トロフィム・ルイセンコ

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トロフィム・デニソヴィッチ・ルイセンコ(Трофим Денисович Лысенко)は、ソビエト2代目ゆで卵に大層気に入られたエセ植物学者である。

ルイセンコ論争[編集]

本当に畑へ出ていたのか疑問である。

ある若者が、モスクワはクレムリンの議会で演説を振っている。いかにも太陽に当たっていなさそうな、やせ形色白のこの若者、名前をトロフィム・デニソヴィチ・ルイセンコといい、破壊と創造の混沌時代、スターリン政権時には自分の独特すぎる遺伝学を流布して、レーニンの顔入りお星様スターリンのヒゲ入りお星様を合計12回も貰い、常にそれを胸にジャラジャラさせて、いつのまにか国で一番の植物学者となっていた。

しかし、この気鋭の若者を鬼気迫る目で見つめる50がらみの品の良いもうひとりの男がいた。この男名前をニコライ・ヴァヴィロフといい、世界の農大の中でも当時世界最高水準を誇っていたモスクワ農業大学を卒業し、数々の名高き農大の教授を歴任し、当時のソビエトのお百姓さんの間ではとまではいかずとも認識されていたのかと思いきやあまり認識されていなかった。いわゆる不遇の先生に留まっていた男だった。

ルイセンコが先ほどから口角泡を飛ばして演説している内容というのは、「環境で遺伝子は操作できる」というものだった。もともとは小麦の春蒔き種を低温処理をしたところ秋蒔き種に変化したという内容であったが、ソビエトはどこも低温であるから、ただ種を放置してしまったところ偶然発見したものであると思われる。彼の意見は、植物の種になんらかの外的刺戟を与えることによって、遺伝子をバリバリ活性化させ、遺伝子を人為的に操作できるというものであるが、これは受け取り方を変えれば小麦から違う生物を作り出せると言っているのも同じである。そんなこと専門家でなくてもおかしいと思うはずだが、後ろの席でにこやかに笑うヨシフおじさんには正直事実などどうでもよかった。ルイセンコの唱える後天的素質が次の世代に受け継がれるという説は共産主義国家の思想としてはまさにお誂え向きだったし、スターリンは共産主義の対象を穀物にも適用するつもりだった。 こうしてルイセンコの農法はソビエトで広く採用されるようになった。しかし、なぜかルイセンコの農法は全く成功せず大凶作をもたらした。スターリンはこの失敗について「ルイセンコを妬む反動主義者がわざと違う農法で農業を行っている!」と激怒し、多くの農夫が粛清された。

ヴァヴィロフの反駁[編集]

こうして植物、遺伝子にさえ共産主義の思想が丁寧に塗り込まれていった時代が訪れ、ルイセンコ一派は植物学というごくごく狭い範囲内でわが世の春を謳歌し、他の植物学者たちも一時は指をくわえるのみとなる。

しかし、ソビエト中の植物学者たちが指をくわえすぎて指の皮がふやけかかってきたころに、やっとヴァヴィロフが「その意見、ニエット!」と声をあげた。そんな突っつくぐらいの刺戟で遺伝子が変化するのなら人間も今頃みんな珍種やら新種だらけになっているでしょうと、ヴァヴィロフも負けじと唾を散らす。しかし、当時は100万人単位で粛清してなんぼの時代である。もちろんそんな正論を吐く男には真っ赤な軍靴の足音が近づき、ヴァヴィロフは「うわなにしやがるはなせくぁwせdrふじこlp」と声を残し逮捕、ルイセンコ一派に「ブルジョワは消毒だ~!」とばかりにまんまと投獄され、そこで彼は食料のジャガイモの芽に当たり、失意のうちに世を去るのだった。

その後スターリンは、同じ穴の大むじなこと、毛沢東にもルイセンコの農業を勧め、農家の息子のくせに農業に疎く、なおかつ見た目とは裏腹に超純粋な毛沢東は、それを大躍進政策の中で「深耕・密植運動」として実行、結果すさまじい凶作となり、大躍進政策のうちに失われた2000万から5000万人の人命の多くが餓死という結果となった。さらに毛沢東は手下の偉大なる将軍様にこの農法を薦め、ルイセンコの農法は金王国に導入され、主体農法と名を変え、更なる飢餓をもたらすことになるが、やっぱりスターリンとルイセンコにとってはそんなことどうでもよかった。

ソビエト植物界のネ申となる[編集]

その後スターリンが卒中で死ぬと、ニキータ・フルシチョフが台頭する。彼はスターリン政権下でダンゴムシの如く丸まって見立たぬようにすることで、粛清を免れたため、長年のわだかまりをスターリン批判という形で吐露、世界に「ヨシフおじさん」の恐怖の実態を示すことによって、ちょっとだけ自己陶酔していた。

一方ルイセンコは、人事移動という名目で、当時官僚クラスだった者と共に一時は職を外される。だが、フルシチョフが大の農業マニアかつ海外の作物になみなみならぬ関心を持っていることを知るや否や、フルシチョフに「ちょっと面白い話があるのですが……」と接近、自称農業に詳しく自己陶酔の気があるフルシチョフはルイセンコ一派の説にまんまと取り入れられ、ルイセンコは最強のスポンサーを得る。それからはソビエトの広大な大地を好き勝手いじくって、とフルシチョフと作物と遊ぶ毎日が続いたが、次第にDNAの解析などの化学分野が発達してくると、今時ルイセンコの説を信じる者もひとり、ふたりと減ってゆき、結局ひとりぼっちになったのかといえばそうではない。

最後の最後までフルシチョフはルイセンコを信じ切っていたのである。

フルシチョフの回想[編集]

いつから共産党にルイセンコがいたのかは覚えていない、しかし彼の語り口には妙な説得力があった。私は、彼になにか違う物を感じ取ったのだ。私があのヒゲ野郎(スターリン)を叩いた時でもスターリン時代の官僚で彼だけは罷免しなかった。

その後は彼に資金と土地を使用する権限を与えた。そう、土地は余っているからな、それに、私が寒がりだということを知った彼は広大な土地に樫の木をビッチリ植え込むことでソビエトの気候を変えようとしてくれた。

また、私は変わった作物に目が無い、彼はまたもや私の為に露地栽培用のメロンの種を用意してくれた。残念なことに、どちらも黒くなってしまって失敗に終わったのだけれども、決してメロンや100万本の樫は枯れていない。そう、いつまでも私の心の中で青々とし続けているのだ。

おっとこんな物思いにふけっている場合じゃなかった。明日はフランスから来たド・ゴールと船に乗りに行くんだった、早く寝なければな……