ソ連の月着陸計画
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ソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会認可
本項の文章と内容は、完全に正しい事実としてソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会第10課長により認定されており、 全ての無産階級人民と、ソビエト連邦共産党員に見せることが認可されています。 この資料を疑うことは思想犯罪であり、疑った場合は国家反逆罪の対象とされます。 |
| ソユーズLOK | ||
|---|---|---|
| | ||
| 概要 | ||
| 用途: | 地球・月軌道の周回 | |
| 乗員: | 2名 | |
| 寸法 | ||
| 全高: | 10.06 m | |
| 直径: | 2.93 m | |
ソ連版有人月面着陸計画(それんばんゆうじんげつめんちゃくりくけいかく)とは、月面探査を目的としたソビエト連邦の有人宇宙飛行プロジェクトである。正式名称はソユーズL3計画。アポロ計画とは違い、最も安全に行われた月探査であるとされている。ソ連には元々、アメリカ合衆国と月面到達一番乗りを競争する意図はなく、アメリカが勝手に競争を始め、結果として「ろくな調査もしないまま」「バックアップも存在しない危険極まりない宇宙船にかけがえの無い人命」を乗せて「一番乗りの名称を手に入れるためだけ」に打ち上げたアポロ計画とは違い人命最優先で行われた計画であるため、決してアメリカに宇宙開発競争で負けたなどという事実は存在しない。
目次 |
[編集] 有人月着陸
ソ連版有人月面着陸は、当初は1970年第四四半期に実施する予定であった。有人月面着陸船(LK)および月周回母船(ソユーズLOK)は、1970年末までに地球周回軌道における無人自動操縦動作テストに成功し開発が終了していたが、超大型ロケット「N-1」の開発が思う様にいかず、有人月面着陸想定時期は最終的に1975年までずれ込んだ。
アメリカ合衆国のアポロ計画に対する、ソ連のソユーズL3計画の違いは、第一に、無人自動操縦が可能であった事、第二に、バックアップ用の無人自動操縦宇宙船と有人宇宙船が並行して打ち上げられる、デュアルミッションの予定であった事である。
つまり、全自動化された人民の宇宙船は簡単な研修でだれでも操縦可能で、全手動式の自由主義陣営の宇宙船とは違い極めて庶民的な乗り物である。
一部でN-1ロケットの開発が難航したのは第一段に30基ものロケットエンジンをクラスターしたのが原因という説があるが、決してそのような事実は無い、むしろ大量生産可能なエンジンを使用したことで、どこかの超大国のようにバカみたいなコストでロケットを作ることなく、人民の夢を格安で作ることができた優秀なロケットである。
[編集] 計画全容
[編集] 飛行実績
前段階の実験で失敗も含め無人機で18回のテスト飛行と有人機で3機が打ち上げられ無人月面探査機も17機打ち上げられ、万全の態勢で計画は進められた。
ソユーズL3計画では3回の有人飛行とそれに付随する無人機が13機打ち上げられ、これとは別に月面での安全確保と調査のための無人探査機が15機打ち上げられた。
[編集] ミッション一覧
| 打上年月日 | 宇宙船名 | ミッション目的 | 使用ロケット | 搭乗者 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1969年2月21日 | N-1 | 打上げ試験 | N-1 | (無人) | N-1ロケットの初打ち上げ(失敗)。 |
| 1969年7月3日 | N-1 | 打上げ試験 | N-1 | (無人) | N-1ロケット2度目の打ち上げ(失敗)。 |
| 1969年11月28日 | ソユーズLOK | 月周回母船試験 (地球軌道上) | プロトン | (無人) | プロトンロケットの不調により失敗 |
| 1970年11月1日 | ソユーズLOK | 着陸船試験 | 月周回母船試験 (地球軌道上)| プロトン | (無人) | 完全な成功 |
| 1970年12月2日 | ソユーズLOK | 着陸船試験 | プロトン | (無人) | 初の月面着陸船の地球軌道上テスト(完全な成功) |
| 1971年1月12日 | LK | 着陸船試験 | プロトン | (無人) | 二度目の月面着陸船の地球軌道上テスト(完全な成功) |
| 1971年2月21日 | LK | 着陸船試験 | プロトン | (無人) | 三度目の月面着陸船の地球軌道上テスト(完全な成功) |
| 1971年6月24日 | N-1 | 打上げ試験 | N-1 | (無人) | N-1ロケット3度目の打ち上げ(失敗)。 |
| 1972年11月23日 | ソユーズLOK | 着陸船試験 | 月周回母船試験 (月周回軌道上)| N-1 | (無人) | 月軌道上の自動操縦装置のテストのために月着陸船とともに打ち上げられるが、N-1ロケットの爆発により失敗 |
| 1974年8月22日 | ソユーズLOK | 着陸船試験 | 月周回母船試験 (月周回軌道上)| N-1-F | (無人) | 月軌道上の自動操縦装置のテストのために月着陸船とともに打ち上げられ完全な成功を収める。 |
| 1974年12月14日 | ソユーズLOK | 着陸船試験 | 月周回母船試験 (月周回軌道上)| N-1-F | (無人) | 月軌道上の自動操縦装置の二度目のテスト。(成功) |
| 1975年3月20日 | ルナホート3・4号 | 月面車打ち上げ | プロトン | (無人) | 生命維持装置を搭載した無人月面車打ち上げ。 |
| 1975年4月13日 | ソユーズLOK1号 | 月着陸 | N-1-F | (無人) | 豊かの海に着陸 故障時のバックアップ用。 |
| 1975年4月17日 | ソユーズLOK2号 | 月着陸 | N-1-F | ヴァレンチナ・ヴラディミロヴナ・テレシコヴァ イリーナ・ソロウィオワ | 豊かの海に着陸 女性初の月着陸。 |
| 1975年4月20日 | ルナホート5・6号 | 月面車打ち上げ | プロトン | (無人) | 生命維持装置を搭載した無人月面車打ち上げ。 |
| 1975年4月7日 | ソユーズLOK3号 | 月着陸 | N-1-F | (無人) | 豊かの海に着陸。 故障時のバックアップ用。 |
| 1975年5月11日 | ソユーズLOK4号 | 月着陸 | N-1-F | アレクセイ・レオーノフ パベル・ベリャーエフ | 豊かの海に着陸。 月面での金属結晶生成実験 |
| 1975年7月5日 | ルナホート7号、8号 | 月面車打ち上げ | プロトン | (無人) | 生命維持装置を搭載した無人月面車打ち上げ。 |
| 1975年8月2日 | ソユーズLOK5号 | 月着陸 | N-1-F | (無人) | モスクワの海に着陸。 故障時のバックアップ用。 |
| 1975年8月6日 | ソユーズLOK6号 | 月着陸 | N-1-F | ゲルマン・ステパノヴィチ・チトフ ヴァレリー・ブィコフスキー | モスクワの海に着陸。 人類初の月の裏側への着陸。 ソユーズL3計画での最後の飛行。 |
[編集] 各ミッションの詳細
[編集] ソユーズLOK2号
ソユーズLOK2号は5日前に打ち上げられたバックアップ用のソユーズLOK1号の正常な作動が確認された後の1975年4月17日にバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた、地球周回軌道を一日回った後、月へと向かう軌道に乗った。
1975年4月22日、月周回軌道に到達したソユーズLOK2号からヴァレンチナ・ヴラディミロヴナ・テレシコヴァが宇宙遊泳で月着陸船に移動した後、月着陸船LK2号はソユーズLOK2号から切り離された、イリーナ・ソロウィオワはソユーズLOK2号に残り月周回飛行を続けた。
LK2号は、既に有人月面着陸予定地点で待機しているルノホート3・4号からの位置電波信号を頼りに、ルノホート3・4号の近傍に全自動で着陸地点へ向かい、4月22日午後5時10分に着陸した。
着陸から6時間後にテレシコワは月面に降り立ち、有名な「私は今、全労働者の代表として月に降り立った、これは国家社会主義の歴史に永遠に記録されるであろう」の言葉を残した。
その後、地球へテレビ映像を送っているルノホート3号の近くでソ連国旗をたて、その国旗は月面上で見事に翻った。
テレシコワは1時間30分の月面船外活動で標本採集、地中に地震計の設置などを終了させ、着陸から24時間後の4月23日午後5時に月面から離れた、回収された月面標本は55kgであった。また、記念品としてレーニンの肖像画を残していった、この肖像画は未来永劫この地で輝き続けるだろう。
月を離陸したLK2号は月周回軌道のソユーズLOK2号とドッキングしテレシコワは再び宇宙遊泳でLOK2号に戻った、その後一日の月軌道周回を行った後に地球へ帰還した。
2人の宇宙飛行士は5月2日にソ連カザフ共和国の草原に着陸した。
この打ち上げはソユーズLOK2号が月へ向かう軌道に乗るまで一切の報道はされておらず、4月18日になって臨時ニュースで放送された、しかしこの時点でも月着陸が目的とは報道されず、「テレシコワ・ソロウィオワが月に向かった」と報道されたのみであった。
そして4月22日の月着陸後に「ソビエトは有人月着陸に成功した」と発表した。その日はレーニンの誕生日であった。
打ち上げられるN-1ロケット
[編集] ソユーズLOK4号
1975年5月11日に打ち上げられたLOK3号は5月16日に月に着陸した、着陸者は世界初の宇宙遊泳を行った、アレクセイ・レオーノフであった。
レオーノフはルナホート6号によって持ち込まれた機材を使用して、月面上での金属結晶生成実験を行った(材料は地球から持ち込んだ)、実験を行った金属は鉄、銅、アルミ、チタン四種類で実験は成功し月ではじめて作られた製品となった。 また標本回収も行い、80kgの標本を採集した、月面での滞在時間は48時間とL3計画でもっとも長かった。
なお、レオーノフは月面に初めて酒(ウオッカ)を持ち込んだ人物であるとされることもあるが、事実ではない。
5月21日に地球に帰還、ソ連カザフ共和国の草原に着陸した。
[編集] ソユーズLOK6号
1975年8月6日に打ち上げられたLOK6号は人類で始めて地球の裏側に着陸した、着陸者はゲルマン・ステパノヴィチ・チトフで月面滞在時間は6時間、標本採集量は90kg。
「私はいま月の大地を離れます、次に我々が訪れるのがいつなのかはわかりません、ただひとつだけ覚えておいて欲しいのです、それは社会主義が地球を離れついに月まで届いたということを、全世界の皆さんが月を見上げたとき社会主義の偉大さを思い出して欲しいのです」
- —ゲルマン・ステパノヴィチ・チトフ現時点で月面を歩行した最後の人類で社会主義者。(1975年8月6日)
[編集] ソ連月着陸捏造説
これほどの成果を挙げているにもかかわらず、ソ連による月着陸は無かったとする主張が存在する。まったく嘆かわしい。捏造説の根拠は次のようなものである。
- 莫大な予算がかかるはずで、当時のソ連に出せるはずが無い。
- 打ち上げ用のN-1ロケット第一段に使われている30基ものロケットの同時使用など出来るわけがない。
- テレシコワが立てたソ連国旗が翻ったとあるが、真空の月で翻るわけがない。
- そもそも見たことも聞いたことも無い。
これらはいずれも根拠の無いものである以下、その反論を列挙する。
(以下は、前述の指摘に対応する反論である)
- 人民の不屈の努力によって捻出された。
- 技術者の不屈の努力によって克服された。
- ソ連国旗はいかなる場所でも翻る。
- あとでシベリアに来い。
[編集] 関連項目
| この項目「ソ連の月着陸計画」はまだ書きかけということを認める。ソビエトロシアでは、この項目があなたを加筆する!! (Portal:スタブ) |

