フランシスコ・ザビエル
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
フランシスコ・ザビエル(腐乱死酢弧・挫鼻獲屡《サンフランシスコと間違えないように注意》 1506年4月7日 - 1552年12月2日)とは歴史上日本に初めて襲来した使徒である。さかさまにし、ひげの間にふたつ点を打つとペンギンに見える。
[編集] 概要
名前はザビエル城の近くで生まれたことから。松本城付近で生まれれば松本フランシスコに、グランエスタード城付近で生まれればグランエスタード・フランシスコになっていただろう。父はドン・ファン・デ・ヤスという名前で犯人はヤスと馬鹿にされていた。母はドーニャ・マリア・デ・アスピルクエタという名前でアスピル食えた?と馬鹿にされていた。髪型は自然に禿げたのではなく自ら剃刀を入れた。嗚呼…何とカッコ良いお方。
ヨーロッパから日本にやってきた使徒で、危険性は非常に高く扱いには注意が必要であり、油断しているとキリスト教を広めてくる。
当時、スペインやフランスなど欧米の列強国はキリスト教というカルト宗教を世界に広め、それによって現地民を洗脳させ、各地から財を搾り取る活動をしていた。ザビエルはその真意こそ不明だが、結局はそれらの国の片棒を担がされ、日本にその火を飛ばした格好となった。織田信長はそれに気づかず、キリスト教の布教を公認してしまったが、続く豊臣秀吉は禁教をして彼の呪いから逃れようとし、結局東南アジアのような植民地化からは逃れることが出来た。最も、日本がヨーロッパからすれば辺境であり、余り活用の価値が無いところであると思われたため、植民地化は免れたとする解釈も存在する。
最終的に徳川家康、徳川秀忠、徳川家光の手によってこのカルト宗教は明治時代まで日本から追放されるが、既に洗脳されてしまった者は彼らに反旗を翻し、天草・島原の乱という悲劇を引き起こしている。
ちなみにザビエル本人は日本での破壊活動をあらかた終えたのち、目標を新たに朝鮮半島に定めて進行したが、頭頂部のATフィールド(髪)が薄くなっているところからキムチのゼロ距離射撃を受け、謝罪と賠償を要求されながら殲滅された。なんとも悲しい最期である。
現在の日本が、バレンタインだのハロウィンだのクリスマスだのといった、キリスト教の「衣」をかぶっているものの、実質的には世界企業の商業活動に汚染されて原型を留めていない行事で埋め尽くされているのは、もちろんザビエル以来の布教と禁止の記憶がまだ記憶に新しく、キリスト教に染まることを嫌った日本人が明治以降も多くいて、彼らが「形だけ」の脱亜入欧を図ろうとしたからに他ならない。
[編集] 現在の主な出没スポット
- 小学校及び中学校の歴史の教科書。
- ユーモアたっぷりなイラストと、わかりやすい解説、インパクトの非常に強い名前は、特に小学生のハートをしっかりとつかみ、馬鹿な人にも名前を覚えてもらえる。そして、子供たちは知らないうちに影響を受けてしまうことが多い。
- クイズ番組
- 馬鹿でも名前のインパクトの強さから、知っている人が多い。

