ナーダム

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ナーダム(Наадам、ᠨᠠᠭᠠᠳᠣᠮ)とは、モンゴルの大運動会である。

起源[編集]

武力で志を立て、みごと覇業を成し遂げた独裁者は自らの政権基盤でありアイデンティティである武(武術武道武芸その他)を尊ぶものであるが、かつて世界の半分を征服したと言われているモンゴル帝国の創始者であるチンギス・ハーンもまた、尚武の気風をこよなく愛していた。治にあって乱を忘れず、って言うかまだまだ世界制服野望を半分ほどしか達成していない状態において仮初めの平和に安んずることなど到底できよう筈もなく、モンゴル臣民[1]ことごとくに武の鍛錬を命じたのが始まりである。

ちなみに、ナーダムとはモンゴル語(正確にはウリャンカイ部における方言)で「集いて(ナーッド)競う・奉げる(ゥム)」すなわち「体育祭り」がその語源である。

概要[編集]

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そんな訳で、ナーダムはモンゴル各地において気ままに開催される風物詩なのであるが、数あるナーダムの中で最も有名なものは日本国体に相当する(であろう)イフ・ナーダム(их наадам、国家ナーダム)であり、毎年7月11日(モンゴルの革命記念日)から13日までの3日間、昼夜ぶっ通しで行なわれる。そのため、モンゴル国民は7月11日を国民の祝日であるべき「革命記念日」ではなく「ナーダムの初日」としてしか認識しておらず、あたかも日本においてオタクが2010年8月15日を「終戦の日」ではなく「コミケの最終日」としてしか認識していないような状態に陥ってしまっている。が、当のモンゴル人はそんなこと誰も気にしないのであった。

「いいじゃんそんな難しい事は。それよりもさ、モンゴル民族の一体感を味わおうぜ?」
ナーダム について、普通の人々

競技[編集]

大はしゃぎな男たち。

ナーダムは武を競う関係上、発足当初は「世界中のあらゆる武を偉大なる大ハーンに奉げる」ことをスローガンとしていたため、支配下に治めた国や民族の武術や体育競技(娯楽的なものも含む)を片っ端から集めてみたものの、一種目あたりの競技人口の少なさと競技の多さによって収拾がつかなくなってしまったため、より普遍的な競技を絞り込み、あるいは新しく制定することで競技の体系を整えたのであった。

歴史的種目[編集]

かくして選抜され、制定された競技が以下のもの(一部)である。「神聖なる武の祭典」であるナーダムは別名「男祭り」とも呼ばれ、不浄なる女性[2]の参加は認められていなかった。

飛ばし
競技自体はいたって簡単、自分の得物(など)で死刑囚(捕虜など)の首を刎ねて、その飛距離を競うだけである。シンプルなだけにより遠くへ飛ばすためのコツが必要で、多くの達人を生み出した。
暴れ馬なだめ
薬草などで過剰に興奮させた馬を、素手で鎮める競技であるが、道具は何も使ってはならない。素手で取り押さえるのは構わないが、神聖なる馬を傷つけてはならないため、生兵法によって多くの挑戦者が馬に蹴られて死んでしまった。
狼殺し
檻の中で一対一、素手で狼と戦うだけの競技である。これはもちろん殺しても構わないが、逆に食い殺されても自己責任である。志願者は少なく、大抵は死刑囚が強制的に戦わされた。しかし勝てば無罪放免とされるため、一か八かで挑戦する者がいないこともなかった。また、罪の重さによっては戦う相手をハゲワシに変えられたり、数を増やされたりもした(それでも人間の方は一人である)。
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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ホーミー」の項目を執筆しています。
耐久ホーミー
俗に喉歌と呼ばれるホーミーを、息継ぎなしでどれだけ続けられるかを競ったものであるが、をぉぅぉぅぇ……オェオェオェオェ オェオェ オェオェ…………とひたすら重低音が草原に鳴り響くばかりで面白くも何ともないばかりか、酸欠で倒れる者が続出したため間もなく廃止された。
アフガン航空相撲
かつては敵性競技として忌避されていたが、やはり「強いものは採り入れるべき」との声によって一時期大いに流行った。これが現代におけるモンゴル相撲の基礎となったとか。

現代の種目[編集]

現代では三種目に絞り込まれたナーダムであるが、それぞれにモンゴルの(および忌まわしいエピソード)が宿されている。モンゴル人の嗜みとも言えるスキルである事から、もちろん昔からあったし、今では女性の参加も可能[3]である。

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ブフ」の項目を執筆しています。
ブフ(モンゴル相撲
語源は「力」。いわゆる徒手格闘であり、当時は細かいルールや勝敗の基準も無いに等しかった[4]ため、多くの死者を出したものの一番人気の高い競技であったと言われている。その後、テングリに奉げる「鷹の舞い」や「狼の踊り」をはじめとする各種の儀礼や貴重な戦力の損耗を防ぐため(要は人保護)に必要な細則あれこれ(禁じ手、制限時間など)が決められたことによって次第に洗練されて行った。
当たるも八卦……いざ。
弓射
遊牧民族であり、戦うにも狩りをするにも、あるいは家畜や財産を(泥棒から)守るにも、はモンゴル民族にとって生活必需品であった。その腕前を競うために様々な競技が考案されては消えていったが、中でも人気だったものが
  1. 逃げ回る死刑囚で追いかけて射殺する(もし一日逃げ切れたら赦免)。
  2. 的に縛り付けた死刑囚に当てないよう、ギリギリの場所に矢が立つように射る(複数名で競い、矢の近い者が勝利、当てたら失格)。
  3. あるいは志願者による度胸試し。こちらの場合は飛んで来た矢を掴み取るパフォーマンスも許可された。
であるが、あまりに非人道的であるという陳腐な理由によって次第に衰退してしまい、現代では単に的を射る(立位or騎射[5])のみである。
ハィハィドゥドゥ、ハィドゥドゥ!
競馬
ひたすら地平線の向こうまで駆けて、チェックポイントのオボーで折り返して戻って来るだけかと思いきや、競技中は手にしている(他は何も持ってはならない)で敵の騎手を殴ったりなど、さまざまな妨害をすることが許されている。しかし傷つけていいのは人間だけで、やはり馬を傷つけることは反則である。

表彰[編集]

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「四駿四狗」の項目を執筆しています。

かくしてナーダムでは武が競い合われるのであるが、かつて勝者には民族の栄誉とささやかな恩典が下賜されたものである。しかし今では参加賞として鉛筆ノート、それと小さなトロフィー(上位3位まで)が与えられる程度[6]である。また、余談であるがかつてチンギス・ハーンの懐刀と言われたかの「四駿四狗(チラウン、ボオルチュ、ムカリ、ボロクルおよびジェルメ、スブタイ、クビライ、ジェベ)」の面々は、ナーダムに勝利した暁にその称号を授けられたと言われている。

と言うのはすべて建前で、[編集]

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「モンゴル料理」の項目を執筆しています。

いいから酒飲もうぜ、馬乳酒(アイラグ、ツェゲー、クミス。みんな同じさ!)にアルヒ(アイラグを蒸留したもの)、駱駝乳酒(インゲニーアイラグ)もあればソビエトロシアから密輸したウォッカだってこの通り!下戸だと言うならツァイ(乳茶)もバター茶もあるぜ?つまみにはボーズ(モンゴル風小籠包)かホーショール(モンゴル風揚げ餃子)、食って飲んでの乱痴気騒ぎ、ナーダム見物としゃれ込もうじゃないか!

「お祭りなんて、しょせん酒を飲む大義名分に過ぎない。」
ナーダム について、酔っ払い
ソビエトロシアでは、酒がナーダムを飲む!」
ナーダム について、ロシア的倒置法

脚注[編集]

  1. ^ 純粋にモンゴル族だけであり、謀反を恐れてか異民族には逆に文弱の気風を求めた。
  2. ^ 存在自体が不浄とされたため、純潔であるかどうかなどは関係ない。
  3. ^ さすがに上半身になってブフに参加する猛者はいないようであるが。
  4. ^ 1)素手で戦うこと、2)一対一で戦うこと、3)相手が降参した時点で決着とすること、程度。
  5. ^ と思ったら騎射も廃止されたらしい。モンゴルにもゆとり教育が蔓延している模様。
  6. ^ もちろんこれは少年少女の部だからであって、大人にはもうちょっとマシなもの(外国のとかオートバイとか)が貰える筈である。でなきゃ大の大人がこんなかったるい事なんてやってられない。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]

「♪山の上で生まれた 元気な馬だよ ナーダムで優勝した 雪のように白い馬……♪」
ナーダム について、民謡