トライクタスロン

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トライクタスロン(trictathron、三百種競技)とは、300種類の陸上競技を連続して行い、その結果を競う究極の鉄人競技のことである。全てのエクストリームスポーツの上を行くスーパーエクストリームスポーツとも呼ばれている。

歴史[編集]

由来はある陸上自衛隊の空挺隊員の他愛もない会話だったと言われている。

隊員1: 世界でいっちゃん過酷な競技つったらトライアスロンだべ? でもよ、見た感じまだまだ行けっぺよ。
隊員2: そだなぁ、いっぺんに300種くれえやっちまうべ。

この無責任な会話をきっかけとして、1998年、「トライアスロン誕生20周年」にこじつけてトライクタスロン第1回大会が日本で開催された。

この競技は途中休憩は無く何日にもまたがって延々と行われる。また、遅れた選手は容赦なくタイムアウトで失格となる為、基本的に常に競り合いが楽しめる。不眠不休で戦い続けるアスリートたちの姿は世界中の人々に感動を与えている。当然、熱心なファンは自分たちも不眠不休で応援し続ける。審判団もずっと不眠不休であるため、開催者にとってもエクストリームスポーツであると言える。20世紀末に始まったこの競技はまだ歴史も浅く、まさに21世紀と共に成長する競技であり、それだけに今後の期待が大きい。

なお、件の会話をした二人の隊員は、意味不明な競技を生み出してしまったことから自責の念に苛まれ、一人は自殺、もう一人はノイローゼで除隊後に実家の煙草店を引き継ぎつつ、養蜂に精を出して細々と生きているそうである。

歴代大会[編集]

第1回(1998年)[編集]

日本岐阜県で開催。約86,000人の参加者を集め、お祭りムードで開催された。その中には有名アスリートも顔を並べ、まさに陸上競技の祭典と言うべきものだった。

競技開始直後から脱落者が相次ぎ、20番目の種目である『ロデオ』の時点で2,500人にまで減少していたが、大会主催者は「想定の範囲です」と言って競技を続行した。しかし、81番目の種目『うさぎ跳び』で最後まで頑張っていたドイツのヨハン・シュミット選手が突然の精神錯乱を起こして審判に殴りかかり、失格となったことで競技は終了した。自己申告によるリタイア約64,000人、重軽傷者約12,000人、死者約6,000人、行方不明者約7,000人という、まずまずの結果であった。計算があわないという指摘は誰も相手にしていない。

この大会の最高齢参加者はジャッキー・チェン選手で、彼は最初の『フルマラソン』の1.2㎞地点でリタイアしたにもかかわらず、「年寄りの冷や水で賞」だけはちゃっかり持ち帰った。

第2回(1999年)[編集]

起点はモンゴルのウランバートルであったが、アンゴルモアの大王がモンゴルに降り立つというが広まり、これを恐れた参加者が次々と参加を棄権して競技は成立しなかった。ただしジャッキー・チェン選手は「やっぱり年の功で賞」だけ持ち帰った。

第3回(2000年)[編集]

フランスのベローナが起点であったが、2000年問題を言い訳にサボった参加者が多く、集まったのはわずか500人という寂しさであった。また、この大会から『フルマラソン』が廃止され、かわりに『ダブルマラソン』(84.390㎞)が導入されたために参加者が意気消沈し、55番目の競技『エクストリーム・草むしり』までに全員がリタイアした。重軽傷者102人、死者13人、行方不明者5人という結果も不評であったのも確かであり、成功した大会とは言えなかった。ジャッキー・チェン選手は「まだまだ年寄りとは言わせないで賞」だけ持ち帰った。

大会終了後、西暦ではなく皇紀を使っている日本で開催すれば2000年問題は起きなかったのでは? との声が上がったが、日本の主催者は「第1回大会で大変だったんで、二度と主催したくない」と強固に反対したと言う。

第4回(2001年)[編集]

主催国であったアメリカがオサマ・ビン・ラディンとのエクストリーム・かくれんぼに夢中で、開催するのを忘れたために中止となった。

第5回(2002年)[編集]

スイスのアクラが起点となった。3度に渡る中止や実質的不成立で本格的開催を待ち望んでいた人も多く、過去最大の96,000人を集めた。土地柄、『ダブルマラソン』後に雪山の『登山』、続けて『遭難』へと競技が進むことになったが、この『遭難』から生還できた者が一人もおらず、わずか3種目で終了となった。この大会は自主リタイアが43,000人、ドクターストップが17,000人、死者と行方不明者が36,000人と、なかなか派手な結果を残している。ジャッキー・チェン選手は、最初の『ダブルマラソン』でリタイアしていたために事なきを得、「若い者には負けやしないで賞」だけ持ち帰った。

第6回(2003年)[編集]

サウジアラビアのラスアルカジで開催された。前回の失敗を踏まえ、競技は現地の夏に行われた。しかし今度は暑さのためにリタイアが続出した上、20番目の『砂漠ゴルフ』で流砂に呑まれる参加者が後を絶たず、この時点までに75,000人から3,000人に減っていた。また、途中で参加者31人と審判4人が白昼堂々、人々の目の前で目に見えない魔物に貪り食われて別次元へと消えて行くというちょっとしたアクシデントもあり、有力と見られたブラジルのホセ・モレノ選手が脱落した。そんな中、トップ争いは接戦を続けたが、71番目の『我慢比べ』でキムチ鍋を完食できたのが韓国のキム・ミャンギョンとインドのヴァージペーイーだけであり、優勝はこの2人に絞られた。

しかしその後、107番目の『水泳』でペルシャ湾を泳いでいる最中、イラク戦争のために展開していた米軍テロリストと勘違いして、2人を射殺するという痛ましい事故が起き、ここで競技は終了した。競技後、米軍は「ちゃんと freeeeeze! と言ったのに……」と言い訳した。ジャッキー・チェン選手は「墓場まで頑張れるで賞」だけ持ち帰った。

第7回(2004年)[編集]

やはり夏は危険だということで、再び冬に競技が開催された。起点はロシアのダゲスタンからウクライナのルーツクまでの2ヶ国共同開催であった。途中ロシア国内で、給水のために地元小学校に入った参加者がテロリストの小学校襲撃に巻き込まれて約7,000人が死亡するというアクシデントがあったが、その後は順調に進んだ。接戦が続く中、65番目の『かけこみ乗車』で地元の強みを見せたロシアのミハイル・ボゴダビッチがトップに躍り出る。僅差で2位につけていたケニアのケレルは寒さに悩まされ、141番目の『氷柱抱き』で凍死してボゴダビッチが1位独走となった。しかしその後、171番目の『エクストリーム・掃除』を原子力発電所跡で行っている最中に気分が悪くなってリタイア、他に競技を続行している者がいないために終了し、ジャッキー・チェン選手は「伊達に歳食ってないで賞」だけ持ち帰った。

なお、ミハイル・ボゴダビッチは、2週間後に放射線障害で亡くなった。

第8回(2005年)[編集]

パキスタンインドミャンマーインドネシアの4ヶ国での共同開催となった。途中、31番目の『ピンポンダッシュ』でオサマ・ビン・ラディン宅の呼び鈴を鳴らしてしまい、10,000人ほどの参加者がアル・カイダ兵に射殺されるというアクシデントもあったが、穏やかな気候も手伝って競技は順調に進んだ。初の完走者が期待されたものの、ゴール目前の290番目にスマトラ島の海岸で行われた『西瓜割り』の最中、突然の津波に参加者と審判団全員が流されて競技は終了した。参加者58,000人のうち、死者および行方不明者37,000人という、まさにサバイバルレースであった。途中リタイアしていたジャッキー・チェン選手は難を逃れ、「棺桶担いででも走るで賞」だけ持ち帰った。

第9回(2006年)[編集]

南アフリカ共和国で開催されたが、参加者のうち白人と日本人しか入国できず、スタートラインについたのは、予定していた88,000人のうち、わずか3,000人あまりであった。競技は87番目の『金鉱跡探検』で、有力選手が次々と行方不明になる中、暗くて狭いところが好きな日本人の強みを生かした田中一郎が独走態勢に入るも、161番目の『借り物競走』でヨハネスブルクに入った参加者と審判団が全員行方不明となり、この年も完走者が出なかった。ジャッキー・チェン選手は「そろそろ引退と言われているで賞」だけ持ち帰った。

第10回(2007年)[編集]

北朝鮮で開催されることとなった。直前まで国際情勢が不安定で、開催が危ぶまれたが、我らの敬愛する偉大なる将軍様の「万難を排してでも競技を見たい」との要望と、「自国民を北朝鮮に送り込め!」とのブッシュ大統領の思惑が一致、「たかが馬鹿競技じゃん」と冷ややかな態度を選んだ日本を無視して、国際関係を改善し、無事開催されることとなった。なお、開催の3日前に突如、一部の参加者が参加を拒否されて問題となった。この決定に対し、参加拒否を受けた人々が「我々拉致連を何だと思っている! 日本政府は今すぐ北朝鮮に経済制裁を加えろ!」との声明を出したが、誰も相手にしなかったので、騒ぎはすぐに収まった。この騒ぎの結果、参加者は若干減って7,300人弱となった。

今回の大会は、1番目の『マスゲーム』の成績順にスタートするという趣向であった。見苦しすぎるとの理由で、南北アメリカ出身選手の大半である1,200人ほどが、朝鮮人民軍に逮捕され、そのまま帰国しないという予想外のアクシデントがあったが、まったく順調な滑り出しであった。17番目の『トリプルマラソン』では、ゴール直前までに脱落した者が500人程度で参加者の馴れも伺えたが、お忍びでこっそり観戦していた金同志の前で、敬礼しなかった1,500人ほどが射殺され、例年通りの盛り上がりを見せた。31番目の『DMZ横断』までに1,800人もの参加者が競技を続け、初の完走者が期待されたが、先頭集団がDMZに入った瞬間に韓国軍が発砲、北朝鮮側がそれに応戦し流れ弾で集団のほとんどが射殺された上、残った選手も地雷に触れて次々と脱落したために、急遽この競技は中止され、最終日までに何か一つ追加することで決定された。

97番目の『エクストリーム・うさぎ跳び』が始まって2時間ほどが経過したころ、本来なら参加できないはずの選手が紛れ込んでいることが判明。主催者がコース上に何枚かの人物の写真を配置した結果、11名の日本人が写真を踏むことができずに人民兵に連行された。なお、写真を踏み越えた選手たちは一様に「あれは誰ですか? 全然知らない人でした。ところで日本と北朝鮮はどうしてここまで揉めているのですか?」と答えている。

競技は213番目まで続いても、70名が残っており、完走の期待はますます強まったが、続く『銅像倒し』で不遜にも将軍様の銅像に手をかけたため、全員射殺され、競技はついに終了した。そのため、最終競技を『エクストリーム・帰宅』にするか『クーデター』にするかで最後まで揉めていた、アメリカと北朝鮮の喧嘩は収まることとなった。ジャッキー・チェン選手は、『マスゲーム』で難なくトップ通過したが、2番目『エクストリーム・草むしり』において、“アクロバティックぎっくり腰”を披露したためリタイア。「もはや気力しかないで賞」だけ持ち帰った。

第11回(2008年)[編集]

予定通りパキスタンで開催されたが、スタート地点だけはニューヨークのウォール街であった。最初の競技は『エクストリーム・株取引』であり、参加者は与えられた100ドルを証券・先物取引で増やして、各自パキスタンまでの航空券を買うことになっていた。折からの好況に沸くウォール街ではこの競技は簡単すぎると見られていたが、競技が始まってすぐにバブルが崩壊してしまったために、大半の参加者は元手を増やすことが出来なかった。そのためウォール街には75,000人が集まったにもかかわらず、パキスタン入りしたのは4,000人にとどまった。

その後は順調に進んだが、25番目の『トリプルマラソン』ではコースが管理ラインを跨いでいたため、インドへの検問を突破した時点でビザを持っていなかった多くの参加者が射殺されるという痛ましい事件も起こった。その結果、参加者はさらに減って250人になってしまった。主催者のパキスタン人は「あそこも本来はパキスタンの領土のはずだから、苦情ならインド政府に言ってくれ」とコメントした。その後は1名の脱落者もなく、初の完走者が出ることも期待されたが、203番目の『スタンディングオナベーション』で競技者が公衆の面前で性器を露出してしまったために、イラスム教の戒律に触れたことで競技者全員がサーベルで斬首され、ここで競技は終了した。ジャッキー・チェン選手は、最初の競技は難なく通過したものの、パキスタンで香港映画が上映されていないことに落胆して早々にリタイアしてしまった。帰国する際に「カルチャーショックについていけないで賞」だけ持ち帰った。

第12回(2009年)[編集]

アメリカ合衆国での開催となった。何でも世界一が好きで目立ちたがり屋のアメリカ人が150,000人も参加したことから、参加者は全部で152,000人となった。開会式ではバラク・オバマ大統領が”YES, YOU CAN!”と挨拶して参加者を鼓舞した。

第10回大会とは逆に北朝鮮の工作員5名が参加者として潜入したが、そのことを察知したCIAが急遽2番目の種目を『エクストリーム・身体検査』に、会場をアズグレイブに変更した。なお工作員らは全員2番目の競技でリタイアしたと記録されている。そういえば昨日のニュース映像で、アズグレイブ刑務所の中から囚人服を着たアフガン人やイラク人に混じって5人の朝鮮人が写っていたような気がしたが、とくに気になるものでもない。

その後は『コーラ一気飲み』、『牛肉の脂身の早食い』、『クレーム合戦』などの種目も行われ、これらの競技を苦手とする日本人は早々に脱落したが、アメリカ人は軽々とこなし、100種目が終わった時点でまだ127,000人が競技を続けていた。だが101番目の『エクストリーム・暗算』と102番目の『エクストリーム・ダイエット』が終わった時点で参加者は1,400人にまで減り、ようやくトライクタスロンらしくなってくる。さらにアメリカの広大な土地を生かした『グランドキャニオン直線走り』、『ミシシッピ川競泳』なども行われる。競技終盤には自動車レースも行われたが、一部のトヨタ車でブレーキが効かなくなるアクシデントが発生し、事故で10人が死亡するなどしたが、残り30種目を残してなお8人の黒人選手が競技を続けていた。しかし272番目の『マイアミ深夜マラソン』で、5人が強盗に射殺され、3人がKKKに殴り殺される結果に終わり、ここで競技は終了した。ジャッキー・チェン選手は競技でラスベガスに寄ったついでに映画を一本撮影してしまったために無念のタイムアウトとなった。帰り際に「たまには真面目に参加してほしいで賞」と映画のギャラ1000万ドルを持ち帰った。

後日オバマ大統領は「YES YOU CAN と言ったのに誰も完走できなかった責任を取るべし」と議会で糾弾され、さらにアズグレイブ刑務所の問題が再燃して政界が混乱したようだが、大したことではない。また、マイアミ深夜マラソンの結果を巡ってアムネスティ・インターナショナルが騒ぎ出したようだが、やはり誰も気にしなかった。

第13回(2010年)[編集]

当初予告の通りブラジルでの開催となった。近い将来開催が予定されているオリンピックおよびワールドカップの前哨戦とされた。12月開催のため、寒い北半球からホットかつサンバの姉ちゃんを期待して(実際は時期外れ)南半球の当地に多数参加者が押し寄せてくれたおかげで、総参加者は194,000人に達した。

最初の競技は『エクストリーム・猛暑』であったが、ほぼ全ての参加者が猛暑織り込み済みだったため脱落者が出ず、続く第2競技は第11回大会以来2度目の『エクストリーム・株取引』だったが、ブラジルは新興国『BRICs』の一角を占めており、トレーダーや投資家が本業の選手たちが効率的にポイントを稼ぐ。その後『トリプルマラソン』、『エクストリーム・サイクリング』ではさすがの灼熱で脱落者がちらほらと現れ、序盤最初の山場。29番目から33番目の『エクストリーム・草むしり』、『エクストリーム・焼き討ち』、『登山』、『クロスカントリースキー』の連続競技に突入した。流れとしては「一通り草むしりした後にブラジルで現在も行われている焼畑農業と同時に焼き討ちを決行、その後に木がなくなった山に登った後に山頂からスキー(ただしエクストリーム版として雪はない)を行う」流れだったものの、スキーで滑降していた先頭グループが、まだ焼き討ち中の森林に突入し多数焼死、燃やした煙が山頂に上がって登山中の選手が窒息するなど、ここだけで24,000人脱落or死亡し、まずまずの立ち上がりで盛り上がりを見せる。91番目の『高速土下座』では土下座文化のある日本人選手が高得点をたたき出すが、慣れぬそれ以外の選手たちが超高速で頭を地面に打ち付けて8,000人が脱落。116番目『F5連打』はやはりと言っていいべきか、韓国人選手がダントツでトップに躍り出る。149番目『高速バス』の一部で大会的には歓迎する不慮のバスガス爆発開催による犠牲者が少数発生。188番目『捕鯨』では、南極海に張り付いていたシー・シェパード呼んでもいないのに登場。お決まりの酪酸投擲が始まったが、オーストラリア代表やアメリカ代表の選手がシー・シェパード側に寝返ったため38,900人が失格。その中でも手持ちのものを投擲して応戦する選手もいたが、一方でお忍び観戦していたルラ大統領に物をぶつけた選手は、いくらシー・シェパード代表とおんなじヒゲだとしても容赦なく失格となり、これでさらに60,000人が脱落した。ただし、ゲスト観戦していた同じ南米のマラドーナ(アルゼンチン)に物をぶつけても特段罰則はなかった。

それでもまだ60,000人ほどが競技を続けていたが、201番目『水泳』をアマゾン川で実行した際、運良く悪く逆流現象「ポロロッカ」が発生。選手が濁流にのみ込まれたほか、川に生息するピラニアに食われるなどして57,000人が脱落または行方不明。いよいよ参加者は3,000人に減少した。

207番目『氷柱抱き』は猛暑のため早々に氷が解けたため脱落者数名、208番目『うさぎ跳び』は209番目『エクストリーム・ロッククライミング』と同時開催でリオデジャネイロ・コルコバードの丘を目的地に行われたが2,300人が脱落。700人程度でロッククライミングに挑むが当然命綱なしのため、上の方まで上った選手が滑落すると下の方で上っている選手に直撃してもろとも落下するなどトライクタスロンでは盛り上がる対象となる潰し合いがいよいよ始まり、競技もヒートアップする。崖を登り切れたのは40人で、210番目『ハイジのブランコ』はこのコルコバードの丘にあるキリスト像(高さ30メートル、幅28メートル)の手の先で実施。211番目『銅像倒し』は、参加者同士が銅像が見当たらないため、そのまま目の前のキリスト像を張っ倒すことに決め、参加者たちが仲良く倒してはみるが、倒す傍から「それ石像じゃね?」という冷静なツッコミや、倒したら倒したで石像が勢い余って崖から真っ逆さまに落下したため、崖の下に甚大な被害を及ぼし、まだブランコ中だった19人が一緒に転落。残った参加者も当局に拘束されたり近隣住民に審判団もろとも袋叩きにされたため、ここで競技が終了。今年も完走者は出なかった。なお、当局に拘束され禁固刑を受けた参加者は「同じ宗教の像でも、牛久大仏だったら高さも4倍だし青銅製だから銅像じゃん……日本でやりゃよかったのに。」とボヤいていたそうな。なお、ジャッキー・チェン選手はブラジルにおいて過去に大した活躍(映画ロケ)などが無く、観光に走ったため失格となり、「この続きはリタイア生活で賞」だけ香港に持ち帰った。

第14回(2011年)[編集]

スペインでの開催となった。スペインの実行委員会は潤沢な資金を用意していたが、それをギリシャ国債で運用していたために大会の運営資金の多くを失うことになった。さらにスポンサーだったカダフィ大佐ムバーラク大統領からも資金提供を受けられない事態となったため、状況は一転し、貧乏大会となってしまった。

それでも83,000人が参加し、トマト祭りに便乗した『エクストリーム・トマト合戦』や、もうひとつの特産品であるオリーブを使った『エクストリーム・白い鳩招き』などが行われ、参加者もテンションが上がってくる。しかし厳しい予算の中で行われた『パエリャ早食い』で、具材の魚介類が冷凍食品だったことが判明。グルメ大国フランスの参加者が一気に意気消沈してリタイアするなど、資金面で悩まされる状況が続いた。

中盤戦に入ると『ピレネー山脈縦走』などの体力勝負の種目も増え、盛り上がりを見せる。中でも中盤の山場である『闘牛』では、牛の角に突かれたり蹴飛ばされる参加者が続出。あたり一面で染まったが、実行委員会は真っ赤なトマトの果汁だと言い張って競技はそのまま進行した。後半戦に入ると選手の移動が多くなったが、実行委員会はその費用をケチってジプシーの幌馬車を使ったため、気まぐれなジプシーにおかしな場所に連れて行かれる参加者が続出し、リタイアがさらに増え始める。

それでも残り80種目を残して149人が競技を続けていた。ここまで財政難で悩まされたので、後半戦くらいはデカいことをしようと考えた実行委員会は、突如228種目を『日の沈まない国スペイン帝国を記念して世界一周』とした。参加者は手漕ぎボートで世界一周を目指したが、サルガッソーにつかまった者、シー・シェパードに絡まれた者、東北地方太平洋沖地震の遠隔地津波に巻き込まれた者などが多数おり、スペインに戻ってきたのは僅か4人であった。その後この4人は奮闘し、299番目の『エクストリーム・ゲルニカ模写』までをクリア。史上初めて300番目の種目に到達した。

300番目は『聖家族教会建設』で、2013年6月に中国の陳選手が脳梗塞で倒れそのまま死亡したものの、依然として地元スペインのガルシア選手、ロシアのマルコフ選手、メキシコのフィデラ選手の3人が現在も競技中である。最後の競技とあってどの選手も持てる力を振り絞っているようだが、少なくとも向こう数十年は誰もこの競技を突破できないと見られており、寿命との戦いになりつつある。

ジャッキー・チェン選手は珍しく真面目に競技に参加していたが、『パエリャの早食い』に大嫌いなアサリが入っていたために完食できず、無念のリタイアとなった。帰国の際に「いい年だから食わず嫌いも克服したいで賞」とアサリ50kgを授与された。

第15回(2012年)[編集]

バチカン市国で開催された。大会当日にはエントリーしようと隣国イタリアローマに90,000人が集まったが、バチカンは国土面積があまりに狭く、半数以下の40,000人しか物理的に入国できなかった。

第1種目は、もはや恒例となった『トリプルマラソン』からスタートしたが、これも面積の狭さ故、同じ場所を100周以上も走ることとなったため、意気消沈する選手が続出。早くも10,000人に減った。さらにサン・ピエトロ大聖堂の大天蓋を舞台に競技が進行したが、堂内の通路はこれまた狭く、肥満体のアメリカ人は入場できない事態となった。さらに宗教的な理由から、イラン人、イラク人なども多数棄権し、5種目終わった時点で参加者は800人にまで減ってしまった。

16番目のかけこみ乗車は、さすがに隣国のローマで開催されるだろうと思い込んだ参加者が続出したが、バチカン国鉄を舞台にひっそりと開催され、この時点で参加者は350人となってしまった。

23番目の競技となった国際文通では、封筒に隣国イタリアの切手を貼った参加者が失格となった(バチカンは独自の切手を発行しており、イタリアの切手は国内では使えない)。また、登山では「バチカンに山なんてあるの?」と混乱してリタイアするものも現れた(バチカン国内でも50m以上の高低差があり、ルール上は最高地点に行くことが登山とみなされる)。このように参加者は最後までバチカンでの本競技に慣れることなく、54番目のスカートめくりまでに全員がリタイアした(バチカン国民に女性はほとんどいない。また露出の高い服は禁止されている)。

ジャッキー・チェン選手は第1種目のトリプルマラソンで、サン・ピエトロ広場の列柱廊の上を飛び跳ねるというショートカットを行ったために失格となった。去り際に「今度は水上アクションを披露して欲しいで賞」を授与された(なお、バチカンには海や湖沼、河川は一切存在しない)。

また、不調に終わった今大会の責任を取る形で、ベネディクト16世は翌年退位に追い込まれた。参加者達からは「その後行われたコンクラーヴェが一番エクストリームスポーツらしかった」と囁かれた。

第16回(2013年)[編集]

トライクタスロン発祥の国・日本で行われた。かつて、「二度とやりたくない」と主張した日本だったが、それを乗り越えての開催となった。主催者側は当初100,000人の参加者を見込んでいたが、韓国・中国のボイコットにより、参加者はおよそ70,000人となった。

今回の第1種目は、『箱根駅伝』からスタート。これを完走した後、第2種目の『トリプルマラソン』を行った。

その後は東京都付近が会場となり、順調に進んだが、東京から札幌までの移動を兼ねた第25種目「エクストリーム・エアレース」で180人もの選手がタイムアウトで失格になり、そのまま第26~30種目「エクストリーム・ラリー」「エクストリーム・リエゾン」「エクストリーム・ラリークロス」「エクストリーム・ドライビング」「エクストリーム・ジェットスキー」の連続競技に突入した。流れとしては、

  1. ラリー・ジャパンのコースを使いラリー競技を行う。使用車両はくじ引きで決定され、15秒間隔でスタート。
  2. 完走後、使用した車両をそのまま運転して札幌ドームに向かう。ドライバーズポイントが発生するような運転はその場で失格。また到着時間は1/1000秒単位で計測されており、早くても遅くても失格。
  3. 札幌ドームの駐車場に特設されたコースでラリークロス(周回レース)を行う。柵などは一切設置されておらず、激しいコースアウトなどは当然失格。
  4. 使用した車両を運転し、小樽港まで向かう。ドライバーズポイントが発生したら当然失格。また、1000人ごとに点数が最も低い選手も失格となる。
  5. ジェットスキーで東京・竹芝桟橋まで戻る。コースはブイで指定されており、少しでもはみ出したら失格。

といったような流れである。

ところがこの連続競技は、「運」の要素も絡むものであった。5位にいたティモ・ベルナルドセン(フィンランド)は、くじ引きでフォード・ピントを引いてしまい、性能差で勝る6位のアレックス・ダンカン(アメリカ)のスバル・インプレッサと絡む事故を起こし炎上、故障して止まっていた4位のリチャード・ダナー(イギリス)の車に激突して二人ともリタイアしてしまう。他にもエクストリーム・ラリークロスでは、競り合いながら道幅が極端に狭くなった立体交差に突入して2台とも転落事故を起こすなど、潰し合いが多発。幸いなことに死者は出なかったものの、2,200人が脱落した。

札幌到着後は順調に進行し、第200種目「かけこみ乗車」に到達。これをクリアした50人が次の競技に向けて函館へ向かうが、乗っていた電車が突如炎上。煙を吸ったりパニックを起こしたり等で30人がリタイアし、函館に着いたのは20人だけになってしまった。その後も競技は続き第215種目「早食い」に突入。6人の選手が競技を続けていたが、出てきた餃子に農薬が混入していたため、全員が吐き気を催してリタイア。ここで競技は終了となった。

ジャッキー・チェン選手は第1種目の『箱根駅伝』で最終10区を走る予定であったが、8区の走者が脱水症状を起こしてペースダウンしてしまったのが災いしてトップチームとの差が20分を超えたため、走ることなく無念の失格となった。帰り際に「とことんツイてないで賞」を授与された。

第17回(2014年)[編集]

10年振りにロシアで開催され、85,000人が参加した。ソチオリンピックが開催されたことから、それに便乗する形で、同地でウィンタースポーツの競技が多数開催された。

最初の種目はスキージャンプだが、エクストリームヒルと名付けられた特別仕様のジャンプ台はK点が500メートルであった。滞空時間が長すぎて風に流される選手が続出、着地斜面に着地できたのは57,000人にとどまった。次の種目のリュージュも、走路の斜度が最大88度に設計されていたため、選手たちは漏れなく墜落することになった。この調子で最初の30種目を終えた段階で、選手は921人にまで減っていた。

第31種目からはクリミア半島に渡って、トリプルマラソンなどの定番の競技が進行した。クリミアはロシアではないと、ウクライナは主催国であるロシアに再三抗議を行っていたが、ロシア側は、クリミアはロシアに併合されたとして、ウクライナの抗議を無視して競技を続行した。しかし184番目の種目まで進んだところで、国連総会決議によりロシアの対応が非難され、世界の主要国がクリミア併合を認めない方針を示した。そのため、国際トライクタスロン協会は、第31種目以降の記録を抹消するとともに、再度第31種目からやり直すことを命じた。これには参加者もさすがに意気消沈し、全員がリタイアしてしまったため、ここで競技は終了した。

ジャッキー・チェン選手は、高所からの落下に慣れていたこともあり、第2種目の垂直落下リュージュ競技をあまりにも華麗にクリアしてしまったため、八百長ドーピングを疑われて失格となった。主催者からは賞はもらえなかったが、集まったファンが「華麗なアクションもほどほどにしま賞」を贈呈した。

第18回(2015年)[編集]

ケニアで開催された。9年ぶりのアフリカ大陸での開催であった。

アメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領の故郷でもあり、アメリカから多くの参加者が集まり、112,000人で最初の競技をスタートした。第1種目はエクストリーム・暗算で、もともと数学が苦手なケニアや近隣諸国の参加者は遅れを取るが、アメリカ人も同様に時間がかかってあまり差がつかなかった。第2種目は恒例のトリプルマラソンで、ここでケニア人や隣国のエチオピア人が一気にリードを奪う。ここまでで多くのアメリカ人はリタイアし、日本や中国などのアジア人とアフリカ人、それにイギリスやドイツなどのヨーロッパ人の戦いに絞られる。

第22種目はコーヒー収穫で、勤勉なアジア人はなんとかパスしたが、ヨーロッパ人はほとんどがリタイアした。競技報告書には「ヨーロッパ人は植民地支配の意識が抜けず、アフリカ人がせっせと収穫する様を、ふんぞり返って眺めていただけだったため」と記されている。もっとも、アフリカ人が積年の恨みを晴らすためにコーヒーノキで縛ったり吊るしたりとリンチを加えたというのが真相のようだが、今となっては確かめようもない。

第45種目はケニア山登山であった。登山も日本人や中国人の得意とするところであり、標高4,000メートルほどまでリードを奪っていたが、このあたりからゾウが出没。蹴り飛ばされたり踏みつけられるものが続出した。ここまでタイ人として唯一残っていたマハチャ選手は、像使いの経験を生かして懐柔を試みるが、一蹴されてリタイアとなった(インドゾウは温厚だが、アフリカゾウは獰猛である)。

さらに第90種目からは北東州に舞台を移したが、大会事務局が第93種目のF5アタックの会場を探していたところ、4月1日にガリッサ大学が休校になったという情報を聞きつけ、翌2日の早朝から同大学を舞台に競技が開始された。しかし開始30分後に武装勢力が押し入り、参加者はAK47などで銃撃されるなどして全員がリタイアした。武装勢力は、アメリカ人やヨーロッパ人といったキリスト教徒の参加者を一掃するために襲撃したようだが、この時点で競技を続けていたのは、地元アフリカ人とわずかなアジア人だけであり、犯人たちはその事実に天を仰いだという。

ジャッキー・チェン選手は、ケニア山登山で、他のアジア人の例に漏れずアフリカゾウに襲われたが、ゾウの突進を軽々とかわして見せた。その様子がマサイ族の男たちの目に留まり、「お前はすごい。俺たちにもその身のこなしを教えろ」とせがまれ引き留められたため、無念のタイムアウトとなった。帰り際に「今度は動物アクションを披露してほしいで賞」を授与された。

第19回(2016年)[編集]

予定通りキューバで開催。今回はトライクタスロンでは珍しく、「安全第一」をモットーにした開催となった。

第1種目は新設の3m徒競走。判定はスロービデオが用いられ、小数点以下5桁まで正確な値を出した。この競技での成績によって第2種目の「ダブルマラソン」のスタート時間が変わる設定だが、僅か0.00001秒の差でスタート時間が5分変わることがしばしばあったので、多くの選手が意気消沈し、約100,000人いた参加者が29,000人まで減少した。

第2種目は復活種目のダブルマラソン。というのも、トリプルマラソンを後半に設置した結果、ダブルマラソンが復活した。その結果、ほぼ全員が生き残り、次に進んだ。

その後も多くの選手がゲームを続けていたが、第137種目の「遭難」で何故か国外に遭難して行方不明になるプレイヤーが続出、次に進んだのは4,700人となった。この時点で開催国キューバの選手は全員脱落した。

第299種目は今大会初出の5倍マラソン(約212km)。これには多くの選手がタイムアウトにより失格となった。しかし、生き残った選手は歴代最多の356人。史上初の300種目達成者が現れることに期待が高まった。ところが、第300種目はエクストリーム・帰宅だった。帰宅するということはキューバから離れる必要があり、キューバ国内での開催とは言えないとして全員が失格または脱落または自爆を選択、また300種目制覇者は現れなかった。

ジャッキー・チェン選手は3m徒競走で最下位となり、出発時間が遅れた結果ダブルマラソンで脱落した。しかし、「帰ってもやることがない」という理由で一部の種目にチャリティー参加、「家に帰るまでがトライクタスロンで賞」を持ち帰った。

第20回大会の展望[編集]

2017年の第20回大会は、北朝鮮で開催される予定である。

予定されている競技(一部)[編集]

Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

賞金・賞品[編集]

優勝者には「びっくりするようなもの」が与えられるというが、実際に優勝した人がいないため、その正体はわかっていない。「ナウル共和国の国籍」との噂もある。また、「シーランド公国の大臣就任の権利」との噂もあり、参加予定者はますます意気消沈している。

名言集[編集]

「素晴らしい競技だ。何が素晴らしいって、こんなものを本当にやっちまう■■■■がいるってことだ」
トライクタスロン について、オスカー・ワイルド
「何という困難、何という試練、これこそ21世紀のアメリカンドリームだ!」
トライクタスロン について、A.シュワルツェネッガー
「多けりゃいいってもんじゃねーだろっ!!」
トライクタスロン について、ローマ教皇
「なぜこの競技に参加するのかって? 正直、僕にも意味不明なんだ」
トライクタスロン について、田中一郎
「うわ、こいつらほんとにやってるよ、馬鹿じゃねーの!?」
トライクタスロン について、第1回大会の観戦者の一人
「また来るかって? 来るわけないじゃん、馬鹿馬鹿しい」
トライクタスロン について、リタイアしたある参加者の言
「いやぁ、まったく、何というか、これこそまさに史上最強、空前絶後の時間の無駄でしたね」
トライクタスロン について、中継放送後、古舘伊知郎
「苦しみに耐えてよく頑張ったっ! 感動したっ!」
トライクタスロン について、小泉元首相
「いえ、時にはこのようなお祭りが必要だと思います、私は。美しい汗が国を作ると信じていますから」
トライクタスロン について、安倍首相(第1次政権当時)
「まあ、せいぜい頑張ってください。せいぜいね。」
参加選手たち について、福田元首相
「私は自分自身がこういう遊びにつき合うつもりはないんです、あなたとは違うんです
トライクタスロン について、福田元首相
「確かに多くの人の目には馬鹿げた競技に見えるだろう。事故で命を落とす選手までいるという。確かに過酷で熾烈な競技ではあるが、なぁにかえって免疫がつく」
トライクタスロン について、朝日新聞社説より
「来なきゃよかった」
トライクタスロン について、田中三十郎(田中一郎の弟)
「ハイル・ヒットラー!! 今や私は最初の兵士として民衆の先頭に立つ」
チェコ併合 について、アドルフ・ヒトラー
「仔猫の引き取り手を探しています。オレンジ色をした可愛い仔猫4匹です」
我が家の猫 について、メアリー・ワトソン
「ハハキトクスグカエレ」
音信不通の三郎 について、チチ
「G-13型トラクター買いたし」
マフムード・アフマディーネジャード について、ジョージ・W・ブッシュ

関連項目[編集]