもあり、アイドルグループSBM48」のBとして、ギター・ボーカルを担当。それどころかダンスまでこなし、肘を怪我しても無尽蔵な気力で踊り続ける。

過去の経歴や魔法の様な球を投げるリリーフピッチャー、温厚な性格などの共通点から、阪神の魔術使いの再来という声もある。

来日前の経歴[編集]

父親は警察官で、母親は市役所職員。高校時代には野球選手としてもバスケプレイヤーとしても注目され、オクラホマ州立大学から奨学金の内定を得ていたほどの秀才であったが、野球の道を選んで1996年にプロデビュー[2]。日本来日以前は普通の野球選手でメジャーリーグ(ボストン・レッドソックスロサンゼルス・ドジャース)にも登板経験があったが、レッドソックス所属時代に肘の靱帯を断裂してしまった事が響き、3Aとメジャーを行き来する事が多かった。

そんな2008年には成績不振でメジャーをクビになってしまう。とは言え、3Aと言えどもかの阪神の魔術使いヤクルトの魔将ですらクビになる魔窟であり、驚く事でもないのである。

この後パ・リーグはおろか、日本球界を震え上がらせるサイボーグのチートマシンが生まれようとは、知る由も無かった・・・

来日、そしてチートマシンの覚醒[編集]

この当時、ホークスは禿が球団を乗っ取ったときから続く秋の風物詩の呪いに悩まされていた。特に長年中継ぎを張っていた店長らの衰えによる中継ぎ投手の決壊・大炎上によるダメージが大きく、2008年にはリーグ最下位とファンにすらそっぽを向かれかけていた時代であり、ホークス投手陣とホークスファンはまさに世紀末状態であった。そこで、監督が世界のホームラン王から秋山(の澪)監督に変わった2008年オフに東北の毛マーク球団との争奪戦で毟り取ったのが先生である[3]。これにより日本球界デビューが決定(代わりに毛が獲ったのは地震でとっとと帰国したフアン・モーリヨ)した。

2009年[編集]

その半年後の2009年シーズン開幕より、中継ぎとして点差が大きく開いた試合でテスト登板させた結果いきなり完璧なスコアを出し始め、3ヶ月間16試合連続で自責点なしと言うチートっぷりを発揮し、早々にチートマシンとしてレギュラー昇格を果たす。来日前の成績とはえらい違いである(一説ではホークス側が来日時、極秘にサイボーグ化改造を行なったとの噂が実しやかに囁かれているが真偽は定かではない。しかしフォークを来日後に取得していたりする)。 これが後の鉄壁アイドルグループ「SBM48」の原型となり、絶望の8回として他球団のバッターを恐怖に陥れた。

ところが流石にムリして使い込んでしまった為調子を落としてしまった(それでも負け無しと来るのだから恐ろしい)。結局アメリカへ修理の為に帰国したが、同時に炎上に定評があるぅまーが大炎上、チームもお察し下さいとなってしまった。

2010年[編集]

2010年シーズンには本格的にチートマシンとして稼動し始め、9試合連続三者凡退で実質完全試合を達成、60試合に登板して防御率1.02のみならず、奪三振率12.05、WHIP0.76、DIPS0.83、K/BB10.38と言うとバケモノ染みた成績を残し、攝津とともに最優秀中継ぎ投手のタイトルを分け合った。この年にはオールスターにも投入される程活躍するも、秋の風物詩でお菓子屋さんにライブを粉々にされ大炎上してしまった。

2011年[編集]

2011年シーズンも普通に・・・行く筈だったが、開幕直後にぅまーが不調で二軍落ちしたためクローザーに転向・・・するも、やはりホークス名物の酷使が祟ったのか、前半戦に故障を頻発させた上、交流戦で2試合連続HRを打たれてサヨナラも許すと言うらしくない内容であった。が、7月以降にはやっぱりいつもの先生へ元通り!その変わり様はネコでもカブっていたのかと思わせるほどだった。時を同じくしてぅまーが筋断裂で離脱すると再び絶望の9回として君臨、前半戦とは違い登板試合全試合無失点とか言う鬼畜ぶりを魅せ付けた。

伝説の日本シリーズ[編集]

そして魔の秋の風物詩を乗り越え迎えた日本シリーズで先生はいつも通り8回の繋ぎとして投入された・・・が!!! なんと炎上ネ申ぅまーが2晩でやらかしてくれました!

この緊急事態に秋山の澪たんが下した決断は、先生のクローザー投入であった。普通に第3戦を何事も無くシメたが、後に森福の11球を含め語り継がれる伝説の第4戦で澪たんはとんでもない行動をやらかす。9回はぅまーが出て来るとホークスファンも中日ファンも思っていた。何せ4連投である。そんなはずは・・・

ところが・・・マウンドに現れたのは先生、そして中日ファンは刹那の混乱の末、そんなの嘘だッ!!!と叫びたくなるような現実を悟った。監督は中日ファンの淡い希望を粉々に砕くかのように、今まで禁忌とされて来た回跨ぎを(萌え萌えキュンを使って)敢行したのであった。どうなったかはお察し下さい。まさに外道!!! 勿論中日ファンから「卑怯だ!」「ぅまーを出せ!」とブーイングが上がったのは言うまでも無い。

そして三勝三敗で迎えた最終第7戦、3-0で勝ち越しの場面で杉内から8回に先生へ交代、当然何事も無くシメ、次こそはぅまーが出るはずだ!・・・と思っていた中日ファンであったが、再びあの絶望が現実となってしまった。再び先生2連投、中日ファンをここまで苛めるとは澪たんも鬼である。

だが、9回初っ端、1番手新セ界の神ホモ井端弘和の初球打ちの打球が先生の右肘に直撃、撃墜されるどんでん返しが起こってしまう[4]。願ってもいなかったアクシデントに中日ファンはぅまー登板と言う微かな期待を抱くも、先生撃墜にキレた森福・攝津によって中日打線は沈黙、ソフトバンクは日本一となった。

なお、撃墜された際に相当痛がっていた様子が映し出されていたが、優勝が決定した際には何事も無かったかのようにグラウンドへ飛び出して行った。まさにサイボーグである。

なお余談であるが、先生のピッチングを目の当たりにし戦慄した日本のイケメンチートは、そのイケメンボディを捨て肉体改造し、増量させる事を決意する事に。

2012年[編集]

この年キャンプ早々、度重なる炎上癖と故障に悩まされたぅまーが大規模改造のために(誰も気にしないが)離脱する事が決定、正式にセットアッパーから絶望の9回クローザーへ転向した。ところが昨年の日本シリーズで撃墜された先生の様子が心配された。

が…オープン戦で151㎞/hの球を投げて普通に三者三振当たり前と言う鬼畜っぷりを見せるなど何てことはなかったのであった。しかもオープン戦とは言え来日初の先発までこなし、2回をキッチリ無失点でシメるのだからやっぱりチートである。 うん、今年も安泰かと思われていた

・・・が・・・

去年の後半戦からフル回転させて、あの風物詩の呪いに抗い、MVP寸前まで行った代償は大きかった。やはり去年と同じく不調が出るようになり、4月26日の埼玉の猫戦では、2アウト満塁でおかわりを見逃した結果、西武のメシに逆転グランドスラムを喰らってしまう(リードがちと悪かったのも遠因だったのだが…なお、ARAKAKIが感染したとも)。

しかし、ぅまーがドック入りしている今、ファルキー離脱は致命的だったためか、休ませりゃいいものをお約束の酷使でファルキーを投げさせた(しかしピンチを招くも無失点)。それが祟ってしまったのか、6月末を境に表舞台から消え消息不明となっていたが、最終決戦へ向けた最終兵器として目下改造されており、9月に投入された・・・

が、やはり風物詩の呪いには抗えず、炎上寸前まで行ってしまい鷹民を落胆させる(そのせいかチョメが活躍するもそれ以上に炎上してしまう。尤も、もとから先発組がお察し下さいだったためか、どのみち話にもならなかったのだが・・・)。

なお余談ではあるが、日本のイケメンチートも5月までに本調子を取り戻せずというフラグを立てており、「日本球界のWチートがほぼ揃って消息不明になり、共に改造を経て9月に投入」というどっかでタイマンで決闘でもしたのかってぐらいの足並みの揃いっぷりを見せている。が、やはり共倒れになってしまう。尤も彼はオーバーワークでの自滅が原因だが。

2013年[編集]

この年はぅまーが戻って来るから楽に8回を投げられるデェス・・・と思ったら、そのぅまーは何とオフに大阪から脱出したがっていた(先発の)畜生予備軍との交換でお膝元でも影の薄い球団に攫われて行った事から、オカジ2匹目のドジョウとムル彦との3枚看板でまたしても9回を投げる事に。

しかし、やはり歳のせいなのかキャンプで超絶にナマけていたのか全盛期の勢いは無くなるも、安定の鬼っぷりを見せる・・・が、開幕早々そのドジョウが2軍落ちしてしまった為、去年同様酷使が心配されていた。

そしてやはりナマけていた上に酷使されたお陰で後半になり炎上多発。連敗して最後の最後で西武にブチ抜かれ4位転落の原因を作ってしまった事で、お祓い箱となってしまった・・・

2014年[編集]

前年に退団した彼は、楽天が6年越しの奪還獲得を実現。ワシにシゴかれる事になる。


阪神の魔法使いとの関連性と魔法使い疑惑[編集]

冒頭でも説明したが、阪神の魔法使いことジェフ・ウィリアムスとは、「外国人助っ人」、「メジャーの3Aから日本球界へ来た」事、「魔球使いのリリーフピッチャー」、「勝利の方程式の一角」(JFKとSBM)、「セットアッパー・クローザーとしても優秀」と言う共通点がある。

そしてこの共通点に加え、ジェフ以上の恐ろしい球を投げる為、ジェフ同様先生も魔術使いの能力者と言う疑惑が掛けられている。

その片鱗として…

  • 5球投げただけで肩が出来る。
  • おなかをポンポン叩いて投げる謎のクセ(おなかポンポン投法)
  • 一見するとカーブなのにバットを振って行く打者
  • 一見球の速度が出なさそうな独特なフォームで投げる

と言う点が挙げられる。そして先生自体「自分は味方に対して投げたくないんだ。紅白戦で投げる気はない」と発言しているが、実はソフトバンク首脳陣が、極秘裏に先生を魔法使いとして教育した為、ほかのチームメイトには見せられないよ!と言う方針により、身内にすら魔法使いであると言うことを隠している可能性があるのかもしれない。ジェフとある程度似ているのも、ジェフをベンチマークとしたからと言う可能性もある。

ところが、毛の球団のマーが先生がSFFについて語った雑誌を見て自己流SFFを会得、2011年に猛威を振るった事を考えれば、簡単にマネできる球=魔法ではないのでは?と言う意見も存在する。

オフに退団し、ワシに育てられることになった。

[編集]

  1. ^ ホークスでは助っ人外国人はあまり活躍出来ない傾向にあるが、ペドラザ、ズレータ、ペーニャのような掘り出し物をたまに連れて来る事がある。
  2. ^ の当時は今と比べ物にならないほど細かった
  3. ^ 2007年にホークスはジェレミー・パウエルとの契約を巡ってオリックスとケンカになっており、「他球団が交渉中の外国人選手には口を出さない」という紳士協定が成立した矢先の出来事だったので問題となったが、楽天は代理人を通じて交渉していたのに対し、禿側は本人にアタックを掛けた(この争奪戦で澪たんが萌え萌えキュンを使って先生を釣ったのではと言う噂が実しやかに囁かれている)。楽天側いわく「ある日を境にファルケンボーグの代理人と連絡がつかなくなったと思ったらホークスに取られていたでござる」とのこと。
  4. ^ この一連の流れで2ちゃんねるの野球関連鯖が吹き飛び、なんJ板が一時消滅してしまった。


関連項目[編集]


ExSport.png この項目「ブライアン・ファルケンボーグ」は、エキサイト不足のようだね。
さあ、君もこの記事に胸が高まるような文付け足してみよう。レッツトライ! (Portal:スタブ)