ノモンハン事件

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ノモンハン事件とは、大日本帝国の希代の天才辻政信参謀が、士気低き兵士と貧弱兵器をもっての策略でソ連一の軍人ゲオルギー・コンスタンチノヴィッチ・ジューコフ将軍を驚愕させた昭和14年最大の偉大なる聖戦である。

戦場となったモンゴルではハルハ川戦争とも呼ぶそうだが、そんなの関係ねえ

戦争の背景[編集]

世界第二の社会主義国として誕生したはずのモンゴル共和国は、チョイバルサンの策謀によっていつしかエクストリーム・社会主義リアリズムが横行する王国となっていた。スターリンはそれを称賛し、共産主義の母国たるソ連が傀儡国家などに負けてなるものかと自分を敵視する党員を主な対象にして修正の限りを尽くし、シベリアに犯罪候補者を続々と送り込んでいた。

一方、日本の権益を拡大するために偉大なる軍師石原莞爾公の策略により建国された満州国でもまた、大日本帝国を追放されたマルクス主義者や不逞鮮人どもが集まり、現地住民に対して暴力の限りを尽くして、理性なる皇国臣民のイメージを穢していた。この状況に頭を痛めた辻参謀はスターリンに対し、両国の反対分子を合戦によって一斉清掃することを持ちかけ、その時までどこにあるのかもわからなかったハルハ川で会戦することを約束した。


緒戦の敗北[編集]

偉大なる関東軍は、組織内の謀略抗争に敗れ去った3000人と、マルクス主義者4000人、それに不逞鮮人など満州国内の危険分子4000人をハルハの前線に放り捨てた。彼らの武器は戦車も打ち抜けぬ短銃と3m先まで近づかないと当たらない火炎瓶だけだった。おっと、除籍直前のポンコツ戦車も一応は配備されていたか。そんな1万ばかりの軍勢が途中で逃げてしまわないように、彼らの後方では朴正煕岸信介などの模範軍人が最新式戦車と兵器を用意して、前線から逃亡する味方を撃ち殺す準備を整えていた。

一方、ソ連からハルハへ躍り出たジューコフ将軍は、そんな日本軍の深謀を知るよしもなかった。将軍は上層部の相談内容を聞かされていなかったので、通常通り最新兵器を用いて前線を攻めた。もちろん、ソ連軍でも前線に立った1万は、思想犯の汚名を着せられた戦死しても構わない屈強な男たちばかりだったのはいうまでもない。ともあれ、そんな状態の両軍が戦った結果、無能なる満州傀儡国軍は敵を一人も傷つけられぬまま死んでいった。  

辻参謀の奇策[編集]

前線の兵士の数が半減したことを聞いた情け深き辻参謀は、いくら戦死しても構わない者とはいえ、このままの状態で戦争を終わらせるのはあまりに不公平だと考えた。そして上官を説き伏せ、偉大なる奇策を進言し、実行に移した。

その奇策がこれである。

「上官、奴らはスターリンに逆らうことができぬ民です。ならば、兵器や軍服、武装兵器にスターリンの顔写真や共産主義礼賛のスローガンを貼り付けておけば、奴らは後の報復を恐れて、どんな最新兵器でも我らの兵士に攻撃を決して行うことができないでしょう」

「貴様、戦なら何をやっても許されると思っているのか!仮にも皇国の兵士たちに寄りにもよって敵国のスローガンを唱えさせるとは狂気の沙汰も甚だしいぞ!」

「まあ見てて下さい、結果は必ず吉と出ます。なに、成功しても彼らは後で細菌実験のネズミにする予定ですからお気になさらず」

奇策は早速実行に移された。現場のマルクス主義兵士もこれには喜びを隠さなかった。ソ連の兵隊は、スターリンの顔写真を攻撃すれば後で必ず報復されると感じて攻撃できず、かといって戦車は中から開けられない構造だったので、ソ連の戦車は続々と原始的な火炎瓶の餌食となっていった。そして、ソ連軍の前線兵のうち4分の1が犠牲になった。

日本敗れる[編集]

これをみたジューコフ将軍は深く心を傷めた。そして、任務承諾前に軍内で起きたエクストリーム・社会主義リアリズムで犠牲になった旧友を思い出した。前線の兵士もまた何らかの粛清で家族、友人を失ったのだろうと将軍は考えを巡らせた。すると、将軍は立ち上がって、何とか逃げおおせた兵士に次のように演説した。

兵士たちよ聞け!君達も何らかの形であのエクストリーム・スポーツにより身内に被害者が出ているのだろう。家族を殺した野蛮なるファッショの手先は一体どんな顔をしていたのか?熱狂的な鋼鉄人信者の顔をしていた!今、野蛮なる満州の兵が鋼鉄人信者の衣装をまとって、君達を光のごとく殺戮しようとしている!君達は一人の人間として今何をすべきか?聞くまでもない!あの忌々しき偽信者どもを一人残らず殺してしまうことだ!

こう演説すると、赤軍兵士たちはたちまちの内に士気を取り戻し、懲りずにやってきた満州国の僭称者たちを一人残らず撃ち殺した。赤軍の士気は高かったが、ここで辻参謀は戦争の当初の意義を何とか納得させて、停戦協定をむすぶことに成功した。この巧妙な戦略により、関東軍正規軍の犠牲はゼロに抑えられた。え、モンゴル軍は何をやっていたのだって?だから、そんなの関係ないって。

その後の反響[編集]

ジューコフ将軍は直後に召喚され、赤軍を奮起させた演説の内容をスターリンに鞠問されそうになったが、第二次世界大戦の勃発でそれどころではなくなり、大戦後スターリンが痴呆になったのでなかったことにされた。ジューコフ将軍はあのような演説を強いた辻参謀の戦略に深く感嘆し、「私の軍歴で最も苦戦したのは辻参謀が指揮したノモンハンの軍隊だった」という言葉をはかせた。

辻参謀もその言葉により、後年ガダルカナルで壮絶に失敗したにもかかわらず、アジアでは希代の「作戦の神様」という名声を得た。参謀は戦後、東南アジアのラオスで才能を活かしたいという王党派の依頼を受け、国会議員の職を投げ打ってまで馳せ参じ同様の戦法を採らせたが、戦略があまりに有名になってしまっていたため、社会主義組織パテート・ラーオに見抜かれて敗退し、責任を取らされてラオスで人生を終えた。

そのような作戦を傍観した関東軍の上層部は本当に冷酷な人間だった。ある上官はソ連軍から戦わずして逃走する時、後の国民作家に「居留民なんか轢いていけばいいんだ!」という名文句を残し、このモンゴル語を学んだ大作家にノモンハンのことを書かせるのを永久にためらわせた。

モンゴルはその後どうしたのだって?だから、そんなの関係ねえ!


関連項目[編集]