ニコライ・エジョフ

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ヨシフ・スターリン同志が
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ソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会認可
本項の文章と内容は、完全に正しい事実としてソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会第10課長により認定されており、
全ての無産階級人民と、ソビエト連邦共産党員に見せることが認可されています。
この資料を疑うことは思想犯罪であり、疑った場合は国家反逆罪の対象とされます。
国家反逆罪とされた者に対しては、KGBよりポロニウムまたはシベリア鉄道の切符が無料で贈呈されます。
ニコライ・エジョフ
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基本資料
本名 Николай Иванович Ежов 
通り名 ニコライ・スターリニスト・エジョフ、「人間の顔をした怪物」、「血まみれの小人」 
生没年 1895年5月1日 - 1940年2月24日? 
身体情報 身長160cm未満 
職業 内務人民委員(NKVD)長官、エコロジスト 
好物 殺人銃殺粛清ノーベル殺人賞 
嫌物 ヨシフ・スターリンと自身に逆らう全ての存在 
出身地 サンクトペテルブルク 
出没場所 クレムリン 
所属 スターリンと愉快な同志団
「私の長い生涯のあいだに、エジョフ以上に嫌悪感を起こさせる人間には会ったことがない。私は彼を見るたびに、ある光景を連想せずにはいられない。それは、ラステラヴェヤ通りの公園にいる悪ガキどもだ。彼らのお気に入りの遊びは、パラフィン油に浸した紙を浮浪者の肛門に挿入し、それに火をつけることだ。 彼らは、恐怖に陥ったおじさんが、火から逃れようと必死に(しかし、無駄に)周囲をコロリコロリと転がる様子を見て喜ぶのである。私は、エジョフが子供の頃にこんなふうに楽しんでいたであろうこと、そして今も、形は違えど、同じことをし続けて楽しんでいることを、いささかも疑わない」
ニコライ・エジョフ について、ニコライ・ブハーリン
「奴は人殺しだ。1938年に多くの無罪の人々を殺した。だから銃殺したのだ」
ニコライ・エジョフ について、ヨシフ・スターリン
Wikipedia
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ニコライ・イヴァノーヴィチ・エジョフロシア語:Николай Иванович Ежов, 1895年5月1日 - 1940年2月4日?)は、大粛清時代の小さな鬼畜かつ、ヨシフ・スターリン走狗の名前である。

生い立ちと地味な時代[編集]

1937年、右がエジョフ、左の赤のジャイアンとともに

ソビエトのスネ夫と呼ばれたニコライ・エジョフは、ロシア帝国時代の1895年、サンクトペテルブルクにて生粋のロシアっ子として生まれた。小学校教育のみを受けその後は職を転々としていたが、1917年ボリシェビキに入団し、まもなくヨシフ・スターリンの信奉者となる。その後は農産物徴発部門、農業人民委員代理、人事部、産業部……などという土っぽく爺臭く目立たなくと三重地味な役職に留まっていたが、1935年党中央委員会書記に抜擢された頃から彼の本性が露呈し始める。

身長150センチのスネ夫[編集]

スターリンが大粛清を開始し、判決を下すための地獄の鬼を探していた所に彼のズボンの裾を引っ張る者がいた、すなわちエジョフである。しかし彼の体躯はピグミーも驚愕の150センチであった。ちなみにhydeの身長は156cm。エジョフがいることが見えないスターリンは不安になり「私を暗殺しようとしているな!!」と喚いたがエジョフは「め……滅相もございません、私めに何かできることがあればと、はせ参じた次第でございます、閣下。」とヘーコラヘーコラし、やっとスターリンも「そこにいたのか、エジョフ」と許しを与えた。

そして1936年には、粛清されたゲンリフ・ヤコーダの後任として党中央委員会政治局員候補となり、赤いジャイアンのもとで粛清を開始、手始めにトロツキストのゲオルギー・ピャタコフに対し、公開裁判で「今夜は夕食抜きの上銃殺に処す」と言い渡し、これを皮切りにエジョフは暴走。600万人を超える官僚、軍人、八百屋、バレリーナ、そして市民を「反革命的」との名目で毎日休まず銃殺、士官から「もう弾がありません」と言われれば士官にペンチを渡し、その日は「処刑の日」から「拷問の日」に方向転換していた。

そしてスターリンからの粛清命令の際には長年待ち焦がれた相手を見るような眼差しで見ながら、スターリンの行動や言動を一字一句漏らさず書き取り、メモ帳に頬ずりし、スターリンの前で恥じることなく「私ははっきり言って革命などどうでもいい、私が粛清をするのは無実の者に苦痛を与え、その死を見るためだ」とそして臆面なく言った。

1937年エジョフはNKVD創立20周年記念パーティに参加。スターリンが大きく描かれた垂れ幕の隣には彼の垂れ幕もあった。花いっぱいのステージで、彼の業績が称えられ、最後にこう付け加えられた。

「同志エジョフから、同志スターリンの方法を学びましょう!ちょうど、同志エジョフ自身が、同志スターリンから学び、これからも学び続けるであろうように!」

もちろん、学ぶとは粛清についてであることは言うまでもない。そのときエジョフを見た人は言った。「彼は花に埋もれて見えなかった。」と。

凋落[編集]

わが世の春を謳歌し、毎日休まず国民を拷問の上射殺させてカラカラと笑っていたエジョフだったが、その権力にも翳りが生じてくるようになる。なんと国民を殺し過ぎた結果国家の経済がすっかり機能不全となり、粛清を毎日の日課とするエジョフはスターリンから次第に疎まれるようになった。党内での地位は名目上保っていたエジョフだったが、スターリンが党内で上位に存在する者を数年に一度「人事異動」と称して行方不明にさせる手口をよく知っていたため、不安になり始めたところにラヴレンチー・ベリヤが台頭、NKVDのトップの座を事実上奪われてしまう。

毎日せっせと粛清をしていたエジョフの精神もその頃限界に達し、疑心暗鬼の出来心と称して自分の妻も粛清、エジョフはしばらく粛清を肴にして酒を飲んでいたが、スターリンたちとの夕食の席で「しゅくせいたくさんしてきもてぃー!」と叫び自宅へ帰らされる。その日から公務に顔を出すことも少なくなり、誰もいない自宅で酒を飲んでべろべろになりながら「♪きょうはひゃくにんころしたぞ~あしたはなんにんころすのかい~」と歌うようになる。廃人である。

さようなら…[編集]

そしてなかったことに…

彼がぐでんぐでんとしている間に、モロトフとスターリンは彼の統治下におけるNKVDを「なんだこれ、吐き気がする」と強く批判、1939年、彼は全ての役職を外される。そんなことを露ほども知らない彼は久しぶりに粛清ってくるかとばかりに出勤、わけのわからないまま即日逮捕され、投獄された。

そして拷問として「ほれ、お前の大好きな拷問だぞ~」と看守からいきなり爪を剥がされると彼は齧歯類の断末魔のような声を上げ、一発で自分が政治家としては無能であること、クーデターでスターリンの上に立とうとしていたこと、そして男色家であることを白状する。次の尋問では支離滅裂な供述の中で自らのスターリンへの溢れんばかりな愛を演説し、ベリヤが優しい顔で、「スターリンを暗殺しようとしたと言え」と彼に言っても「私は綺麗なまま死ぬ」と言って聞き入れず、ベリヤに助けを求めるがベリヤはにべなく無視した。

そして裁判によって死刑判決が下されるとエジョフは泣き崩れ、ベリヤの部下が彼を連行すると、肉を柔らかくするため服を脱がせて棍棒で叩いた。その後彼は血を絞られたあと鍋で柔らかく煮込まれボルシチになると、スターリンの胃の中に消え、同時に写真からも消えた。

だ。エジョフだと?誰だそいつは?存在しないのだ。いや、かつて存在したこともないのだ。