ダンディ坂野

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ダンディ坂野( - さかの、1967年1月16日 - )とは、前座芸における若き天才、および、爆笑オンエアバトルにおけるオフエアの神のことである。

ブレイクまでの歴史[編集]

ダンディ坂野、通称ダンディの歴史は、十代の終わり、若い頃から抱き続けてきた芸能人に対する憧れを胸に上京するところから始まる。バイトしながら専門学校に通い、その後、なんとか大川興業所属の芸人としてデビューする(現在はサンミュージック所属)。しかし、20代から30代はじめにかけて、特筆することもとくにない芸能活動に従事している。その間、彼はマクドナルドでバイトしながら、最終的に店長もこなすなど、半芸半社会人というポジションに甘んじている。なお、マクドナルドの店長の立場は、30代半ばまで続けている。しかし、そのような立場の中でも、後輩達にバイトを斡旋したり、相談に乗ったりするなど、その後のダンディ坂野の芸の根本となる人の良さを発揮している。

ゲッツ!

ブレイクのきっかけは、1999年3月に始まったNHKのお笑い番組、爆笑オンエアバトルの第1回に出演し、見事オンエアされたことから始まる。世の中に笑えそうで笑えないけど、まぁ、なんかいいと思わせる芸を認めさせた功労者と言え、その後、アンガールズをもって確立される芸風「グダグダ感」も、当時はダンディの持つ芸として世間一般に認識させている(ただし、似通った芸風としてダンディ以前に村上ショージが行っているものもあるが、ダンディとは違い出のスタイルと引っ込むスタイルが存在しない)。

ゲッツ&ターン!

なお、この第1回オンエアバトルには、他にもまだ無名だったころのラーメンズはなわがオンエアされたり、かつ、その時すでに知名度抜群だったアンジャッシュが落ちるなど、ある種、その後のお笑い番組におけるエポックメイキングといえるような密度の濃い内容だった。

ゲッツ&ターン&リバース!

しかし、その後はオフエアの連続で、ある種、終わった感の漂うような状況が数年間続く。しかし、爆笑オンエアバトルの固有ファンが徐々に増え、世の中全体にお笑いブームのきざしが見えてくるにしたがって、常にオフエア。だけど、計量シーンで一番目立つという、他の出演者にはなかったその個性が注目されるようになってゆく。これは、に華がなく、タキシードが似合わず、何よりも、「なんで普通の人が混じってるの?」というぐらいに一般人のオーラをかもし出すその立ち姿が強烈な印象を与え続けたためである。また、ダンディ自身、連続オフエアという芸人としてはかなりの逆境にたえ続けたことは賞賛に値する。そして、少しずつではあるが、まったく売れていないにも関わらず、「ダンディ=違う意味で笑える」という図式がなりたっていく。

ゲッツ&ターン&リバース&ステップステップ!

ついにブレイク[編集]

2003年を境にして次々と爆笑オンエアバトル出身の若手芸人が次々と売れていく中、ある意味、爆笑オンエアバトルのオフエアの神と化していたダンディにもスポットライトが当たる。それまでの環境とは打って変わって、徐々にテレビ出演が増えていく中、予想外なことに、ダンディの判りやすい芸が子供達に大うけしていく。これは、それまで漫才やコントなど若者が中心だったお笑い番組に新たなターゲット層が生まれたことを意味する。以前なら、子供達のマネするお笑いには、PTAなどの団体による圧力が向けられるのが常だったが、ダンディ自身の人柄と、持ちネタに人をさげすむもの(ダンディ自身を除く)や下ネタなどがなかったことが、無意味な圧力を避ける大きな役割を果たすことになる(なお、同時期にブレイクしたテツandトモにも同様のことが言える)。

そして、その後、10ヶ月に渡り秘密戦隊シリーズ(デカレンジャー)にゲスト出演したり、ウルフルズの「ガッツだぜ!!」をパロディ化したCDを発売したり、悪名高きエンタの神様に出演するなど休み無しで早朝から深夜まで働き続けた結果、ダンディ自身に安定した面白さ(客からの期待)が宿ることになり、それまで連敗続きだったオンエアバトルでもオンエアされる回数が格段に増え、かつ、それまではほとんどありえなかった400キロバトル以上を獲得するまでになっていく。

他にも、ヤクルトスワローズに所属していたアレックス・ラミレス選手がホームラン後のパフォーマンスにゲッツを取り入れており、2008年現在でもそれは続いている。

オーケー、サンキュー・ノーベンバー!

その後[編集]

しかし、すでに売れている段階で一発屋との印象をぬぐえなかったダンディは、2004年以降、オンエアバトルを卒業した後は、徐々に飽きられていき、テレビから姿を消していくことになる。これはある意味本人にもわかっていたことといえ、「ブレイクした時点で自分の中で何かが終わった気がした。これからは一発屋芸人というキャラクターになろうと思った」と語っている。その芸に対する姿勢はまさに彼の人柄そのものである。 そして、本を書いたり歌を歌うようになった。2008年9月には、同じ境遇にある小島よしお波田陽区金剛地武志の3人とともに一発屋2008というユニットを作って歌を出すことになった。あれ、金剛地って一発屋だっけ? ・・・というより、いつ一発当てたのか知らないのだが・・・、まあよし。

オーケー、サンキュー・パールハーバー!

彼の与えた影響[編集]

一般人オーラをかもし出す人間でも芸能人になれる。テレビに出られる。売れる。という図式は、その後、大いなる発展を遂げていくことになる。エンタの神様のように、誰とは言わないがダンディ2号、3号、4号などほぼ一般人を次々と売り出してポイ捨てする番組もあれば、アンガールズのように一般人どころか、むしろマイナスオーラを漂わせつつも独自の道を歩んでいくものも出ている。これは、笑えればいいという価値観から、笑えなくても、なんかいいという価値観への大きな移項を表している。ここに、ダンディが切り開いた人柄もまた芸風という、みのもんた島田紳助には難しいスタイルがある。

ライドオーン!

前座芸の天才[編集]

寄席の芸として重要な要素に、トリを食ってはいけない(最後に出てくる演者よりもウケてはいけない)という重要な要素がある。これは、お客さんが最後で丁度満足するぐらいがもっともよいとされる寄席の世界ならではの要素である。そのため、すぐれた前座には、ある程度笑いを抑えつつも客を飽きさせないという難しい芸が要求される。ダンディの前座芸はテツandトモと並ぶ若手お笑い界の至芸といえる。つまり、いまだに同じことをやる。やってくれるという芸である。これは、牧伸二堺すすむゼンジー北京ナポレオンズら大物芸人とならびうる、生き残ってこそ勝利という芸人の到達点を表す。この芸では「久々に見ると結構笑えるじゃん」という感情を持つことができる。だからみんなも久々に見てみよう。1回。

ゲッツ!

関連項目[編集]

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ダンディ坂野」の項目を執筆しています。
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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「ゲッツ! (禁断の技)」の項目を執筆しています。