ドイツ騎士団

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「残虐非道クイーズ!!問:善良そうな村人が50万ガメル持って「村の用心棒になってください」と頼んできました。君ならどうする?」
ドイツ騎士団 について、大魔王アザトデス
「えーとね、えーと…お金だけふんだくってその村人は殺しちゃうっ」
ドイツ騎士団 について、彼の次男ミグ
「不正解ーーっ!!(がすッ)答:用心棒になったふりをして村の場所をつきとめ、金目の物を戴いてから村を焼き払って焼き畑農業を開始。男たちはそこで死ぬまでこき使い、女たちは飽きるまで体を弄んだ後「貴族の女だ」と偽って人買いに高値で売りつける(テレビの前のおともだちはわかったかな?)」
ドイツ騎士団 について、大魔王アザトデス
どう見てもあらくれですありがとうございました。

ドイツ騎士団(Deutscher Orden)とは元々はエルサレム王国に本拠地を置いてハンザ同盟にみかじめ料を払わせていた騎士団を名乗る暴力団だったが、エルサレム陥落後はハンガリーポーランドを転々とした挙句、老魔法王の差し金でバルト海沿岸で異教徒だったリトアニア人に嫌がらせして改宗させることに成功したため解散を請求されるも、既得権益を手放すまいとごねたために最終的にプロイセンへと変態した荒くれ男の集団。

ドイツをあんな風にしたプロイセンの前身であり、信仰のためなら教皇も裏切るという信念の持ち主が揃った戦闘種族として知られる。

正式名はイェルサレムの聖マリア・ドイツん家の兄弟隊(Orden der Brüder vom Deutschen Haus St. Mariens in Jerusalem)であるが長すぎるためその名では誰も呼ばない

歴史[編集]

1190年、慈善事業を自称して、病院を装いエルサレム王国のアッコンにて発足。聖ヨハネ騎士団などの経営する病院と間違えて駆け込んできた十字軍の負傷者を鴨に活動開始。リューベックブレーメンからの巡礼者からボディーガード代を徴収したり戦死者から身包み剥がすなどして荒稼ぎをしていたが、十字軍が失敗に終わると潮時と見てレヴァントでの事業展開は撤退し本部をヴェネツィアに移転した。

次に目をつけたのはハンガリーでの国境警備を装った詐欺行為だった。1211年、国王アンドラーシュ2世を口八丁手八丁で説得して当時のハンガリーの東の辺境であったトランシルバニアを獲得。ハンガリーの拡大を懸念する教皇に根回しを行いハンガリー王権からの離脱を試みた。この動きを察知した国王は「しまった!守る守る詐欺だっ!」とドイツ騎士団への抹殺命令を下したのである。だが騎士団が追跡を逃れ北のポーランドへと脱出し、しかも教皇からは破門されたためアンドラーシュ2世は国民から「バカ」「非国民」「池沼」「ぬるぽ」などと散々批判され暗君として名高くなった。

さて、彼らのたどり着いたポーランドという国はハンガリーとはカトリック圏の東端としてライバル関係にあった。どちらが野蛮人どもを多く改宗させられるか競っていて非印欧系であるハンガリーごときには負けられなかったのである。1224年の事である。そこに目をつけた騎士団は「シャチョーサンどうでっか?うちらにプロイセン預けてみまへんか?」といつもの巧みな話術で封臣になる事を約束しながら、一方で神聖ローマ皇帝にも接近し独立国としての承認を得、ついに領土を騙し取る事に成功したのであった。当のポーランドは――なんせあの国民性である――騙された自覚もなく、どうせ実効支配していない土地なのでその時は何もしなかった。

更なる領土拡大を企む騎士団とカトリック信者の増大を目指す教皇の利害は一致した。異端審問が生きがいとなっていた教皇は「キリスト様を信じない連中は殴ってでも言う事を聞かせていいよ」勅令を発布。北方十字軍と称し、お隣で平和にウホウホ踊っていたリトアニア人達に刃を向けたのである。

プロイセンの人々は元々リトアニア人であった。ドイツ騎士団は改宗と称してこのリトアニア人たちを自らをドイツ人であると思うように洗脳したのである。なぜって?そりゃドイツ人が増えれば神聖ローマ帝国の臣民が増えて皇帝陛下からも一目置かれるのだから躍起になるのも仕方がない!ドイツ化したリトアニア人を今日ではラトビア人と呼び、最後まで抵抗したリトアニア人は古プロシア人と呼ばれて過去の存在にされている。

そうこうしている内にその仕組みに気付いたリトアニア国王は1387年自分からキリスト教へ改宗、こうしてドイツ騎士団は存在意義を失った。だが既得権益は手放したがらないのが今も昔も権力者の常である。「そりゃないだろ!騎士団はさっさと解散しろ!」という意見が領内のあちこちに起こると即座に反乱は広がり、特に西プロイセンは敵の敵は味方とばかりにポーランド王の庇護を求め離脱、これが後のポーランド回廊となり近代に大きな災いを招いたというのは皆の知るところである。これを好機と見ていつの間にかリトアニアと仲良くなっていたポーランドは絶滅戦争を仕掛け、ついにドイツ騎士団はポーランドの属国にされたのである。

奢れる者は久しからず。ついに最後の時はやってきた。1523年ルターがローマに対抗するための神国土を作るために欧州北部を行脚の折首都ケーニヒスベルクにも立ち寄ったのである。折伏の結果カトリック国ドイツ騎士団国はプロテスタント国プロイセン公国として生まれ変わったのだった。

遺産[編集]

ドイツ騎士団が故地に残したものはそう多くはない。なぜなら後になかったことにされたものがあまりにも多すぎるからだ。

その一つがプロイセンという国である。この国は東方植民と称する当該地域での民族浄化の結果自らがドイツであると思い込み、ポーランドの属国であった過去を憎み、ドイツである事にこだわるあまり、ドイツナショナリズムを捏造し、ドイツ統一を実行したが、結果は先の大戦でXXXXX挙句民族浄化をされ返されて存在自体が消失している。

現在、ドイツ騎士団の旧領には洗脳を解かれたリトアニア人・ラトビア人・エストニア人と洗脳しなおされたポーランド人・ロシア人が居住している。最後まで抵抗した者は全員がラーゲリを経由して別の世界へと移住した。

構成員[編集]

ウィキペディア 「異教徒たちを打ち倒すことが神の意に適い、罪を贖うことができる救済行為」であるというカトリックの教えを考慮すると構成員の多くが犯うわなにをするやめr

関連項目[編集]

キリスト教徒を守るために、一生懸命に働いた。ドイツ騎士団とは正反対の、クソ真面目な正義の味方集団。その活躍に感動した人々から多額の寄付金を集めて、大金持ちになる。ところがその財産に目がくらんだフランス国王の策略で、異端者の冤罪を着せられて処刑される。…まあ歴史って、こんなもんだ。