ハゲ
ハゲ(ゲーハー、英語: bolding)とは、頭部の一部もしくは全体の頭髪が欠損している状態、あるいはそのような頭部をもつ人物のことである。
完全に頭髪を喪失している真正ハゲ、額の拡大が顕著であるM字型ハゲ、頭頂部周辺における頭髪の欠落が甚だしいO字型ハゲ(かっぱとも)などの諸類型が知られている[1]。このなかでも真正ハゲは、一般的に人間の一生涯における頭髪の最終進化形態とされる。
頭髪の最終進化形態としてのハゲ[編集]
一般に頭髪は、頭部を衝撃や直射日光などといった外的な刺激から保護するために存在するといわれている。そういった元来の役割を考慮に入れると、ハゲるという現象はすべての人類にとって等しく退化であるということになりそうである。
しかし、現在の高度に文明化された社会では、頭部を保護する存在としてヘルメット・ハットやキャップなど各種の帽子・かぶりものといった多くの文明の利器が存在する。そういった観点から考えると、人類にとってもはや頭髪は無用の長物であるという結論が導き出される。生物にとって肉体から不要なものが失われていくというのは自明であり、人間においては頭髪のほかにも尾が失われた結果である尾てい骨などの類例がみられる。したがって、頭部において頭髪が徐々に失われていくのは人類、いや生物の進化にとって必然であり、そのような頭部をもつ人間は進化の最先端を走っているということになる。
一方で、ハゲに至らず白髪という頭髪における色素の欠落現象が起こるケースも報告されているものの、頭髪の現存という観点から白髪は頭髪の最終進化形態としては認められていない。しかし、金髪から黒髪まで多くの髪色がみられる人類の現状から頭髪の色素の重要性は疑問視されており、白髪も頭髪の進化形態の一つであるという意見が多数派である。また、白髪を経てハゲに至る事例や白髪化とハゲの進行が併発する事例も報告されているが、これらの事例の体系化は今後の研究を待つ必要がある。
仏教におけるハゲ[編集]
仏教においては、出家した人間、つまり僧侶はみな頭髪をすべて剃り上げている。髪の毛を剃るという意味を持つ「剃髪」という言葉が、現在ではほぼ「出家」あるいは「得度」と同義であることから、仏教社会が僧侶に求める重要な要素として頭髪を持たない頭部が筆頭に挙げられていると考えてよいだろう。
仏教の考えでは、出家した僧侶たちは仏教を帰依する人々の中でも特に高度の規範意識を持ち、人々を正しい方向へ教え導くということが求められている。一般に、ハゲという頭髪の最終進化形態を持つに至った人物は、その頭部相応の能力を備えていると考えられている。頭部にそのようなハゲのモチーフを取り入れることによって、仏教を信仰する一般市民からの尊敬をより集めやすくするという目的があるのは明らかである。
しかしながら、こうした僧侶による剃髪を自らの意思による頭髪の喪失であるとして「ハゲ」と認めない原理主義者が社会に古くから少数ながら存在しているのも事実である。自然の力によってあるがままに喪失されていく頭髪は、人間の頭髪の進化が顕在化した形態として位置づけることができるが、反自然的な方法による頭髪の喪失(ほかにいわゆるスキンヘッドも挙げられる)は人間の頭髪の進化の過程にもとる、サイボーグや遺伝子組み換えのようなものであるという主張である[2]。こういった原理主義者の主張は一定の共感を呼び、日本では明治維新期の廃仏毀釈運動の一助となったことが知られている。
ハゲがもたらす利点[編集]
ハゲという状態が頭髪の最終進化形態であることから、他者からの尊敬が集まりやすくなるという利点については上述したとおりである。そのほかにも、卑近な例として頭頂部までボディソープで洗うことができるという利点が指摘されている。特に真正ハゲによくあてはまるものであり、シャンプーやリンスを用いないことから節水による水道料金の節約が期待できるという副次的なメリットもある。一方で、頭部までボディソープで洗うことによって皮脂の過剰な分泌を招き、清潔さという観点で問題が生まれると指摘する者もあり、ハゲによる実体験と他者による想像との乖離も指摘されている。
ハゲになるためには[編集]
肉体的・心理的な負荷をかけることが、ハゲという状態に至る一助となることが知られつつある。具体的には長時間の残業や数日間入浴ができない環境などが挙げられるといい、過酷な労働を乗り越えた先にハゲが待っているということがいえるだろう。このような全身への負荷ではなく、頭部への部分的な負荷がハゲをもたらすという報告もある。該当するものとしてはブレイクダンスにおけるヘッドスピンなどが想定されるが、このようなかたちで獲得したハゲについては、反自然的な方法による頭髪の喪失であるとみなす向きも存在しているようである。