サグラダ・ファミリア教会

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サグラダ・ファミリア教会カタルーニャ語表記はSagrada Familiaだし英語フランス語ドイツ語イタリア語でもSagrada Famíliaって同じなのに肝心のラテン語ではちょっと違ってSancta Familiaなのはなぜか分らないけどロシア語ウクライナ語表記Храм Святого Сімействаやセルビア語のСаграда Фамилијаなんてどう発音するのか皆目見当がつかないところに中国語の神圣家族教堂はかろうじて意味が通じるから安心していると同じ東アジアのくせにハングル語사그라다 파밀리아はヨン様好きなおばちゃんに任せるしかないしსაგრადა ფამილიაやسيغرادا فاميليا、সাগ্রাডা ফামিলিয়াに至るとよもや右から読むのか左から読むのかさえ理解不能な、こんな文字でも表記されるこの教会、ちなみに正式名称はEl Temple Expiatori de la Sagrada Família、日本語に訳すと聖家族贖罪教会だが一般人にとってはややこしいことこの上ないので通常は聖家族教会と呼ばれている)は、字面から見ると日本人には桜田ファミリーという公僕の一形態を意味する危ない隠語を思い起こさせる少々かわいそうなネーミングをされた建築中の教会であり、スペイン生まれで建築界の歴史に燦然とその名を刻んだ異端児にして偉大なる建築家アントニオ・ガウディ1852年~1926年)がバルセロナ市に建築を始めたサグラダ・ファミリア、つまりは「聖家族」に捧げるネオ・ゴシック様式の大規模な贖罪教会で、地元バルセロナ市の民間団体である「サン・ホセ協会」が貧しい人々のために聖家族にささげる贖罪教会として建築を計画し、当初はバルセロナ建築学校の教授にして建築家のフランシスコ・ビリャール・ロサーノが無報酬で設計を引き受け、上野動物園開園1日前という1882年3月19日に建築が始まったのだが、翌年になって協会長のホセ・マリア・ボカベーリャと対立し建築から手を引くことになったため、困った協会関係者が著名な建築家だったホアン・マルトレールを頼ったところ、彼の弟子かつ地元出身で新進気鋭と書いて無名と読むような存在だった銅版加工職人の三男ガウディを推薦され、軽い気持ちで設計を頼んだことがケチのつき始め、幼少時代にはすでにクリスマスの飾りのために妙ちくりんな家の紙細工を作っていて、建築学校で彼を教えた校長先生が、「あいつは狂人なのか天才なのか分かりゃしないが、まあ、いつかそのうちはっきりするんじゃないか?」とまでサジを投げた彼の個性っぷりが見事にこの教会の姿かたちにおいて岡本太郎よろしく大爆発したため、なんというか、もう、設計段階からすでに過去に例を見ない教会建築として関係者を唖然とさせた上に、ガウディ自身も、マリ共和国トンブクトゥにある泥土製モスクからヒントを得たとも言われるこのトンデモ設計が妙にツボに入り、資金不足で建設が一時ストップされる度に新しい要素を取り入れてどんどんエスカレートさせてしまい、無名だった時代から変な建築家として死ぬまで、さらには死後になってようやく世界的な建築家としての名声が確立してもなお、完成すると3つの門にそれぞれ4本ずつの塔が立ち、さらに内側にも最高178mにもなる6本の塔を予定しているという嫌になるほど巨大で、五身廊と三袖廊を組み合わせたバジリカ形式という過剰なまでに複雑な聖堂、らせんやねじれだらけの柱や壁、人物像や動物に飽き足らず花とかとか貝類とか野菜とかのモチーフに手当たり次第にくっつけられたテラコッタや陶器片・ガラス片などのモザイク装飾、なぜこんなところにあるのか意味不明な縦横4マスで合計数33はキリスト処刑時の年齢を表すという魔方陣、途中で反対周りになるのは目が廻るのを防ぐためと聞くと科学的な工夫もされていると一瞬感心するが結局それだけ延々と長い螺旋階段、意味がわからない怪物から爆弾を受け取る青年の彫刻など、もういい加減にして欲しいと叫びたくなるような、おどろおどろしくて奇奇怪怪でエグいものに莫大な時間と資金をつぎ込みながらも、まったく教会は完成する様を見せやしないという、一個人のライフワークどころの騒ぎではない、もはやタチの悪さにおいては、数学界におけるフェルマーの最終定理や国際社会におけるパレスチナ問題に匹敵するろくでもない課題を後世の建築界に残してしまい、さらに言えば1926年にガウディが近所の教会に祈りに行く途中で路面電車に轢かれて死亡した段階で、建築開始から既に44年が過ぎていたにも関わらず、未だ教会の地下祭室と東の「キリスト生誕のファサード」の門を除く部分しか出来上がっていないという体たらく、それに付け加えると、ガウディ自身、通常ならば充分な分別を身につけていてもおかしくない74歳のじいさんになっていながら、非常に無責任なことに「神は急がない」などと言いながら自分がぽっくり逝ってしまう可能性に配慮して後任のために建築計画を纏めておくような賢明さなどサラサラどころか微塵も持ち合わせていなかったことも判明したため、一般常識で考えれば仕方なく建築をあきらめるところなのだが、てゆうか、むしろ諦めて平壌柳京ホテルのように廃墟マニアの聖地となるべきところだったのだが、この教会建築という事業が、西ヨーロッパのスタンダードな感覚では、完成まで100年どころか数百年かけても平気の平左な代物であって、ガウディのブットビ設計ですら、神への信仰を地上世界に現出させるだのなんだのという、異教徒には少々理解しがたい理念に彩られていくこととなり、関係者の中で工事を中止するなどといった考えはまったく存在しないがごとくに連綿と続けられていき、さらには、このクレイジー設計者がまだ生きている最中に計画され、一部が完成した「ファサード」という建造物の正面デザインが、新約聖書でいうところのイエス・キリストの生涯を壁面に描き上げるなどという、無謀を通り越してもう行くところまで行っちまったような完成予想図だったため、ある意味、キリスト教の家に生まれた人間にとって止めることなどできるわけがない、しかし余りにも人智に勝る計画と化した感も否めないものであったけれど、実際に工事に着手される前の段階で、マリアヨセフが出会いマリアが大天使に受胎告知を受けるまでを表した北ファザードと、イエスの誕生を表した東ファザード、イエスが成長して悩める人々の救世主となり神の教えを説くようになり、そしてイスカリオテのユダの裏切りによって磔刑に処されるまでの壮大な物語を表した西ファザード、死後のイエスの栄光を示す南ファザードといった具合に、もう、話を聞いただけでクリスチャンだったら辛抱たまらず随喜の涙を流すといった一大叙事詩を彫刻で表し切るという、作っている方、見てる方どちらにとっても一大スペクタクルとしか言いようがないレベルの存在となっていた感すらあり、実際に、この教会建築に関わり続けた変人設計者であるアントニ・ガウディ(カタルーニャ語での発音)ですら、徐々に名声を得て大きな仕事をしていくようになる中、1894年にストレスから断食を始めて命を落としかけ、ホセ・トーラス・バジェス神父の話を聞いて癒されてからは熱烈なクリスチャンとなってしまい、1914年以降は教会関連の設計のみに集中し、さらには1918年以降はサグラダ・ファミリアに住み着いてしまうという、まさにミイラ取りがミイラになるがごとくの変遷を遂げる有様で、その上、最終的に彼の事故死によって、このサグラダ・ファミリアとともに進めていたもう一つの教会建築、「コロニア・グエル教会堂」の工事未完のまま中止されるというような憂き目にも遭ったにもかかわらず、残念というか仕方がないというか、サグラダ・ファミリアの方は、もう止めるに止められない場所にまで行き着いてしまっており、当初、単純にちょっと教会つくろっかな~、などと考えていたサン・ホセ協会の思惑の時空の彼方、バルセロナ市民にスペイン国民、果ては全世界クリスチャンと建築関係者を蟻地獄に落とし込む形で、ガウディの妄想を完成することこそカトリックの使命とまで思い込むような話にまで昇華されてしまったのだけれど、ここだけの話にしてくれぐれも他言無用だが、このガウディという男、後世でこそ鬼才だ雲上人だ世紀末伝説だと名声を博しているが、実は生前、特に若かりし頃はとにかくものぐさかつ怠け者の典型として周囲から煙たがれており、この教会建築についても詳細な設計図など只の一枚も書き残したりせず、単純に市当局にこ~んな建物をぶっ建てますよ~程度の図面しか渡さないまま、まさに内ドーパミンを噴出させて得たインスピレーションの赴くまま教会の模型をいきなり作り、井から紐と錘を吊るして逆さの立面図をこしらえ、それを逆立ちして眺めたりして悦に入ったりなんだり、あれこれそれに支配されてしまったかの如く建築に取り掛かかり、そのスタイルを熱心なキリスト教徒となった後年も持ち続け軸がぶれることがなかったという寺内貫太郎がごとく頑固者で通した上、その最期も、身なりに関心を持っていなかったために電車に轢かれた際行き合わせたタクシーは乗車拒否し、通りすがりの人々の手で運ばれた近所の小病院に担ぎ込まれた時に医者やナースらから浮浪者と間違われて、さらに慈善病院まで移されるなどする間3日間も手当てが施されなかったことが死亡の一因という、不謹慎だが何かの笑い話の結末にしか思えない想定外の死に様だったため、彼を失った悲嘆以上に、彼の生き様についての愚痴や、これからの工事をいったいどうすればいいのかという困惑が、関係者全員の口から漏れたとしても不思議ではなく、加えて彼の死後、1929年からの世界恐慌第二次世界大戦という人類史上に残る未曾有の大混乱が続き、さらにスペイン国内における1936年から1939年にかけてのスペイン内戦といった戦火の中、建築中の教会の資料、特にガウディが生前に残したほんのちょびっとの建築資料の中で最も重要であった教会の模型などが焼失したり破壊されたりしてほとんどが駄目になってしまい、加えて、当然のことながら実際に建築に当たる工事関係者も戦闘に借り出されるわ建築資金は底をつくわ、さらにはバルセロナ市を含めたカタルーニャ地方全体が独裁者であるフランシス・フランコ将軍率いるファシズム政権と対峙したことにより、最終的に1939年1月、バルセロナ市を占領されてしまうわと、とてつもなくろくでもない状況が次から次へと襲い掛かり、ようやく内戦が終結して落ち着くかと思いきや、建築を続けるには占領中の混乱によってさらに少なくなった資料と窮乏した財政は全く頼りにならず、この段階でリストラとかサービス残業とか派遣切りとか思い浮かぶどんなに努力をしようとガウディの崇高な理念に基づいて教会が造れるわけがないという状況が白日の下に晒されたのだから、いっそこんな作業やめてしまえばいいと主張する至極まっとうな人々もついに現れ、また「カタロノア賛歌」で奇抜すぎるデザインを批判しテロリストへ爆破を推奨したジョージ・オーウェルのような人物まで現れたのだが、いかんせん、絶望やら窮乏といった状況に直面した人々がまず考えることと言えば、いわゆる困った時の神頼みというご都合主義であったため、中途半端な姿で建っている教会はこの苦難の時代を経ることによって、人々の厚い信仰の対象、そしてバルセロナ市のシンボル、果てはカタルーニャ地方の象徴となったことは間違いなく、そのような地域意識の渦中にあっては如何に現世的かつ現実的で妥当な考えであろう工事中止の意見など蟷螂のようなもので、結局のところ、そんな話はハナっから存在しないかのごとく無視され、地元住民と教会や工事関係者は建築を決して投げ出したりはせず、フランコによる30年におよぶ独裁政権時代の終焉から1975年に始まるスペイン国王ファン・カルロス1世による立憲君主制時代を経て、民主化政権を迎えるに至ってもなお、スペインの現代史の裏側でまったく変わることのないまま建築は進められていくような状態が続いたが、さすがに怒涛の不幸ラッシュが重なり続けると、工事関係者もちょびっとは脳みそが柔軟性を帯びるのか猫を噛む窮鼠の心情に共感したのか、スペイン自体の経済事情を分析し、一方でフランコ将軍による圧制が終わった後でも変わらずやたらとスペイン中央部に噛み付き続ける独立独歩を信条とするカタルーニャ地方の気質が作用し、さらにはそもそも数百年という単位で国家情勢が将来どのように変遷しても教会の建築を続けていくにはどうすればよいかという大局的な課題にもやっと気づいて頭をひねった結果、ついに関係者の中から人々の信仰心と地元の応援だけに頼らずもっと別な財源を確保したほうが良いという主張が現れ、神聖かつカタルーニャ地方の象徴的な教会という点をとりあえず脇に置いて、世界中から観光客を集めて入場料を徴収し、教会建築の費用に当てるという資本主義に塗れたどものような、ちょっと敬虔たるクリスチャンの行動原理から照らして見るとアレだなあと思われなくもない現実的な選択をすることになったが、折も折、なんと1992年にバルセロナ市で冷戦終了後初の夏季オリンピックが開催されることになるというとんでもない幸運が訪れ、それまでスペイン第二の都市でしかなかったバルセロナが、ヨーロッパトップレベルの観光都市へと急激に発展した結果、これに感化されたかのはいまひとつ不明だが大阪民国首都にして日本第二の都市・大阪市が真似たのか大阪城世界遺産認定を受けようとしたりオリンピックを誘致しようとして結果ひどい財政赤字に陥ってしまうという事態などもあったが、とにかくついにガウディの生前から難題としてつきまとっていた教会建築費の不安がある程度は解消されることになり、併せて、この絶望的に完成されそうにない教会についても、世界的な観光名所というオマケがつくことになっていったのだが、そうすると今度は、何分古い建物であるから仕方がないのであるが、大昔に建築された部分がぼろぼろとはがれ始めるという、スペイン人特有のラテン気質の建築版が発生するという、すなわち、壁面がはがれるわヒビが入るわ、ヨーロッパ特有のレモン汁みたいな強烈な酸性雨で石材が溶け始めるわといった、観光名所としては危険予防や事故被害者からの訴訟回避をする上で致命的な事態が深刻化し、教会の建築と同時平行で修復も行わねばならなくなるというというか、新しい部分の建築よりも崩壊部分の修理やメンテナンスの方に労力がかかるようになってしまい、一向に撤去されない塔並みの高さを持つクレーン用鉄柱を教会構造の一部だと勘違いしてガウディの設計を褒め称える連中まで現れる始末で、言いたくないがスペイン気質いい加減にしろよとしか言いようのない光景が広がることとなり、さらに、それまで常に一心同体と思われた教会建築とバルセロナ市の発展という蜜月関係にも大きく亀裂が入るような、信仰とはまったく関係ない熱狂という勢力が勃興し、バルセロナのシンボルたる地位を脅かしイメージを激変させる事態が生じるのだが、きっかけは1992年に地元のサッカークラブであるFCバルセロナがヨーロッパチャンピオンになったことが大きく、それまでバルセロナといえばサグラダ・ファミリアとほんのちょっとバルサ・ミ・コスであったはずの相関関係が、1990年代後半から、同名のクラブ名はバスケットボールハンドボールチームも使っているのにそこらへんはナチュラルにスルーされつつ、バルセロナ市=FCバルセロナというイメージが強烈になってゆき、21世紀に入ると、すでに世界中の人間にとって、2006年FIFAクラブワールドカップ決勝でFCバルセロナが敗れた際に号泣した日本人少年の写真が配信された件が顕著な例である通り、バルセロナとはサッカーであり、バルセロナ市といえばFCバルセロナという常識が完膚なまでに人々の脳裏に刷り込まれることとなってしまったが、その一方で、このような熱狂には見過ごせない側面が存在しており、実はバルセロナ市にはFCバルセロナ以外にもう一つのサッカークラブRCDエスパニョールという、これまたリーガ・エスパニョーラの中でも結構な実力を持つ有力クラブが存在しているため、教会建築では一枚岩だった市民がサッカー関係の話題となると真っ二つに分かれてしまうという弊害も発生している以上、現在のところ超巨大スポーツ複合企業としてとんでもないほどのお金を市当局に落しているFCバルセロナではあるが、世界的な視点で見る場合と内側から見る場合とではまったく様相が変わってしまうため、世界中の人間がバルセロナのシンボルとは青のユニフォームだと思ったとしても、市民は、とくにエスパニョールファンはライバルに攫われる位ならば、バルセロナのシンボルをこの建築中の教会だと強硬に言い張り続ける可能性が高く、さらに言うならば、イエスへの信仰心という2000年間連綿と続けられた感性とここ10年ばかりで急激に盛り上がった付け焼刃的な熱狂ではやはり月とスッポン、雲泥の差、駿河の富士と一里塚と、全く比べ物にならない気がしなくもないため、50年先や100年先に果たしてサッカーと教会のどちらがバルセロナのシンボルとなっているかは人々の想像に任せるしかないが、実際のところ、実力主義であるスポーツの世界ではFCバルセロナが今後数十年間、いや教会の完成を視野に入れれば数百年間に亘ってサッカー界での覇権を握り続けるような状況はとてつもなく厳しく、バルセロナのシンボルにRCDエスパニョールがなっていたり、もしかしたらハンドボールのFCバルセロナがその地位を占めている可能性だって無きにしも非ず、長い目で見ると結局のところ、やはりバルセロナ市のシンボルはこのまったく全然さっぱりとにかく出来上がることがない教会ってことに落ち着くであろうと考えるのが妥当と言わざるを得ず、さらには2008年に発したアメリカを端緒とする世界的な金融恐慌の余波を被り、超巨大スポーツ企業であるFCバルセロナでもテレビ放映権料の削減やらなにやらで少なからぬダメージを負っている以上、戦争やら災害やらの激動を、さらには刻々と変化し続ける人々の価値観ですら平然と乗り越えて来た実績を持つ教会建築の前には、やはり、人々の熱狂という一時的な感情は熱しやすく冷めやすいもので、分が悪いとしか言いようがないけれど、実はこの教会建築についても、熱狂とは言わぬまでもそれまでのスペインの片隅で行われている超絶に細かい建築作業という認識を一足飛びに超えるような変化が起こっていて、特に21世紀を迎えると、この建築はエジプトスフィンクス同様に人類全体の遺産であり、どちらも目前にKFCの店舗があるという共通性も重視されてこの認識が世界中に広く浸透し、地球の反対側にある日立製作所が砂で作ったサグラダ・ファミリアのオブジェをコマーシャルで使ったり、サントリーも便乗したり、タイでパクリの建物が作られたり、愛知県「お菓子の城」では砂糖で教会形のお菓子が作られたりと、世界中で様々な現象が起こり、またサブカルチャーの世界でも「ルパン三世 お宝返却大作戦!!」「ゼロ THE MAN OF THE CREATION」「トリニティ・ブラッド」「DANDANだんく!」「未来予想図 〜ア・イ・シ・テ・ルのサイン〜」などで作品の舞台やモチーフに使われたりしつつも、ある意味ガウディの生存していた近代における建築技術と現代の最先端の建築技術の架け橋的な存在感をもつに至っていることは否定できないが、その上さらに修復技術についても重要な継承の場となっているところなど受領は転んでも土を掴むということわざがぴったり当てはまり、さらには前述したように2000年間延々と続けられているキリストへの信仰の継承の場という一面とも合わせると、逆説的に言えば、この教会に関係した人々の長年の絶え間ない努力がついに日の目を見たという気がしなくもないが、もっとも、計画段階でヨーロッパの片田舎だったスペインのさらに第二の都市に過ぎなかったバルセロナ市が、2009年現在ヨーロッパにおける屈指の繁栄した都市となっているため、このところ土産物の充実には眼を見張るものがあり、現地ガイドおすすめの「受難の門」横のショップではガイドブックや絵皿やTシャツやらの他に、キン肉マンも真っ青なサグラダ・ファミリア消しゴムや、「根性」と書かれていない点で東京タワーのそれには見劣りする代わりに通信販売でも入手可能なミニチュア置物などにも力が注がれ、頼むからゆるキャラだけは勘弁して欲しいが萌えキャラだったら許せるかもと「サグラたん」など妄想しつつも、冷静になって見直してみると、当初「サン・ホセ教会」が考えていた貧者のための教会という目的が建築に没頭する余りいつの間にか忘却の彼方に飛び去ってしまっている面も無くは無いが、これも100年単位で考えればまったくどう転ぶかそれこそ預言者でも現れない限り断定できない話であり、実際の教会建築自体も、上述した完成すると一つの物語となる東西南北4つのファザードすら完成されておらず、キリストの誕生まで描かれた北のファサードと、キリストの誕生を描いた東のファザード、その死までの受難を描いた西のファサードの楼閣のみ完成しているが、本来ならこれらのファザードには屋根がついて初めて完成形であり、併せて、イエスの死後、彼の栄光を描いた南のファザードはいまだに完成していない状況であるため、残念なことに、世界中から来る観光客を十分に楽しませる部分の目処がつき、さらに年間230億円という観光収入に目が眩んで、絶対に当初の設計には無かった観光用エレベーターが設置されるなど教会として間違った方向に迷走しながら、それ以外の建築物という面での完成の目処はどこまでも先であって、その点に関しては、現時点おける完成予定が2256年に設定されている段階で途方も無い話で、一説には教会建設よりも開始時期が古いと言われる横浜駅周辺の工事がいつまで経っても終わらない例えに「東洋のサグラダ・ファミリア」などという揶揄が使われたり、スポーツチームがそうそう簡単に強くならない例として「アヤックスとはサグラダ・ファミリアのようなもの。どちらも1日でできあがるわけではない」とヨハン・クライフに言われたりするなど、とにかく計画性やスケジュール管理の甘さを示す例えに使われる状態ではあるが、幸いにも、一応、関係者は目標としてガウディの没後100年にあたる2026年を上げているため、果たして工期をいきなり200年も短縮できるのかどうか甚だ疑問だが、少なくとも、最も時間を費やすであろう教会周辺に立てられるキリスト教における12使徒を表した12本の塔が雨後の竹の子のようににょきにょき生えてくる様を目撃することは難しいかもしれないが、東西南北に配置されるファザードぐらいであるならば、今この文章を読んでいる人間の生きている間に完成する可能性もないわけではないけれど、いかんせん、教会建築に関する最悪ともいえる事例に、ドイッチュラントの気質を信仰心の表現に最大限に発揮した結果、1248年から1880年までかけて建築されることとなったドイツケルン大聖堂という、ある意味、やっちゃった感の漂うろくでもない存在がある以上、いかなスペイン独特のラテン気質、軽く楽にすませようとする国民性であっても、クリスチャンの心意気次第によっては、2256年ですら軽く凌駕しても常識の範囲内であるのだが、幸いなことに一縷の望みとして、あまりそのような精神世界とは無縁と思われる存在、すなわち日本人の彫刻家兼建築家で1978年にバルセロナ市へ移住した外尾悦郎氏がこの教会建築に関わることとなり、バラエティー番組「進め!電波少年」企画で手伝いに行ったお笑い芸人のハウス加賀谷や、かつて大聖堂建築に加わったと自称する東北楽天ゴールデンイーグルスの非公認マスコット・ピーマン ボン ジョルノ .カンパニーよりも余程頼りになる外尾氏ならば、ある程度は信仰から距離を置いた客観的かつ現実的な視点で建築のスピードが速まる可能性にわずかながら期待を持て、その上、外尾氏の実力もまた超一級であることから、とりあえずは彼が生きている限りは建築は相当なテンポで進められるであろうと思われ、特に彼が主任彫刻家として彫刻に携わり2000年に完成させ2005年ユネスコの世界遺産に登録された「生誕の門」のように、実際の世界的文化遺産事業としての視点が向けられているうちは、なんとかかんとかその建築スピードと資金、何よりもスペインを取り巻く国際情勢を斟酌すれば安泰であると考えられ、外尾氏の泉重千代翁を越えるような長寿と健康を心より願うが、いかんせん、まるで呪われたかのごとくに問題が噴出するのが教会建築とラテン気質と国際情勢である以上、第三次世界大戦が勃発したら100年延期も、宇宙戦争が勃発したら1000年延期も考えられ、地震が少ないスペインならば仮に耐震設計偽装が見つかっても大丈夫だが、ラテンのノリで致命的な建築ミスが発見されればさらに延長され、何よりも2009年の世界的な大不況によって資金が不足してしまえばまた景気が回復するまで期間が延長されるのがヨーロッパにおける教会建築というものであるため、どこにどう転ぶかは全ての御心のまま、信仰する側には絶対に分からないのが悲しい現実というものである上に、実際に、これはほんの一例にすぎないのだが、教会地下に鉄道トンネルを建設するという計画が持ち上がった際に、地盤の変化によって教会が崩壊することを考慮した関係者によって、地下鉄工事を差し止めるために市当局および工事関係者と話し合いを行ったところ、逆に教会のほうが1882年からの建築を市に認可されておらず、世界的な教会が実は九龍城塞も真っ青な一大違法建築であったことが判明してしまい、ラテンのいい加減気質恐るべしという認識を世界中に知らしめてしまうという本当にどうしようもない話すらある上に、実はこのトンネルを走行する地下鉄というのがスペイン版新幹線(AVE)だとういう驚愕の事実まで判明し、新幹線トンネルの中を超高速で突っ走ることによって起きる振動がどのような問題を引き起こすか誰が考えても明らかであり、どう考えてもこれからの建築作業が順調にいくわけがないことはこの時点で覆しようのない確定事項になっちゃってしまいつつも、そんなことにはめげないバルセロナ市民と世界中のクリスチャン、そして現代を生きる建築関係者たちの情熱はこの教会へと注がれ、いまだ未完成のメインの南のファサードと、教会周辺の諸々の建造物、さらには教会中央に立つ150メートルの巨大な尖塔を造り終えるための努力を惜しまないのだが、いかんせん、世界中からかき集められた最新鋭の建築機材や技術を導入してもなお、完成予定は当初の通りで、その頃には温暖化のせいで地球がのっぴきならない状態になっていると想像に難くない2256年から一向に前倒しされないという恐るべき現実の中、端的に言うなら、即ち、今生きている者、および、仮に人類の寿命が100歳になり10歳から文章が読めるとしてもアンサイクロペディアが2009年以降157年間以上存在しない限りこの文章を読んでいる者は誰一人として教会の完成を目にすることが出来ないと分かりきっているにもかかわらず、クリスチャン特有の、後世にまで残る信仰の証を築き上げるという意思はどうしたところで取り除くことはできないため、ケルン大聖堂のように戦乱によって途中で工事をいったん中断して、200年以上も建築を休止した後、まるで何かにとり付かれたかのごとくに急遽再度建築を開始し、最終的に600年かけて完成させるといった、信仰心のなせる業の見事さというか狂信者のとんでもなさというかが十二分に発揮されることとなれば、彼の影に隠れて無名に終わった一番弟子のジュゼップ・マリア・ジュジョルなんか有名なカサミラの屋上を作りながら全然評価されず、たくさんの建築従事者たちもジュジョル同様どんなに頑張ってもサグラダ・ファミリア教会はガウディの作だという印象の前に忘れ去られる危険性が限りなく高いと思うともう涙なしには見ていられない代物であり、さらに言えば、事故死したガウディはこの教会に埋葬されているため、よく考えると今日教会の建築に携わっている人々は、汗水たらして、自分の作品をほったらかしにして死んだ極めて無責任な男の、一人のものにしては不必要なくらいばかでかい墓標、そういう意味では本物よりも悲喜劇的なピラミッドのような、まあとにかくばかでかいたった一人のための墓標を造っていると言い換えることも可能なわけで、将来この建物にはピラミッドがヘロドトスの『歴史』に記述された王墓説に近年否定的な解釈が発表されているケースとまったく逆に、教会ではなく実は巨大な墓なのだとする学説が提案されても不思議ではなく、ここまで来ると相当馬鹿馬鹿しいと言うほか無いけれども、それでもまだ世界中の関係者によっていつ終わるとも知れず今日もサグラダ・ファミリア教会の建築は進められ、だらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだらだら続いていて、つまるところが未完成であ


Upsidedownmainpage.jpg 執筆コンテスト
本項は第8回共同加筆コンテストに出品されました。
阿部ちゃん
流行記事大賞 銅賞受賞記事

この記事は2009年流行記事大賞にて銅賞 を受賞しました。
この受賞に阿部ちゃんも思わず興奮。


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