サントメ・プリンシペ民主共和国

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サントメ・プリンシペ民主共和国(-きょうわこく)とはアフリカにある世界一知名度の低い国である[1]。また経済破綻国家の一つである。

在留外国人はほとんどおらず、あまりの国の小ささゆえに各国から無視されている

現況[編集]

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対外債務残高が国民総生産の460%にも達し、国家経済が破綻している。[2]IMFからの融資を受けてみたり、債権の金利を95%削減してもらったり、あげく世界銀行やIMFからの融資のそれぞれ100%と80%を免除してもらったりしている…が、それでも破産状態。それなのに、知名度の低さゆえ誰にも知られず助けてもらえない[3]

近年では観光業を発展させる動きも見られる、が。そもそもアクセスが悪すぎるため人が来ない、国際電話事情が悪い[4]、治安もそれほど良くない、国土が狭い上に歴史も浅いためこれと言った観光地が無い、十分マラリアに感染できる[5]地域である、等々…の理由により、それも厳しいと思われる。最近領海で油田が見つかったのがせめてもの救いか…。

と、とにかく悲惨な国であるにもかかわらず、その知名度の低さに比例して各国からは華麗にスルーされている。

歴史[編集]

1470年
ポルトガル人がサントメ島とプリンシペ島を発見。アフリカ本土への寄港地として利用。
1493年
あまりの存在の薄さに寄港地としての価値が忘れられ、島はポルトガル王室により個人に譲渡。
1573年
個人に譲渡した事をすっかり忘れたポルトガル王室は、再び島を王領に編入。
1876年
ポルトガルで奴隷制廃止。しかしすっかり存在を忘れられていたサントメ・プリンシペでは奴隷制続行。
1974年
本国ポルトガルは政変などを経てサントメ・プリンシペの存在を完全に忘却。これを期に独立し、サントメ・プリンシペ民主共和国に。
1975年
運よく国連に気付かれたため、サントメ・プリンシペ民主共和国が正式に成立。
2003年
石油利権などに絡む軍事クーデターが起こるも、国際社会は特に気付かず放置。

と言うか、この国は本当に大丈夫なのか[編集]

外交面[編集]

基本的に非同盟の方針をとっている。何かあった時大丈夫なんだろうか…と言う気もするが仕方がない。だって、この国と同盟を組むメリットが見つからないから。

軍事面[編集]

軍事費は年間40万ジンバブエ・ドル、兵力は約600名。なんと、ローマ教皇の軍隊と互角に戦える程の兵力を持つ。

脚注[編集]

  1. ^ カーボベルデ共和国レソトアンドラ公国セントクリストファー・ネービスとともに五大知名度低国と呼ばれている。
  2. ^ 例えば2007年度の貿易額を見てみると、輸入が680万ドル。輸出が6490万。実に6000万ドル近いの赤字である。
  3. ^ 参考までに、2003年度の日本からの技術協力はたった0.05億円。
  4. ^ つまり、何か事件に巻き込まれても自分の国に助けを求められない。
  5. ^ しかも進行が早く、症状が重い熱帯熱マラリア。

外部リンク[編集]



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