ファジアーノ岡山FC

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ファジアーノ岡山FC(英:Fagiano Okayama Football Club)とは、岡山県に本拠地を置くプロサッカークラブである。略称はファジアーノ。2010年現在、J2に所属。ウィキペディアの当該記事に堂々と「スポーツ文化の根付かない岡山県」と書かれるほどスポーツとは縁遠い岡山県であえてプロサッカーチームを結成、艱難辛苦を経てようやくJ2にのし上がってきたまさに苦労の多いチームである。

チームキャッチフレーズは「子供達に夢を!」

そのためかどうかは知らないけれど、2009年栃木SCとの激烈な最下位争いに見事に勝利、凹者となる。つまり、J2最下位。岡山の子供達にサッカーチームとしてはこれ以上ない悪夢を見させる結果となった。あわせて、最下位を獲得したからこそ記事が作成されるのがアンサイクロペディアクオリティ。

チーム結成以前[編集]

ファジアーノの前身は1975年に結成された岡山県倉敷市にある川崎製鉄の水島製鉄所サッカー部・・・ではなく、そのOBチーム(実質的には引退選手と調整者によるセカンドチーム)「リバー・フリー・キッカーズ(River Free Kickers、略称:RFK)」である。なぜ、水島製鉄所のサッカー部が前身ではないかというと、そのサッカー部というのが実に強豪であったためというかなんというか・・・で、そのサッカー部は、1966年に結成された後、中国リーグで総合優勝を5回経験、その後、サンフレッチェ広島となる広島県の強豪マツダのサッカー部とバチバチ戦うほどの実力を持ち、まさに岡山県を代表するチームだった。1985年には全国地域リーグ決勝大会で2位になるなど、スポーツに縁遠い岡山県の中でも屈指の戦績を誇っており、1992年には、将来のプロチーム化を目指す形で、新設されたJFL(ジャパンフットボールリーグ)に所属。1993年に開幕するJリーグに向けた準備を早々にはじめている。そんな振って湧いたようなサッカー熱はしかし、岡山県民の期待を見事に、と・て・つ・も・な・く見事に裏切る形で花開くことになる。

運命の1994年、中国リーグの強豪として有力選手を抱え、プロサッカーチームとしての組織造りが行われていた水島製鉄サッカー部を日本有数の都市である神戸がチームごと強奪。サッカー文化が薄かった兵庫県に1995年1月1日、新チームヴィッセル神戸が誕生、そのままJFLに加入する。

残されたのは、川鉄本社と神戸市に「引退した奴や調整者なんかいらん!」とアッサリ棄てられたリバー・フリー・キッカーズと、本社の支援もそうそうなかった時代からチームを地域ぐるみで育ててきたのに「本社の意向」の一言でその恩を仇で返され裏切られた岡山県民。当時の水島サッカー部の1軍選手たちと地元・水島のサポーターおよびRFKとの生木を引き裂かれるかのような涙の別れは、現在でも岡山県の古参サッカーファンの語り草である。

この強奪劇があまり表ざたにならないのは、チーム発足から2週間ばかりした後の1995年1月17日に、強奪した神戸市を震源にマグニチュード7.3の巨大地震、阪神・淡路大震災が発生したためである。

とりあえず、神戸市を呪った岡山県のサッカーファンでも、さすがにドン引いたその惨状は、地元の強豪チームがいなくなってしまった岡山県民の胸の内をうやむやなものにするのに十分なインパクトがあった。ありすぎた。なお、これはあくまでも偶然である。それに、当時のサッカー界では、サッカー文化のない大都市圏で地方の強豪チームを引き抜く行為は何回か行われており、静岡県藤枝市から福岡市に移籍したアビスパ福岡や、神奈川県川崎市のチームが移籍したコンサドーレ札幌などが発足直後でチーム数が少ないJリーグの穴を埋める形で創設されている。(ただし、アビスパやコンサドーレのケースは、市域および県域内に既にJ昇格を果たした強豪チームが存在していたが為の移転であり、J昇格を果たしたチームが存在していない地域からJ昇格しそうなチームを強奪したなどというケースは本ケース以外には存在していない)

そしてヴィッセルは[編集]

チーム発足2週間目にして本拠地ごと壊滅的被害に遭ったヴィッセルは、当初スポンサーとして決まっていたダイエーが震災の影響で95年3月の段階でスポンサーから撤退。その後、震災復興の窮乏の中でスポンサーが現れるわけもなく、市民チームとして存続するも毎年巨額の赤字を垂れ流し続けるという悪循環。チームもとりあえず初年度は、元いた倉敷市を拠点にJFLの試合を行うも、結局最終結果は6位、悲願のJリーグ昇格は翌年に持ち越しとなった。さらに、Jリーグに昇格した97年からはチームの規模拡大とともに財政難の規模も拡大、2003年には累積赤字が42億円を突破して経営が破綻。結局、インターネット企業である楽天にわずか480万円で売却されることになる。

そして、楽天に買収された後も一応J1には留まるものの毎年下位に地味に低迷し続け、本業そっちのけで選手のナンパに勤しんでいる……と、思ったら案の定2012年のJ1第34節でサンフレッチェ広島に敗北。ついにJ2降格が決定してしまう。かくて2013年、J2川鉄ダービーというトンデモネタを引っ提げて臨む羽目に陥ってしまう。

……ここまでくるともはや岡山サッカーファンの呪いどころか、地域を捨てた者どもへの神罰レベルと言っても過言ではないが、果たして吉備真備に神性があったかどうかは定かではない。それを言うならば、むしろ吉備津彦命桃太郎かもしれないが。

チーム結成[編集]

そんなこんなで兵庫県&神戸市に強豪チームごと引き抜かれた岡山県だったが、しかし、サッカー関係者にはもう1つ切り札が存在した。それは、岡山県で2005年に国民体育大会が行われることがすでに決定しており、その際、成人サッカーの部門で優勝するために県ぐるみでチームを編成し直さなければならない→既存チームを取りまとめて新チームを結成→ついでにJリーグを目指すというものであった。かなり泥縄的な話であったが、実は1992年山形県で実際に行われ、その結果、1999年モンテディオ山形をJ2に押し上げた手法だった。それをまったくそのまま踏襲する形で、2001年5月に岡山県内のサッカーチームを母体に将来のJチームを県ぐるみで創設することが決定。2003年2月、当時岡山県リーグに所属していたリバー・フリー・キッカーズがその中核チームに選ばれる。

ちなみに、岡山県倉敷市には三菱水島FC新日本石油精製水島サッカー部備前市にはNTN岡山サッカー部といった地方リーグの強豪が存在する中、なぜ倉敷市の水島製鉄所サッカーチームのOBでしかないリバー・フリー・キッカーズが選ばれたかというと、将来のJリーグ入りを目指すためには集客が見込めるスタジアムとそれなりの人口を抱えた都市が不可欠であったことが挙げられる。実際、岡山市(70万人)と倉敷市(47万人)の人口差は大きく、また、倉敷市のサッカーチームだった水島製鉄所サッカー部が集客力の大きい岡山県総合グラウンド陸上競技場を本拠地にしていたのをリバー・フリー・キッカーズが引き継いでいたため、実力ウンヌンではなく、あくまで母体となるチームとして選ばれやすかったためである。そして、艱難辛苦を乗り越えた2003年9月、ファジアーノ岡山フットボールクラブが結成される。

ちなみに、同時期に寸分違わぬまったく同じ道を歩んだのがFC岐阜である。

Jリーグへの道[編集]

2004年、順調に岡山県リーグを優勝して中国サッカーリーグに進出。なお、このリーグをJ1、J2、といったで表すとすると、J4である。そして、J3に該当するJFLの壁に翌2005年に挑戦するも見事に跳ね返される。しかし、着々と組織作りは進んでおり、2006年、ついにJリーグに加盟申請するために運営会社である「株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブ」を発足。やり手の社長をゴールドマン・サックスから引き抜いて経営に当たらせたところ、効果覿面。営業収益を2年間で数十倍にまで増やし、実力以前に、経営体力の面で加入条件をクリアしてしまう。ただし、JFLへの加入には惜しくも失敗してしまう。

しかし、2007年になんとJ4の身でありながらJリーグへの準加盟申請に合格。これは、経営体力のあるチームが喉から手が出るほどほしいリーグ側の都合でもある。つまり、貧乏チームはいらないという大きな意思表示であり、ムリにムリを重ねてJリーグに加盟した連中が経営破たんでどん底に落ちていった多くの例を踏まえての考えである。その点、岡山県には身の丈経営に徹しないとああなってしまうという元県内最強チームの記憶が強いため、実力はともかく、リーグ全体に迷惑をかけないであろうという安心感が大きな決め手となっている。なお、このファジアーノの合格に勇気付けられて、2010年にはJ5に相当する都道府県リーグ所属の「S.C.相模原」が加盟、なんとチーム結成からわずか2年というとてつもない記録である。もっとも、これは相模原市という人口70万都市と、神奈川県という大都市圏の存在が大きいけれど。

そして、2007年、3度目の正直でついにJFLに昇格。ここで4位以内に入れば念願のJ2入りがかなうというところにまでこぎつく。で、書いてるほうにはなんの面白みもないまま昇格1年目にしてJFL4位。そのままJ2入り。JFLを昇格後1年で突破したのはFC岐阜以来2クラブ目という快挙であった。

もちろん、JFLでは強豪だったとしても、実力不足のほうは折り紙つきだった。

2009年、初めてのJ2[編集]

優勝したベガルタ仙台から勝ち点70差で18位(最下位)
8勝31敗12分(勝ち点36
得点40、失点84
最終的に11試合連続で勝利無し

ま、そんなもんだ

この年、8試合連続無得点というJ1・J2を合わせたJリーグ記録を樹立。 2013年にFC岐阜が7試合連続無得点を記録するも及ばず、未だに現在も保持している誇るべきJリーグ記録である。

この年のクラブのハイライトは、平日に行われた1万人チャレンジデーで東京ベルディを0-2から3点とって逆転した試合。 岡山のサポーターの中に、「最初はやられて後に盛り返して勝つ」というプロレス試合の素晴らしさと、ドーパミン分泌の快感を叩き込んだ試合となった。


2010年[編集]

2010年のファジアーノ岡山は、昨年度の監督であった手塚聡氏が監督を勇退、新たに影山雅永氏が監督に就任する。それにともなって所属選手も大きく入れ替え、Jリーグ経験者を補強、今年度の躍進を目指していた。

ただし、それ以上に目指さなければならないのが、実は練習場の確保であるという段階で、相手チーム以上に「周辺環境」と「県民意識」が大きな壁となってファジアーノの前に立ちふさがることとなった。

・・・そら、苦労するわな。

だが、どこぞのクラブ(あえて特定はしない)のように「田舎のクラブ」と「都会のクラブ」の悪い所を詰め合わせたクラブ、すなわち「資金もなく基盤が脆弱なくせに、地元民やサポーターが無駄にプライドが高いので弱くなれば恥さらしと罵られるクラブ」にはなってほしくないものである。

最終的に、2010年度の成績は19チーム中17位。8勝20敗8分の勝ち点32。ネタ的に見ても、1年間で1勝しかできなかった最高においしいチームが存在しているため、あまり書くことがない。一応、おいしいネタとしてはJリーグで初めて東京大学出身の久木田紳吾選手を獲得。社長、GM、選手が東大卒、監督が筑波、選手に早稲田卒が1人・慶応卒が2人と、Jリーグでもトップレベルの知的なチームに変貌を遂げた。

だからなんになるという話はしないでくれ

この年の多くのサポがあげるベストゲームは、千葉相手に逆転で勝利した試合だろう。 弱いながらも着実にドーパミンを分泌させるプロレスゲームの良さをサポに植え付けている。

2011年[編集]

2011年はチンケなJリーグ記録ではなく、世界記録が生まれる。

10月30日の横浜FC戦で、植田龍二郎選手が57.8メートルのヘディングシュートを決め、一躍世界の植田が誕生した。 身体能力・フィジカルが高いもののやらかし癖があるためネタ選手扱いされていた選手の活躍で、サポは大喜びながらもこの世の終わりかと恐怖に慄いた。 このため彼のヘディングシュートは名前をとってドラゴンヘッドと呼ばれている。

しかし、そんな岡山が最後の最後に輝くときが来た。12月3日にホームで行われた対徳島ヴォルティス戦は、相手にJ1昇格のチャンスがあったにもかかわらず、後半ロスタイムにカウンターから東大卒Jリーガー久木田選手が徳島を地獄へ突き落とすゴールを叩き込む。

まぁ、それだけとも言う。

最終的に、勝ち点48で13位。少しずつ順位が上がっているとはいえ、このままではジリ貧であるけれど、岡山県民のスポーツ意識が変わったという傾向はまだ見られない。どうする岡山

2012年[編集]

2012年、ファジアーノ岡山は一気に躍進する。

なんと、アルビレックス新潟からレンタルで移籍した川又堅碁選手が見事J2で覚醒。J1ではことごとくバーに当てていたシュートがJ2ではネットを揺らしまくり、岡山の総得点41のうちの18点、2分の1近くを叩きだす大活躍。J2の日本人選手最多得点をマークする。一方その頃、レンタルさせた新潟が得点力不足で地獄を見ていた。

その結果、ファジアーノは最終盤までJ2のプレーオフ進出を争い続け、後一歩のところで躓くも、8位という過去最高の成績を残す。が。もちろん、得点力不足に苦しんだ新潟が川又選手のレンタル延長を認めるわけがなく、12月21日に新潟に復帰。ファジアーノは再度攻撃陣を立て直す必要に迫られる。しかし、1人の無名選手の覚醒がチームを躍進させたということは、1人のキープレイヤーを獲得すればJ2で一気に飛躍できるまでチームが成長したということである。

2013年[編集]

祝、


練習場


完成!


なお、順位は12位だった模様。

2014年[編集]

シーズン最終盤までプレーオフ争いには食い込んだものの、そこはファジアーノのことである。何のことはない。もはや恒例行事となった夏場と終盤の失速により、1節残してのプレーオフ消滅が決定。最終節の勝利によって順位こそ1桁の8位でフィニッシュしたものの、3年連続での息切れによるプレーオフ進出を逃した責任を取る形で影山監督および眞中コーチら首脳陣はとうとうクビを切られたのであった。


ありがとう影山監督。さようなら影山監督。


後任には内部昇格という形で、当年度からコーチとして加わっていた長澤徹氏が就任。長澤まさみお父さんのほうじゃないよ!

2015年[編集]

まずお話しておきたいのは、シーズン開始前のことである。舞台は移籍市場。お相手は名将と名高い反町康治に率いられ、昨シーズンのJ2を自動昇格圏内の2位でフィニッシュ、J1昇格を果たした北と南でドえらい仲の悪い県の南側のサッカーチーム。岡山とも数々の激闘を演じてきた彼らは、いったい今回何を演じて頂いたか。

それは、

主力選手3人、

一斉ぶっこ抜き。

かつて赤帽砂岩から横縞への転任ついでに育てた戦力を丸ごと持って行ったという畜生っぷりに比べれば大変かわいいものだが、それでもなかなかの鬼畜っぷりである。


・・・うん。まあね。仕方ないわな。選手だってJ1、行きたいもんな。


しかしその移籍した面々、これがまたちょーっと問題なのである。今回ぶっこ抜かれたのは後藤圭太石原崇兆荒田智之の3人。これをひとつ頭に入れて頂いた上で、この映像を見て頂こう。


(↓問題のシーンは1分27秒辺りから)

これは昨シーズンに松本山雅のホームスタジアムであるアルウィンで行われた岡山と松本の一戦なのだが、見ての通り岡山がロスタイムに見事なカウンターから劇的な決勝点を挙げ、勝利を収めている。そのあとの残り試合、さっぱり勝てなくなったのは内緒。まあそれで何が問題なのかというと、最後の決勝点を挙げた際、カウンターに関わったメンバーなのである。流れで示してみると、


・CKの流れからの田中隼磨のシュート、そのこぼれ球を自陣PA内から味方へパスした選手→後藤圭太
・後藤からのパスを受けた後、右足アウトサイドで絶妙な縦パスを前線に送った選手→石原崇兆
・石原からの縦パスを受けた後にドリブル、切り返してPA外から山雅DFの股間を抜くシュートで決勝点を挙げた選手→荒田智之


・・・と、こんな感じ。皆様もうお分かりいただけただろう。つまりは名将反町、山雅をホームでの敗戦に追い込んだこのカウンターに関わった面子を全員ぶっこ抜いたわけである。さすがは反町。やることがえげつない。真にえげつない。

「んなもん偶然だろwwww」と思う方々もいるかも知れない。だが3人が移籍後にそれほど出場機会を得られていないこと、その内荒田に至ってはリーグ戦出場ゼロ、ナビスコ3試合出場も得点ゼロという有様。その上半年で追い出すという「なんで取った?????」状態であり、しかも移籍先はよりによって同リーグの亀さん、さらに完全移籍であることを鑑みれば、反町による負かしてくれた岡山への嫌がらせとも考え取れるのではないだろうか。

そんな反町が思惑の真偽はともかくとして、屋台骨3人を一気にぶっこ抜かれた岡山。更に昨シーズンレンタルで加入後、一気に主力としてチームの司令塔に君臨した上田康太も、崇拝している監督になっちゃった左足ばっか使ってた王様ボランチからの「7番あげりゅよ♡」コールで心をズッキュン♡されて古巣のヤマハ発動機へそそくさと出て行ってしまった。このままではシーズンが危うい。

そこでフロントは、岡山史上最大とも言える補強を敢行する。かねてから噂のあった元日本代表、ベテランCBの岩政大樹、そしてW杯出場経験のあるこれまたベテランSBの加地亮の獲得である。更にはアンダー世代の日本代表で頭角を現し、埼玉の赤い赤いチームでトップチームデビューも果たした期待の若手である矢島慎也など、ネームバリューで言えばまず間違いなく最高の補強を行ったのである。もう多くの岡山サポはウハウハ。心躍らせ、「主力抜かれたけどそれがどうした、今年の岡山はやってくれるぜ!!」と期待を掛けた。その期待通り、開幕岐阜ちゃんとの一戦、3対0で勝利。続く亀さんとの試合、苦戦しつつも1対0で勝利。更には降格してきたとは言え巨大戦力を誇るとも1対1で引き分けるなど善戦、最序盤とは言え2位というかつてない高順位につけることに成功。もうサポのテンションはMAX、ウハウハもウハウハ。そしてこのままプレーオフ、悲願のJ1昇格を・・・・


するわけがなかった。


というかもう、序盤でピーク終えてました。


気付けば引き分け、引き分け、引き分けの嵐。たまに負け、思い出したように勝ち、そしてまた引き分け、引き分け・・・・終わってみればJ2最多の18引き分け。後ろに名選手が入ったからか、はたまた攻め手がないから引きこもったからなのか、失点数は35とJ2で3番目に少なかったものの、得点数もわずかに40。これじゃ勝てません。

最終的には昨年よりランクダウンする形の11位でフィニッシュ。サポのテンションも序盤のウキウキ感など綺麗さっぱり消失。ああ、補強したところでやっぱりいつもの岡山だなぁという現実をまざまざと見せつけられたのでしたとさ。


あ、矢島はすっごく上手でした。欲しいなーって思いました。はい。

2016年[編集]

矢島欲しいなーと思ってたら、本当に来るって言う。赤嶺とか豊川とかまたネームバリューにこだわった補強。テレサテンとか言う謎の目標。今年もやっぱりいつもの岡山だなぁと思ってたら。

今年の岡山は違った。

なんとまぁ開幕から6連勝するわ、攻撃陣爆発するわ。一時期首位に立つって言う。前半戦4位でもうサポはウハウハ。一時期矢島が抜けてもおかまいなし。面白いように入る入る。最後少しズルズルと。でも6位でフィニッシュ。史上初のプレーオフ進出。

プレーオフ1回戦。対戦相手はなんと、去年ホームでの敗戦に追い込んだカウンターに関わった面子をぶっこ抜きやがった、あの反町率いる山雅。運命ってあるのかしら。そんなこんなで前半戦。3年連続チーム内得点王の押谷が先制ゴール。サポのテンション上がったと思いきや、後半に追いつかれる。去年のシーズンみたいに序盤でピーク終えてました。状態。そしてアディショナルタイム突入。サポのテンションがた落ち。あきらめかけたその時。

やっぱり今年の岡山は違った。

なんと終了間際に赤嶺が決勝ゴール。サポテンションMAX。悲願のJ1昇格なるか。

プレーオフ決勝。対戦相手は代表、元代表クラスの選手がウヨウヨいる巨大戦力。だが選手たちはあきらめなかった。相手は強かった。なかなかゴールを決められない。後半に入って得点を決められる。それでも選手たちはがんばった。しかし・・・・最後はあっさり負けてしまうのだった。J1昇格は来年以降に持ち越し。ツメのアマい一年となった。

2017年[編集]

今年を語るのに、多くの言葉は不要だ。

簡単にまとめて言うと、


もとに、

戻った。


前年の好成績。掴み取った初のJ1昇格チャンス。そして、涙を呑んだ初のプレーオフ・・・目前の夢は露と消え、涙雨に打たれたサポの心。打ちひしがれ、甘くない現実をこれでもかと感じた冬の日々。だが、現実はもっともっと苦かった。


立て続けにサポを襲った、公式サイトのお知らせ。


岩政の退団、矢島の復帰、押谷・中林の移籍。



・・・。



センターライン、全員じゃねぇか!!!(泣)


もう全員が全員、主力オブ主力。岡山の躍進は彼らなしにはあり得なかった。そう言って差し障り無い面子。それがもう、全員退団。流出。下手にいい成績残しちゃった分、そしてJ1上がれなかった分、まぁもうこんな風になるのはしゃーないとは思いつつも、なんなのこれ。一昨年といいなんといい、どうしてこうなった。特に岩政なんていつも通りだけど意味深なこと言ってどっか行っちゃうし、なんだかなぁ。レノ丸よりかマシだけどさぁ。

フロントも補強はしたけど、その面々は前任者に比べ、実績・実力ともに穴埋めだけ感が否めない、ぶっちゃけビミョーな感じ。サポは思った。「今シーズン大丈夫なんだろうか??」と。


その上、豊川が開幕前に「20点取る!!」とか言っちゃって壮大なフラグをおっ立てるなど、漠然とした不安を感じさせる中、迎えた開幕。そして数か月。



うん。



赤嶺がいないと、勝てないね。



点が入らないんだ。もう。赤嶺いないと攻撃にならない。つまり点が入らない。びっくりするほど入らない。スコアラーはもうずっと、赤嶺、赤嶺、赤嶺、たまに豊川、赤嶺・・・・

その赤嶺が、今年は怪我がちで稼働率が低いときたもんだ。



うおおおおおおおおおん。



対して守備はというと、去年までは岩政というJ2においてはトップクラスのディフェンスリーダーが真ん中にどっかりと構えてくれていたおかげでそこそこ堅かったのだが、抜けた後にロクな補強ができなかったので、まあ案の定というかなんというか、スーカスカ。ボーロボロ。もうみーんなちっこい(岩政比)ので、とにかく競り負ける。チームもそこが弱みになるとは分かっていたようで、前年までより高い位置でディフェンスラインを形成して放り込み&高さ対策を講じていたようだが、皆さんよく考えればお気づきのはずだ。そんなものは、セットプレーになっちゃえばまるで意味を成さないことを。

こんなだからもう、なんとか試合の大半はファジアーノ伝統の攻撃を半ば諦めたドン引き5バック、そしてど根性で必死に耐え忍べても、最後に必ず決壊。 決壊。 決壊。もちろん攻撃はかなぐり捨てている上に、赤嶺がいないので、点は取れていても1点。むしろ0点がデフォ。

結果、開幕から17試合連続失点。つまるところ、成績はお察し。



うおおおおおおおおおおおおおおおおおおん。



なんか中盤戦はよく分からないけど3連勝したりして、ちょっと持ち直してプレーオフ圏内までのし上がりはしたものの、所詮は夏の夜の夢。やっぱりというか、いつも通りというか、段々勝てなくなってくる。追い付かれる、競り負ける、赤嶺が怪我をする。

最終的には赤嶺がいても点が取れなくなった上、毎試合毎試合、中継の解説という解説ほぼ全員に戦術に対する疑問を呈されるなど、散々な状態。結局2年前に逆戻りするかの如く、13位フィニッシュ。



点が取れない、入る気がしない、攻撃になっていない攻撃。


どんな相手でも主導権を握られ、ボコ殴りにされるサンドバッグ守備。



そんな光景を42試合に亘って見終えた時、サポは思い出したのだ。


そう、かつての我々の姿を。



あれ?ぼくたち、


もとに、

戻った。


チーム名の由来[編集]

チーム名のファジアーノ(fagiano、ファジャーノ)はイタリア語でキジ(雉)の意。岡山県由来で日本を代表するおとぎ話「桃太郎」に登場することが命名のきっかけである(さすがに、「岡山ドッグス」もしくは「モンキー岡山」とすることは出来なかったのだろう)。

まぁ、瀬戸内海の向こう側のカマタマーレに比べたらだいぶマシな名前である。

ホームスタジアム[編集]

岡山県総合グラウンド陸上競技場、通称「桃太郎スタジアム」を本拠地に活動している。定員は2万人。なお2010年よりカンコー学生服をブランドとする尾崎商事命名権を獲得。あらたに「kankoスタジアム」と呼ばれることになった。

なお、この名称を聞いた瞬間、多くの岡山県民、そして多くの日本人が思い浮かべた言葉、「閑古鳥」については、入場者数が1,000人を切った場合につぶやいてもよいものとする。アンサイクロペディアとして精一杯の優しさである。

あわせて、桃太郎スタジアム以外にも津山市にある岡山県津山陸上競技場もホームスタジアムとして使用。さらに、岡山県内の施設が使用できない場合は、隣の鳥取県にあるとりぎんバードスタジアムで試合を開催している。なお、2009年10月7日にそのとりぎんバードスタジアムで行われたJ2公式戦で、なおかつ、2010年度J2最下位決定戦でもあった栃木SCとの一戦は、平日開催隣県での開催、さらに台風の襲来帰りの電車が運休ドベとブービーの戦い鳥インフルエンザの発生と悪条件に悪条件が重なって、さらに悪条件を追加した結果、Jリーグ記録である1試合の観客動員数「615人」を記録している。

カッコー、カッコー、カッコー

観客動員[編集]

とはいうものの、実はスポーツに縁遠くて、さらにJリーグの中でもトップクラスの弱小チームであるファジアーノの観客動員数はなかなかの数字だったりする。Jリーグ初年度の2009年でも、1試合あたり6,000人を越えている。これは、J2に所属した18チーム内で7位という好成績であり、1万人を動員した試合も存在している。J1に昇格したことがないクラブとしては最多であった。これは、M気質とか判官びいきとかいう話もさることながら、地道な努力を続けた親会社の努力の賜物であり、何よりも、精一杯試合を行っている選手の力によるものである。

しかし、2009年に最低観客動員数を記録した際に、Jリーグの公式戦が開催される県内のサッカーグラウンドを確保できなかったのもやっぱり親会社だったりする。そのため、過度な期待は絶対にしてはいけない。

第一、まだ弱い。 あれ、強くなればもっと増えるのか??

マスコット[編集]

チームのマスコットキャラクターとして、名前の由来となっているをあしらったキャラクター「ファジ丸」がたった一人、登録、されて、いる。そう、マスコット業界でよくある話である恋人ライバル、さらには桃太郎と関連するといったキャラクターもいない中、「ファジ丸」がたった独り、スタジアムでたたずみ、はしゃいでいるのが2010年のファジアーノクオリティ。(サルなら他のクラブのマスコットを呼ぶ形で共演すればいいのであろうが……残念ながら中々来ないのが現状である)

なお、目には見えないけれど、同じ鳥類のマスコットが2010年からスタジアムに存在している。

Cuckoo、Cuckoo、Cuckoo

スポーツ文化に縁遠い岡山県に、サッカーをなんとかして根付かせてもらいたいものであるが、とりあえず、キャラクターを設定する際は、なるべくストーリー性をからめて設定してもらいたいものである。

命名権については諦めるしかないけどね

下部組織[編集]

元強豪サッカーチームのOBチームが母体であり、大本のチームを強奪された際に置いていかれた悲哀というものを十分に熟知しているため、J2のチームにしてはなかなかしっかりとした下部組織を造り上げている。特に、2009年に新チームとして岡山県サッカー協会に所属することになった「ファジアーノ岡山ネクスト」は、若手や怪我明けの選手のコンディション造りを目的に結成されたチームでありながら、創設初年度に岡山県リーグチャンピオンとなり中国サッカーリーグにまで進出。さらにはJFL参入まで目指している。

一方そのころ、親チームはJ2ぶっちぎりの最下位を独走していたけれど。

ちなみに、ファジアーノ岡山ネクストは下部組織でありながら試合によってはKankoスタジアムを利用したり、ユニフォームのスポンサーまで獲得するなど、他チームの下部組織よりもかなりの厚遇を得ている。これは、お金がないから若手を懇切丁寧に育てるしかない現実もさることながら、隣県にある某Jチームが、すでに強力な地盤を形成していた地元チームとの兼ね合いのために、県民or市民一体となった下部組織の形成ができないなど、選手とフロントが一体となったチーム作りがどうも上手く行かないことを反面教師としたためである。もちろん、サンフレッチェではない。というかサンフレッチェの下部組織は全クラブの中でも屈指である。

愛媛FCでも、ない。

カマタマでも、もちろんない。

ヴォルティス? あれって隣か?

ガイナーレは…左か右かどっちだっけ?

キャンプ[編集]

Jリーグの冬キャンプはタイやグアムなどの温暖な場所で行うのが常識である。 しかし、ネタクラブ岡山は違った。そんなぬるいものではない。

2010年には、なんと本物のキャンプさながらの暴風雪の中、雪山登山で野宿キャンプを慣行。2012年には、雪山で遭難するというアクシデントも発生するなどまさに命がけである。 2013年は、さすがに雪山キャンプをやめて瀬戸内海の温暖な島でのキャンプとすることを発表し一部の選手を安心させたと思いきや、過酷な自転車キャンプを行う。しかも、その島でも自転車を担ぎながら崖のような山を登るはめに。結局山登りを経験することになり、昨年以上の過酷なキャンプとなった。

雪山登山、サイクリング、ロッククライミング・・

全くサッカーをしないこのキャンプの報告を聞くのを楽しみにしている他サポも多い。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

甘くてクリーミィ 私のおじいさんがくれた初めての「ファジアーノ岡山FC」。それはヴェルタース オリジナルで、私は4歳でした。その記事は甘くてクリーミーで、こんな素晴らしいファジアーノ岡山FCをもらえる私は、きっと特別な存在なのだと感じました。今では私がおじいさん。孫にあげるのはもちろんファジアーノ岡山FC。なぜなら、彼もまた特別な存在だからです。 (Portal:スタブ)