シャドウゲイト

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シャドウゲイト ( : Shadowgate) とは「しんのゆうしゃ」の英雄譚である。原作はアメリカ産だが本項目では日本版を取り上げる。

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概要[編集]

1989年3月31日にケムコ(ナムコではない)が発売したファミリーコンピュータ用のゲームである。主人公は魔王ワーロックの潜むシャドウゲイト城に単身挑む事となる。また、ジャンルとしてはアドベンチャーであるが、その文体と日本流翻訳から非常に優秀な文学作品としても名高い。

冒険の始まり[編集]

主人公に対してドルイドのひとりに「お前こそしんのゆうしゃだ。魔王ワーロックを倒せるのはお前しかいない、頼んだ。」と無責任な事を言い放ち、魔王の潜む城に大した力を持たない主人公を叩き込むところから始まる。この主人公であるが、とても感化され易い性格らしくこの胡散臭いドルイドの言葉を鵜呑みにして以後「しんのゆうしゃ」を名乗るようになる。わたしこそ しんの ゆうしゃだ!

しかし非常に残念な事ではあるが、ドルイドには人を見る目が無かった。この「しんのゆうしゃ」になりきってしまう主人公だが、冒険者としての才能どころか人間に必要な最低限の常識すら無かった。彼はロクな装備も無く、松明一本で罠だらけの城に挑むリスクにも関わらず、全く下準備も下調べもせずに、戦略なんてクソ食らえとばかりに行き当たりばったりで虎口に飛び込んでしまう愚を冒しただけではなく、「剣を自分に使え」と命令すれば切腹自殺し、松明を自分に使えと命令すると髪が燃え焼身自殺する。恐らくプレイヤーは皆彼に装備させたかったはずだが、残念ながらこのゲームは剣を持って正攻法でモンスターは倒せないし元々使い道も無い。この無謀でキチガイな自称しんのゆうしゃを魔王ワーロックに勝たせるのがこのゲームを買ってしまったプレイヤーの使命である。無茶振りも大概にすべきである。

自殺癖[編集]

しんのゆうしゃには自殺せねばならないという決まりがあるのかと疑いたくなるほど頻繁に自殺を図る。猛烈に熱された油を見れば飛び込み、穴を見つけては飛び込んで足を折り、鏡を見ては割って宇宙空間に放り出される。いやまぁ最後の例は明らかに罠なので自殺には当たらないかもしれないが、問題外なほどに意味不明な死因が多すぎるのである。

特に有名な自殺としては「わたしは さけびごえを あげ ほのおの なかへホップ ステップ ジャンプ…かーるいす!!」と叫びながら炎に飛び込む、「わたしは はなを つまみ あぶらのなかへとびこんだ。あづーっ!!」と言いながら上記の炎を起こす油に飛び込むシーンなどがある。挙げ句の果てには溶岩の中に飛び込んでどうして こんなことを させるんだ!!とプレイヤーのせいにする始末である。 なんだこのキチガイは! もはや完全に生きて帰るつもりが無い。しんのゆうしゃは死ぬ事と見つけたのだろうか。

他にも後述する(彼にとって)生死に関わる松明でも、消えると生死に関わる事なのに、冷たい水や炎を消すものなどに突っ込んで、わざわざ勝手に自滅し、その死のバリエーションの豊富さを増やす変な意味で重要な、そして意味の無い要素を造り上げている。

勇気[編集]

彼は「ゆうしゃ」である。漢字で書くと「勇者」、勇気ある者である。しかし文字通り自称であるためシャドウゲイト城内で幽霊や怪物に遭遇すると「こわくて ちかづけない」と言い放つ。そして攻撃すらしてこない幽霊を怖がるわりに溶岩に飛び込む事はできるらしい。その際に彼は「どうして こんなことを させるんだ!!」と主張しているが、プレイヤーだって幼児でも解るような危険なものにまさか飛び込むとは思うまい。彼は勇気を何か別のものを履き違えている可能性が非常に高い、多分無謀と。

詩の才能[編集]

ドルイドをして「しんのゆうしゃ」たる主人公であるが、ゲーム内の台詞を読む限りでは明らかに勇者よりも吟遊詩人に向いていることが分かる。有名なものとしては「最後に私が見たものは、暗闇の中で妖しく光を投げかける星の瞬きだった」というものがあり、辞世の句でありながらとっさにこれだけのものを詠めるのは才能としか言いようがない。

それがどんなに惨たらしく、悲惨極まりない状況であっても、どんなにマヌケでおバカな自殺をしでかしたとしても、彼は己に与えられた(あるいは自分で呼びこんだ)残酷=自業自得な運命を享受し、自らの死に様を詠うのである。彼は勇者などではなく、二代目星新一を目指すべきであった。

ゲーム性[編集]

死のバリエーションがとても多く、アドベンチャーよりもむしろ死の描写を如何にして増やすかに勝負を賭けたゲーム性である。ゲームの謎解きそのものはなかなか難しく、ゲーム慣れしていないプレイヤーには非常に難解なものが多い。逆にシャドウゲイト的な探索系アドベンチャーに慣れている手だれならばどうにかなる仕掛けも多く、多少理不尽であるもののゲームそのものは十二分に及第点であろう。

しかし、前述したようにしんのゆうしゃの奇行によって、よりゲームクリアが困難になってしまっているのは否めない。勝手に底なしの井戸に落っこちたり、戻ってくれば問題も無さそうな梯子をどこまでも下って行って結局は足を踏み外して(何故?)落ちたり、着地の際に受け身を採れず(採らず)に骨折して結局自滅・・・という猪武者そのまんまな姿にはただただ疑問とツッコミが生まれるのみである。

謎解き以外の面でも松明の明かりという生存に関わる重要要素があり、コマンドを60回近く行うと、松明が暗くなり最終的には消えてしまう。ただ見えなくなるだけかと思いきや、真っ暗になるとパニくった主人公が勝手に足を滑らせて、足りないオツムを壁にぶつけてゲームオーバーとなる。待て、そうじゃない。プレイヤーはそんな事望んじゃいなかった、冷静に新しい松明を灯して欲しかっただけなんだ。

そして前述でもあるように、松明は諸刃の剣でもあり、これをセルフして使うと勝手に火傷し、挙句に焼死してしまうというオマケまで付いている、というか、松明をこんな形で自害に用いさせるゲーム=人物なんてのは、シャドウゲイト=しんのゆうしゃ位なもんであろう。

死神[編集]

いつもお仕事お疲れ様です。

このゲームのMVPキャラクターである。主人公が事あるごとに罠に嵌まって絶命するか、お得意の自殺行為を働くか、あるいはひ弱なボディを魔物のエサに捧げてしまった時、そのたびに律儀に主人公の魂を運ぶ=無謀な冒険を再挑戦させるために現れ、それ故に主人公最大の親友がこの死神だとも云われるのも頷ける話である。

前の勇者は自害するような愚か者でしたが、次の勇者もきっと上手くやるはずもなく自害するでしょう。穴や亀に衝突するたびに人数を減らす配管工以上に、ちょっと高いトコから飛び降りて昇天する洞窟探検家のように死ぬ勇者のために毎度毎度出張してくれる死神は恐怖の対象でもなんでもなく、もはや萌えキャラと言っても過言では無い。頑張れ死神、負けるな死神。出張手当は多分無い。

屍の山を越えて[編集]

魔王ワーロックの元へ辿りつくために幾多の勇者たちが散った事だろうか。何かに触れては死に、何かに襲われては死に、何故か危険なものに飛び込んでは死に。…大半が自業自得だという点に目を瞑れば生死を賭けた凄惨な戦いである事は間違いないだろう。目を瞑れば。そして今、しんのゆうしゃの目の前に魔王ワーロックは姿を現すのだ。しんのゆうしゃが世界を救うと信じて…

墓標[編集]

「ざんねん!! わたしの ぼうけんは これで おわってしまった!!」

関連項目[編集]