ジュビロ磐田

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ジュビロ磐田( - いわた)は、静岡県……じゃなかった浜松県磐田市を本拠地とするサッカークラブ……じゃなかったサイキッカークラブである。

概説[編集]

浜松県の全域を地盤とするプロサッカーチームである。しかし、本拠地である浜松県出身の選手は意外と少なく、実際にはお隣静岡県で生まれ育った選手が多い。浜松県と静岡県は「海道一の弓取り」こと今川義元の領土であったが、このジュビロ磐田も何かにつけて「海道一のサッカーチーム」を名乗りたがっている。

1993年にはJリーグに加盟する予定であったが、静岡県の納谷某っていうチンピラと、愛知県に肩を持つ道玄坂官僚のせいで、初年度からのJリーグ加盟を却下された。このせいで、このチームのサポーターには、静岡県と愛知県に対する反発が強いと言われている

選手層[編集]

サッカーブラジル代表みたいな喧嘩スタイルを特徴とする。同じメロンの大産地であるチバラキ県鹿嶋市を本拠地とする鹿島アントラーズとは派手な喧嘩を繰り広げており、浜松県民は「ナマズみたいでキモイんだよ!」「地元なのにゴンにもトシヤにも逃げられてやんの。惨めだな!」と鹿島アントラーズを嘲っている。対するチバラキ県民は、「うなぎパイばかり食ってるんじゃねえ!」「あんたの所の選手に浜松県出身者がどれだけいるんだっぺ?」「大岩君はチバラキ県に帰って来たけどな!」とジュビロ磐田を嘲り返すなどして、お互いに日頃のストレスを解消しているようである。

親会社[編集]

親会社は「いいだのいい家」で知られる飯田産業。稀にヤマハが親会社だと思っている方もいるようだが、それなら本拠地は磐田市ではなく浜松市であるはずであるし、ホームのユニフォームも水色ではなくエメラルドグリーンオレンジになっているはずである。これらの二つの点から、ヤマハではなく飯田産業が親会社であることは明確である。しかし、その飯田産業が東京ヴェルディ1969のスポンサーをやっているという噂が……。いやいや、ジュビロの親会社なんだからそんなことはあるはずない。

なお、飯田産業は企業名を前面に出さないというJリーグの理念に共鳴し、現在ではユニフォームから名前を外している。「企業名を出さなければ意味が無い」などとほざいているどっかの独裁者には、飯田産業の社長の爪の垢でも煎じて飲んでもらいたいものだ。

また、地元出身のアイドルである長澤まさみも、親族を人的出資して支援していた。

マスコット[編集]

貧血を起こしたジュビロくん

偉大なる歴史[編集]

  • 1972年 設立
  • 1993年 Jリーグ入りを狙うがお隣のみかん様(ライバルチーム)に先を越されてしまう。この時、日本サッカー協会静岡県浜松県が分かれていることを知らずに「同じ県にJのチームは2つもいらんだろ、ましてや静岡みたいなクソ田舎にはw」と言われて加入を1年先送りされる。
  • 1994年 Jリーグに加入
  • 1997年1998年 リーグ優勝
  • 1999年 アジアクラブ選手権で優勝
  • 2002年 Jリーグ完全制覇
  • 2003年 最終節に逆転負け。その結果優勝は横浜F・マリノスに決まる。しかしなんだかんだ言っても天皇杯で優勝している。
  • 2004年 1stステージマリノスに及ばず2位になり、それ以降は弱小として華々しい輝きを放つことになる。
  • 2008年 入れ替え戦を戦うことになった。ここでジュビロはクラブ設立以来最大の罪を犯す。ベガルタ仙台とのホームでの一戦、ジュビロは手始めに2点先取という罪を犯す。その後、ロスタイムに2-1とされる。ここで追いつかれればアウェーゴールルールで仙台昇格となる。これを達成すれば「ヤマハの悲劇」と呼ばれて国民栄誉賞を受賞できたはずだったのだが、ジュビロは守りきり、仙台を磐田で抹消するという重い罪を犯すことになってしまった。
  • 2010年 弱くなったはずなのにヤマザキナビスコカップと呼ばれる開催方式がしばしば変わることで知られるカップ戦で優勝してしまった。山崎(ヤマザキ)という選手も活躍。(降格フラグが立った気がするが、気にする必要はない)
  • 2011年 J2降格が決定?(詳しくはFC東京さんに聞けばいいと思います)。ひっそりと開催方式がしばしば変わることで知られるカップ戦で優勝したチームが出る大会で優勝してさらに降格フラグを立ててしまったが、監督退任を餌に復調し降格を免れる。
  • 2012年 開幕はこの年ぶっちぎりの最下位だった札幌と引き分けおいおいという声が上がったが、その後調子が上がり一時は2位におり首位攻防戦で激闘を演じたりして中盤まで優勝争いをしていて名門復活か?とマスコミに報道されたりしてサポーターも期待していたが終盤、前年まで監督をやっていた柳下の呪いで勝てなくなり8試合未勝利(2分け6敗)、で残留争いに食い込んでいった残り2試合を残し他チームの結果で辛くも残留を決めた。そして翌週、残留がかかっていたガンバ大阪相手にこれまで不調で2か月近くゴールのなかった死神前田遼一が直々にゴールとアシストを決め、ガンバ大阪をJ2と呼ばれる地獄に叩き落とした。
  • 2013年 地獄に叩き落とされた。
  • 2014年 地獄に叩き落された。
  • 2015年 ようやく地獄から這い上がる。ようやく。静岡ダービー?何ですか、それは?

ライバルチーム[編集]

ジュビロ磐田のライバルチームは自称王国チームの清水エスパルスである。しかしジュビロとエスパルスの関係はジュビロのライバルがエスパルスではなくエスパルスの方がジュビロを勝手にライバル視している。リーグタイトルの数では清水が0なのに対し、磐田は3と上回り、対戦成績で見ても、今のところジュビロが圧倒している。

ただ、Jリーグ発足時に強豪と言われていたヤマハを差し置いて、無名と言われていた清水の市民クラブがなぜか先んじてJリーグ入りを果たしたことから、ジュビロのエスパルスに対するライバル視も一応ある。

実際はお互いに同県のクラブとして意識し合っているだけのことである。

また、ジュビロファンの多くは昔、派手な喧嘩を繰り広げた鹿島アントラーズをライバル視してたりすると言われている。

関連項目[編集]