ジェフユナイテッド市原・千葉

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ジェフユナイテッド市原・千葉(ジェフユナイテッドいちはらちば)とは、松田聖子の彼氏だと思われている、日本のプロサッカーチームである。愛称は。本拠地は市原市であったが、後に隣町の千葉市に移転した。

概要[編集]

1993年より前は、JFLで最強を誇りJリーグ参入後に下位チームに弱くなり上位チームに強い物理的にありえないチームになった。1993年の開幕時から参加はしていたが、当時の浦和レッズガンバ大阪名古屋グランパスとならんでJリーグのお荷物クラブであった。しかしながら、現在でもその当時の映像がTVで流されるのは、ライバルチームのスーパープレーを度々アシストして来た「やられ役」としての評価のお陰である。開幕当時から現在まで嘲われて来たが、前身の古河電工時代より半万年の永きにわたって一度も下部リーグに降格したことがないことを唯一の誇りとしていた(が、2009年ついにJ2へ降格。チームの誇りは完全かつ永久に失われることとなった)。この要因は、松田聖子の浮気癖が乗り移って、プロ入り前に同じチームにいた選手たちが、移籍によってこのチームで再会した為である(例:1992年卒の四中工OB、何年卒だったか駒大OB)。また、ここの選手たちは松田聖子の浮気癖を持っている為に、外のチームに略奪される事が多い。だかしかしほかのチームでは全く使えないカスとなる。そのため戻ってくる不届きものまで・・・。

天地開闢以来初のJ2落ちがよっぽどショックで足腰立たなくなったのか、それとも単にJ2の居心地が良いんでJ1に帰りたくなくなったのか、はたまたJ1行き特急券を売っているみどりの窓口を未だ見つけられないからなのか、降格してからはどっぷりとJ2ライフを満喫している様子。2012年から導入されたJ1昇格プレーオフにはとりあえず毎年参加しているが、どうせプレーオフ上がりのチームは大惨敗してJ2に帰って来るってことが解っているため、その昇格枠をヨソ様に譲って、翌年そのブザマな負けっぷりを見て嗤うことに喜びを見出し始めている。

歴史[編集]

  • 1965年 日本サッカーリーグ誕生。アマチュアの強豪だった古河電工サッカー部が参加。成績は意外とパッとしないが、日本サッカー界を牛耳る一大派閥となって長沼健川淵三郎などを送り込み、彼等はやがて検閲により削除と称賛される事になる。
  • 1977年 奥寺康彦をドイツへ9年間出向させる。今だったら中田英寿ぐらいの大スターになってもおかしくなかったが、当時の日本はガチの野球国家だったため、今ひとつ地味。
  • 1991年 Jリーグ発足決定。古河電工はゴール裏の社員寮とセットで三ツ沢を占拠していたが、クラブ自体が横浜生まれの日産自動車全日空に泣き付かれ転居。共同経営者となったJR東日本と一緒に、「サッカー王国」として株を上げている千葉県を本拠地にしようと企図。すったもんだの結果、市原臨海競技場に落ち着く。
  • 1993年 ジェフ誕生。当初チームにはドイツ代表であったリトバルスキーオルデネビッツが在籍していた。日本において、サッカーの神様は普通ジーコを指すが、ジェフではリトバルスキーである。初代監督は古河時代のエース、永井良和だったけど結果はお察し下さい。以後、「椅子男」川淵の愛憎こもった視線がジェフに降り注ぐ羽目に。
  • 1996年 ジェフは奥寺監督。生え抜きの監督で優勝!という夢は及ばず、1年で辞任。この後はずっと外国人監督。奥寺は帰巣本能が働いたようで、その後は三ツ沢に出来た「市民クラブ」の顔となる。
  • 1997年 日本サッカー協会の会長になっていた長沼健が、岡田武史を代表監督に任命してWC初出場を決める。古河閥の勝利!でもジェフの成績はパッとせず、同年以降は観客動員最下位が定着。
  • 1998年 何を錯覚したのか、ハンドボールの監督であるザムフィール氏を2ndステージから招聘する。ザムフィール監督が在籍時、フィールドプレイヤーすべてが手を使うことを許されていたので、この年から始まった入れ替え(参入)戦での降格からはからくも脱出を果たしたのである。フランスWCが終わって岡田武史はフリーになったが、ジェフには復らず。
  • 1999年 ジェフの暗黒時代は続き、この年も低迷。ところが浦和レッズがそれ以上の大混乱に陥り、しかも前年の参入戦でジェフに負けたアビスパ福岡がまた落ちてきてくれて、最終節での勝利で大逆転残留に成功。落ちたのは福田のゴールが15分遅かった浦和。この頃から「一部残留」神話が生まれる。
  • 2002年 FIFAワールドカップ2002、テクニカルスタディーズグループ・チーフというなんだか凄そうな肩書きをもったジョゼフ・ベングロッュ監督が就任するが、その指導力はハンドボールの監督であったザムフィールとたいして変わるものではなかった。
  • 2003年 ジェフ暗黒時代の終結である。この年ロード・オブ・ザ・リングの世界からやって来た偉大な魔法使いであるイビチャ・オシムが監督に就任することとなり、彼の強力な人体強化魔法により無限の体力を、また知力強化魔法により、犬並の知能しかなかった選手たちを賢者に変え、複雑な戦術を理解させることに成功した。これにより、ジェフは負け犬軍団から勝ち犬軍団に変貌した。しかしその代償として大量のニワカサポを生むこととなる。
  • 2005年 前年からホームタウンに加えていた千葉市に「フクダ電子アリーナ」が開業し、今までの「遠い・小さい・見づらい」で観客を逃がし続けていたのが一転、関東でトップクラスの観戦環境を持つクラブに変身(鹿島は行くまで遠いし、浦和は駅から遠いし、横浜は席から遠いし)。ハードどソフトが揃い、ジェフの黄金時代は約束されたね!とサポーター達は思っていた。
  • 2006年 強力な魔法使いを我がものとしようとした日本サッカー協会のどくs……「キャプテン」、川淵のジャイアニズムによってオシム監督を略奪されるが、毎年のように選手を略奪されているジェフにとっては特別驚くべきことではない。ジェフのものは皆のもの、皆のものはキャプテンのものである。こうしてオシムの魔法は解け、再びジェフの暗黒時代が始まることとなる。
  • 2007年 イビチャの息子、アマル・オシムが指揮したがパッとせず。偉大すぎる父を持った二代目の苦悩をサポーター皆で共有する。シーズン後にあんな事が起きて……(以下翌年)。
  • 2008年、ギャンブル中毒の新監督が来日。「日本代表いっぱいいるし大丈夫だろ」と余裕ぶっこいてたが、主力が大量に移籍&移籍志願していたことを知らされておらず、雑誌のインタビューで初めて知らされる。どれ位離脱したかというと、2008年カレンダーの表紙を飾っていた6人の内5人が別チームに脱走(実話)という惨状である。当然ながら、主力を失ったジェフは大幅に戦力が低下、11戦を終えて9敗2分と崖っぷちに。そんな中、大英帝国からミラーマン招聘、チバプールとして再生したジェフの残留が果たされるのか注目されたが、最終戦で奇跡の残留を果たし、リーグ優勝した鹿島アントラーズを喰って2008年の主役に躍り出た。驚異の残留力はゲッターガッツのなせる技であり、ジェフが「ゲッター線に選ばれた黄色いチーム」との証明になっている。
  • 2009年、前年度の奇跡の残留に味を占め、「まあ、適当にやってりゃまた残留出来るだろ」とロクな補強もせずシーズンに突入するも、当然のごとく低調な成績に終始した。 奇跡というものはなかなか起きないから奇跡というのに・・・ シーズン2/3を消化した所でさすがにヤバイと感じたフロントは、ミラーマンを星に帰してコーチを昇格させるという大鉈を振るうも戦績はさらに悪化し、前身のクラブを含めた初の2部降格を味わうハメになった。そりゃそうだ、普通補強だろ、そこは!!これに対しフロント側は、「地球に降り注ぐゲッター線の量が一時的に減少したため」と強弁。同様にゲッターカラーを持つ「丸の内御三家」である柏レイソル浦和レッズも低迷しているため、一定の説得力を持つものの、サポーターの気持ちはそんな事で収まるはずはなく、こうしてアンサイクロペディアにグチを書かれることとなった。なお、この年の途中からチバプールではなくチバルサに生まれ変わらんとがんばっているけど、やっぱりダメくさそう。「一部」のプライドはこの年からLリーグで昇格したレディースに託された。
  • 2010年、前年度コーチから監督に昇格した、上から目線でおなじみの江ケツ監督の手腕によって、案の定2部残留。ジェフの奇跡的な残留をしっかりと証明した。
  • 2011年、お察し下さい。女子チーム所属の丸山桂里奈が女子WCで活躍して日本が優勝したため、突如やってきた「なでしこブーム」の大涛に乗った、と思ったら五輪予選で丸山が大ケガ。同年オフには、秋葉四十八ファンである丸山は、浮気癖が乗り移って高槻に移籍。
  • 2012年、J1昇格プレーオフの決勝まで勝ち進み残り5分で昇格なのに、去年まで共にプレーしていた仲間に裏切られ、冗談抜きのJ2残留。鈴木監督もサポータ、フロント、千葉県に住む犬の逆鱗に触れ更迭された後、千葉の陰謀により存在を消された。
WIN BY ALL!(左下の人はまた脱走しました。というか、全員脱走しました。)

スタジアム[編集]

  • 市原臨海競技場 海に近い立地のため風がハンパないぐらい吹き荒れ、選手がスタジアムから吹き飛ばされることも多々あったという。「臨界」の略称が広く定着し、ジェフの千葉市(フクダ)移転がちらついてから市原市が慌てて作ったバックスタンドの「神殿」はそのまま産業遺跡となっている。
  • フクダ電子アリーナ サッカー専用スタジアムなので観客にとって非常に見やすい構造となっているため、観客席の傾斜がきつく、女性のスカートの中がのぞけてしまうほどであり、男性サポーターから「福あり」として親しまれている。JRで行くにはとても便利、それ以外ではかなり行きにくい蘇我駅が最寄り駅と、その立地には千葉市が凄く配慮してくれた。

関連[編集]


この項目「ジェフユナイテッド市原・千葉」は、執筆者自身は結構気に入っていますが、どう見てもクソの山です。本当にありがとうございました。JR東日本に訴えられないうちにさっさととりかえることをお勧めします。 (Portal:スタブ)