フリードリヒ2世

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「フリードリヒ2世 (プロイセン王)」の項目を執筆しています。
大王の権化

フリードリヒ2世は、かの女帝マリア・テレジアのライバルキャラに位置するプロイセンの王様である。しかし己がパーフェクトなライバルキャラたらしめんことを意識しすぎたが故に事態を引っ張りすぎ、最後の最後でマリア・テレジアに勝ちを譲るつもりが、ついうっかりそのまま勝ってしまうといったドジな一面ももつ愛嬌ある啓蒙専制君主である。そのため周りの諸侯・君主たちからは18世紀ヨーロッパきってのKYキャラとして認識されていたが、本人は「サンスーシの哲人」を自称していた。また、乙女系男子・文化系男子・母親似・女嫌い・猫背・目が大きいなどの萌えステータスも兼ね備えており、当時の民衆と後のうふふな歴史マニアたちからは絶大な支持を得ている。また、子供たちの人気者じゃがいぬくんの前世に最も近いとされる。

幼少期[編集]

好きなものをなにもかも取り上げられて「勉強しろ!」と親父フリードリヒ・ヴィルヘルム1世にどやされ続けながらも、こっそり演奏会を催したり哲学の本を盗み見したりしては親父にまたどやされ、というストレスフルでバイオレンスでスリリングな毎日を送った。彼は哲学書を専らベッドの下に隠しており、やはり掃除係が見つけてしまうことがあったが、彼が思春期であることを加味して、掃除係は見て見ぬふりを決め込んでいてくれた。彼の戦場におけるサバイバル精神はこの幼年期の開花したが、こっそり悪さをする快感や、杖で打たれてお仕置きされる快感、もといマゾなどには目覚めておらず、根本的な性癖はなんら普通といえる。フルートと本が好きだったが、姉ヴィルヘルミーネに勧められたお花摘みなどには興味を示しておらず、幼年期は乙女というよりはインテリだったと思われる。

青年期[編集]

フリードリヒの父親の暴挙を見かねた部下以上恋人未満のカッテ少尉とともにイギリスに駆け落ちするもののあえなく見つかり、フリードリヒは「まだ18でしょうが!」とこっぴどく叱られた上に、だんだん父親のテンションがあがって話が飛躍し、突如結婚を強いられた。相手は美人で性格もいいエリーザベト・クリスティーネ。しかしここまでのくだりで大方予想がつくであろう。フリードリヒは女に興味がなかった。「まずは交換日記から・・・」という慌てふためくフリードリヒを無視して縁談は進み、結局、結婚から墓場まで二人は交換日記だけという、プラトニック・ラブを貫いた。一方カッテ少尉はナニを勘違いされたのかフリードリヒの父親に斬首の刑を処されてしまった。このときの父親の怒りは特に凄まじく、カッテを殺さないなら裁判所を潰すと上訴(脅迫)し、裁判員たちを震撼させた。これらが原因でフリードリヒは一時やさぐれ、嗅ぎタバコを覚える。

相変わらず読書とフルートには耽溺しており、趣味が高じて自分で本を書いたり作曲したりした。特に論文『反マキァベリ論』は長年ファンレターを送り続けていたヴォルテールに絶賛され激烈に調子づいた。この頃にホットチョコを卒業し、コーヒーを飲み始める。

オーストリア継承戦争[編集]

普段温厚なフリードリヒが若気の至り(28)で年下の女の子(23)にいじわるしてしまった戦い。ちなみにこのときいじめられた女の子がマリア・テレジアであった。テレジアの大事なシュレジエン地方を強奪したりといじわるが過ぎたのか、テレジアは怒り心頭。悔しさをバネにヨーゼフ2世を出産したが、このヨーゼフは将来フリードリヒ教(*後述)に入信する親不孝ぶりを発揮することとなる。

Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

七年戦争[編集]

男対女の意地とプライドをかけたデスマッチ。まずオーストリア継承戦争でシュレジエンをとられた恨みを晴らそうとマリア・テレジアがなりふり構わず味方を集める。集まったのはテレジアの盟友、フランス・ポンパドゥール夫人とロシア・エリザヴェータ女帝。3人は友情の証におそろいのペチコートパンツを穿いた。女子一人怒らせるともれなくそのお友達も一緒に復讐してくるというのは、規模が学校か国かという差はあれど、今も昔も変わらないことの良き例であるといえる。女子の団結力を見くびっていたフリードリヒはあれよあれよという間に窮地に立たされ、かなりの長期戦に及んだ。彼は肉親以外の女性とは手紙のやりとりしかしたことがなく、女性の生態を詳しく知らなかったのだ。途中、過度のホームシックを患い自害寸前まで追い込まれ、その結果フリードリヒの女嫌いは天にまで達し、ついでにエリザヴェータ女帝も天に召された。代わりに即位した男ピョートル3世がフリードリヒ教の狂信者であったために講和してしまったのと、フランスの金欠などにより、七年戦争は終結。プロイセンの勝ちで各国流れ解散となった。

晩年[編集]

とにかくジャガイモ「形が呪われてる」と民衆に嫌われたジャガイモさんを普及させようと精を出す。三食ジャガイモを食べ、民衆の前でジャガイモの料理教室を開き、ととにかく頑張った。一時は火あぶりの刑にまで処されたジャガイモだったが、フリードリヒのおかげで毎日釜ゆでの刑に処され、皮を剥がされ、切り刻まれる身分にまで昇格した。彼の功績を讃えて今日もフリードリヒの墓前にはジャガイモがそなえてあるほどだ。生前食べ過ぎて見るのも嫌かもしれないが、ジャガイモをこよなく愛するドイツ国民はそんなこと誰も気にしない。 几帳面な性格と女嫌いが祟って激務に晒された体は大変不調だったが長生きはした。この頃から愛犬グレイハウンドに「私と同じ墓に入ってくれ」というのが口癖になっていた。民衆からは「フリッツ親父」と親しまれていた。

趣味[編集]

哲学者たちと合コンを嗜むフリードリヒ大王

ロココ趣味

現代における高度な少女趣味で、リカちゃん人形よりもシルバニアファミリーを好んだと思われる。このロココ式の代表建築としてフリードリヒの建てたサンスーシ宮殿がある。このサンスーシ宮殿は、フリードリヒのロココ趣味・フランス萌え・憂鬱な毎日を見事に昇華した宮殿で、「サンスーシ」とはフランス語で「憂いの無い」を意味し、内装はちまちましたかわいい装飾に満ち溢れている。幼少期にお花摘みを敬遠したのも「摘んだらお花さんがかわいそうだもの」的な乙女的思考によるものだったのかもしれないと思わせるほどの女子力の高さである。

おフランス

軍事に関することを除いては夢見がちな少女であったフリードリヒは、フランスの都パリが実は排泄物まみれの町だなどとは思いもせず、ヴォルテールもやはり我が身がかわいいのでそれに関しては口を閉ざしていた。書物でフリードリヒがそれらしい記述を見つけてしまった時も、能弁なこの哲学者は「それは無意味なたわごとです。」と言葉巧みにごまかしていたという。

哲学

哲学者と合コンするのが好きで、青年期から目をつけていた啓蒙思想家ヴォルテールはサンスーシ宮殿にお持ち帰りし、10部屋しかない城の一部屋をまるまる貸し与え毎日おいしいご飯を用意した。しかしやや尽くし過ぎだったのか、重すぎる愛に耐えられずヴォルテールは3年あまりで宮殿を出て行ってしまった。ショックを受けたフリードリヒはヴォルテールの住んでいた部屋を模様替えして気を紛らわすなど、やはりどこか乙女であった。 しかしヴォルテールが帰国したのちも彼との文通は続いており、2度に渡り王様のポケットマネーをヴォルテールのためにはたいている。 一度目は彼の弾劾裁判(「カラス事件」)の支援、二度目は彼の裸像の製作費として献金した。なお、この裸像への献金は計画が難航している最中の支援であり、非常にKYな行動であった。ヴォルテールの裸が見たいあまりに判断力を欠いたと思われる。またこのヴォルテール裸像はフリードリヒの支援もあり無事完成し、現在はルーブル美術館で晒されている。

シスターコンプレックス

言うまでもなく女嫌いではあったが、極度のシスコンであり、ヴィルヘルミーネやアマーリエには特にお熱だった。しかし姉ヴィルヘルミーネも極度のブラコンであったため、お互いに愛ゆえの亀裂などは生じなかった。両者と懇意にしていたヴォルテールがプロイセンに滞在中、「もうやだこの姉弟」としきりにこぼしていたことは言うまでもない。

わんわん

フリードリヒは派であった。グレイハウンドしか飼わなかった。犬の趣味だけは平常の少女趣味から大きく逸脱しており、ここにキャラの統一性のほころびが見られる。が、それも彼が自分のキャラにこだわっている余裕も失くすほどに犬を愛していた証拠だろう。有名なエピソードとして、犬が自分のホットチョコをいつになくせがんできたためほだされて与えてしまったところ、ホットチョコに毒が混入されており愛犬たちは死んでしまった。本人は命拾いしたわけだが、ショックが大きすぎて回復には時間がかかったそう。ドイツではこの事件を「ホットチョコ事件」と呼び、犬の主人に対する篤き忠誠心の物語としている。

にゃんにゃん

部下とは非常にフレンドリーに接し、手負いの部下にハンカチを差し出したり、膝枕をしてもらったりしている。 また、フレンドリーな交流の一環なのか、朝食時にフリードリヒにハンカチを投げられた兵士はそのあと彼とアーン♥♥しなければならなかったという逸話さえある。


宗教[編集]

歴史上、彼の信者はあとを絶たない。入信するに際しての儀式などはなく、皆自発的に信者となる。 信者の特徴としては、男性であること・君主であること・過激派・個性派が多いことなどがあげられる。また当時アンチには女性が多く、最たるものは3枚のペチコート教団(教祖:マリア・テレジア)であった。しかし現代においては、腐女子のおかずの金字塔「Axis Powers HETALIA」に登場したことで、女性の信者も増えている。


著名な信者[編集]

信者御用達の等身大ポスター

ヨーゼフ2世

母を泣かせてまで入信を果たしたが、最終的には自国の繁栄を優先し対立したことから敬虔な信者であるとは言い難い。天地分割する名誉を賜る傍ら、バイエルン継承戦争(ジャガイモ戦争)において教祖フリードリヒに対して非常に反抗的な態度をとっており、そのことが彼の信者としての限界を露呈する結果となった。

ピョートル3世

ヨーゼフとは違い国の繁栄を捨ててフリードリヒに帰依した。また真性包茎であり、教祖をおかずにしてのアーン♥♥が原因で患った重度のによって天に召されたとされる。教祖のために生き、教祖のために死んだ、偉大な殉教者である。

ナポレオン・ボナパルト

教祖フリードリヒの墓参りをするためプロイセンに出兵(イエナの戦い)。「教祖亡き今でこそこうして墓前にて謁見できたが、生きているうちに会いたかった。しかし教祖がご健在ならここに足を踏み入れることすら叶わないだろう」と彼はアンビヴァレンツに苛まれた。

アドルフ・ヒトラー

ナチスの本拠地である自室の壁に等身大ポスターを張るほどの熱狂的信者。もっとも過激派であることは言うまでもない。


名言[編集]

「君主は国家第一の下僕」

   ~フリードリヒ2世について、フリードリヒ2世


この言葉は、ルイ14世の「チンは国家なり」という名言に対するレスポンスであり、

 チン=国家

 フリードリヒ2世=国家の下僕

 ∴フリードリヒ2世=チンの下僕

という意味であるとの解釈が一般的である。また、幼少よりその書物に親しんできた啓蒙思想家ヴォルテールの名著「ルイ14世の性器」に触発されての発言ではないかとの見解がなされている。その真意は定かではないが、一説では、この言葉は大王の比較的若輩の頃の著書「反マキァベリ論」で述べられたものであるということで、王という高い位の重圧に耐えかねた若きフリードリヒの、自己を蔑むことで精神の安定を図ろうとする一種の防衛機制であると言われている。



先代
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世
プロイセン国王
-
次代
フリードリヒ・ヴィルヘルム2世


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