ブライアン・シコースキー

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ブライアン・シコースキーBrian Patrick Sikorski , 1974年7月27日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州出身の屈強な男たちが固い肌色の棒を手で握りしめ力強く速く振り、白いものを柵より遠くに飛ばして点を入れるスポーツを生業とする旅芸人である。現在は所沢に本拠地を置くライオンの芸で有名なサーカスと行動を共にしている。

概要[編集]

元々は生まれの地であるアメリカでパフォーマンスをし生計を立てていたが、2001年の中頃に千葉のお菓子屋さんの計らいで日本でも芸をしてみる事になった。最初の頃はまだ荒削りな芸風で受けも今ひとつだったが、シコースキーの芸に光る物を感じたお菓子屋さんのもとで2年半の修行を積み、ついには大トリのひとつ前を任されるまでの成長を見せる。

ところが千葉ロッテマリーンズのマネージャーがいつも笑顔のアメリカ人に変わり、ホットガイ以外はいらないと芸風の違いを理由にクビになってしまう。そこでたまたま前座が出来る適当な芸人を探していたウサギ小屋の軒先を借り、シコースキーはここでも前座を務める一方自らの芸を磨いていった。

しかし、2年経ったある日ウサギ小屋のマネージャーが興行成績が芳しくない事を理由に解任されてしまい、そのとばっちりを受けてまたしてもクビになってしまう。一旦はできて1年経ったばかりのなんでも屋と行動をともにする事を決めたが、旅立ってから4年以上になる母国に残して来た家族のことが気がかりになり帰国。せっかく増えて来た彼のファンは、もうその姿を日本で見られないのかと残念に思ったとか。

…が、彼は帰って来た。しばらくの間からだにやさしい飲み物屋の軒先を借りて自らの芸がまだ日本で通用することを確認したのち、自分を見いだしてくれた千葉のお菓子屋さんに恩返しをするべく復帰。2年間に渡り以前のように前座を務め、復帰2年目の途中にはとうとう大トリまで任されるほどの大活躍。日本のファンにも愛されるようになり初めて日本の芸人が一堂に会する大会にも出場し、大舞台で磨きをかけたパフォーマンスを披露した。

こうして日本では知らない人は居ないほどの芸人になった彼だが、皮肉な事にお菓子屋さんではギャラを払えなくなってしまい仕方なく退団。2010年からは所沢を拠点とするサーカス団の一員となり、シコースキーの旅はまだまだ続くのであった。

芸風[編集]

特に登場時、袖から舞台に出て準備を終えるまでの仕草がコミカルで人気。

  • 袖から全力疾走で舞台の真ん中めがけて猛ダッシュ
  • 途中に白い線が引いてあるので踏まないように小走りで歩調を合わせ、ピョンと線を飛び越える
  • 舞台真ん中へ到着すると、まず演技に必要な白い粉を手のひらと肘にたっぷりと付け、パフォーマンスが成功するよう願いを込めながら右手をペロリと1回舐める
  • 最後に、右腕を前へ後ろへぐるぐると回し準備完了。

まだパフォーマンスを始める前だが、この一連の動作だけで観客からは大喝采を浴びる。芸にうるさく目の肥えた関西人でさえ歓声を上げるほどであり、この動作は彼の代名詞であると言える。

シコースキーの芸風は恵まれた体格を活かし、体重を乗せて思い切り白い球を相手にめがけて投げつける事で北の方からやって来た勇者と戦いやっつける、いわば格闘技のようなものだがたまに弾き返されたりして失敗する。とはいえ、こうした豪快な芸風と前述のコミカルな動作とのギャップが大いに受け、日本で活躍する外国出身の芸人の中ではトップクラスの人気と実力の持ち主である。

その他[編集]

  • やさしい。日本語に堪能ではないため通訳を連れているが、あるとき通訳がぼろぼろの靴を履いていたのを先輩に咎められている光景を目にしたシコースキーは、翌日彼に新しい靴を買ってあげた。
  • 人の悪口も言わない。ただし、ウサギ小屋に居た頃に同じ国から来たダメ芸人がクビになった直後、家族を連れて観光していたところを目撃された時は「外国人の恥だ」と斬り捨てるなど、やさしさの一方で厳しさも持ち合わせている
Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

関連項目[編集]