コンサドーレ札幌

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「コンサドーレ札幌」の項目を執筆しています。

コンサドーレ札幌(-さっぽろ)とは、日本の北海道札幌市の厚別の競技場の芝生の上、もしくは宇宙船の中に存在する史上最強のサッカークラブである。

実態[編集]

実態は目の悪く太いべっ甲のめがねを好み、コンサドールズ大好きな男性信者と、スタンドでああーんと声を上げる女性信者たちが、監督を教祖としてあがめる……オウムにも負けない超宗教団体……。

敵チームを持つ日本ハムが札幌に移転してからは益々サポーターが減り続けており、札幌市民以外、いや札幌市民の中にもアンチ(というか「弱いチームなんかいらねえよ」という不要論者)も多数存在している。が、何故か元札幌の今野泰幸山瀬功治日本代表としては他のどの日本代表選手よりも多く応援している。こういう輩はJリーグの試合はろくすっぽ見ないくせに、ちっぽけなナショナリズムゆえ日本代表の試合しか見ない人間であることが多く、サッカーのルールもろくに知らない連中も多い。

名前に関するいろいろ[編集]

「コンサドーレ」とはラテン語で「白い世界」の意味である。


です。


本当のことを言うと「コンサドーレ」とは北海道出身者を表す「道産子」の逆さ読み「こんさど」とラテン語で「頑張れ」という意味の「オーレ」を合体させた造語である。なんというネーミングセンスだ!テントルーゾやスキデスよりはだいぶマシかもしれないが。

ちなみに略称・通称・蔑称は「コンサ」「札幌」「」「札者」「C」「奴隷」「さっぽこ」など。

「コンサ」はもちろん「コンサドーレ」の略である。「札幌」は言わずもがな。「札」は一文字で表記したいときに用いられる。「札者」は「~者」という呼び名が一時期はやったので。「C」はあまりに地元・Jリーグ双方で地味扱いされるため。「奴隷」はもちろん蔑称である。「さっぽこ」は札幌へっぽこ過ぎるもしくは札幌誇らしいの略である。

ここで考察してみよう。「頑張れ」はよく呼びかけで用いられる言葉であると同時にうつ病の人に用いてはならない言葉である。それは「対象が頑張っていても頑張っていないとみなし、頑張ることを促す」というニュアンスを内封しているためだ。そしてこの「頑張っているかどうか」をはかるポイントはアウトカム、つまりは「結果とパフォーマンス」なのである。またこの言葉をかけるのは大体が「頑張らなければならない状況」の外にいる人間である。つまりは「自分たちは何もしないが、とりあえず努力し結果を出すことを強要する」ということを暗示している名前なのである。

次に、わかりづらい略称の「C」については、これは所詮コンサドーレは「北海道のスポーツチームでCから始まるやつ」程度の扱いでしかないことを意味している。要するに「北海道のスポーツチーム=コンサドーレ札幌」の等式が(競技を限定しなければ)成立しないことになる。昔はここだけが北海道唯一のプロスポーツチームだったからよかったのにね。代わって「北海道のスポーツチーム」となったのはお察し下さい。またJリーグの視点から見ても、頭文字にCのつくクラブはセレッソ大阪がすでにある上、こちらの略称は主に「C大阪」が使われている。つまりは頭文字の観点からしてもすでに「唯一の存在」ではなく、その先客の陰に隠れるということを示唆している。あるいは、J2は概してJ1よりも扱われることが少ない、つまりはJ2のクラブはさほど重要ではないと思われがちなのである。このように北海道のスポーツとJリーグの双方から「優先されるべきもの」の陰に隠れてしまうほどの地味なスポーツチームであることを皮肉っているのである。

もう一つ、蔑称の「奴隷」については、一般的に「コンサドーレ」の後ろ三文字に由来するとされる。しかしこれでは名前の由来が同じであるマスコットのドーレくんがかわいそうである。ここで別の所以を考えたい。奴隷とはそもそも「人間でありながら誰かの所有物である人間」という意味を持っている。所有物であるからには、持ち主の支配・命令には絶対的に服従しなくてはならない。たとえその命令が理不尽で、主人が暴虐非道であってもだ。これをもしサッカークラブにあてはめるなら「持ち主=フロントやサポーター、あるいはホームタウンの住人」となり、クラブは彼らに絶対的に従わなくてはならないということになる。ちなみに、ここのサポの態度・マナーについては有名どころ(具体例は粛清されました)ほどでもないが問題視されていることもある。またフロントも赤字経営が常ということでなにかと問題視されている。そして彼らのクラブ、すなわちコンサドーレというクラブは残念ながら彼らのせいで外への評判が悪くなってしまう。他サポは「奴隷」という蔑称を用いて、クラブのこのありさまを皮肉っているのではないか?

まあ、この考察が実際に当てはまるかどうかはお察しください。所詮は考察です。

教祖[編集]

教祖は、岡田氏柳下氏三浦氏広島のおじちゃん→財前(弟じゃない方)と考えられる。 他はA級戦犯として扱う(例:柱谷) が、影の教祖としてコンサドールズのお姉さま方とも言われてる。

なお、クライトンは先生として崇められる一方、ノナトは遅い。

コンサドールズ[編集]

試合会場を彩るお姉さま方。彼女たちはクラブ公式のチアであり、Jリーグ初めての公式ダンスチームである。

育成にも力を入れており、下部組織にユース(中高生)・ジュニア(小中学生)・キッズ(園児)・月下美人(熟女)を設けている。

このロリコンどもめ、邪な考えを起こすなよ!

マスコット[編集]

なおこのクラブもほかのサッカークラブと同じくマスコットを持っている。そのマスコットはシマフクロウのドーレ君。

彼にマスコットが任せられることとなったのは、北海道の先住民であるアイヌの人々がシマフクロウを「コタンコロカムイ(村を持つ神)」と崇めていたためである。クラブが移転してきたばかりのころの道民はコンサドーレに「自分たちの町を見守ってくれる存在」になるようにと願いを込めて、この伝承を引用してドーレ君をマスコットとしたのである。

ただ、現在ではクラブ自体がお察し下さいな状況であるため、「自らの親を食うというフクロウの子(すなわち道民)はやはり親を殺した」と勘繰られることとなってしまった。

 コンサドールズのお姉さま方[編集]

美人です・・

スタイルよすぎです・・

影の教祖です・・

桜子最高♡

でも桜子卒業しちゃった・・

拠点[編集]

本拠地[編集]

ここが一応ホームタウンとなっている。でも時と状況によってごくたまに札幌市や北海道全体がホームタウンと(勝手に)させられることもある。
つーか公式的には豊平だけだったのかよ! 厚別じゃないのかよ!
この二つが主なホームスタジアムである。
!?

各地の支部[編集]

  • 室蘭支部 室蘭入江スタジアム
  • 函館支部 函館千代台スタジアム
  • 福住支部 宇宙船「ヒロバ」内
  • 旭川支部(餓鬼のみ) 花咲ガニスタジアム
  • 千葉支部(カワイソス) フクダ電子アリーナ
  • 高知支部(昔はよかった) 高知県立春野総合運動公園陸上競技場
  • トーキョー支部(資格停止) 国立競技場(西が丘)
  • 熊本支部(季節限定) 阿蘇山山頂
  • グアム支部(季節限定) グアム

その轢死歴史[編集]

Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

求め続けた奴等の革命(~1995年)[編集]

もともとこのクラブは東芝のサッカー部であり、神奈川県川崎市にあった。

1993年、Jリーグが開幕。これにより全国の町で「おらが町のチーム」をJリーグに昇格させようとサッカー熱に包まれた。もちろん札幌市とて例外ではなかった。

だが、Jリーグに昇格できるほどのクラブを作るのはたやすくなかった。そもそもそのためには強いサッカーチームが必要であったが、そのようなものは当時の北海道に存在しなかった。そこで札幌市民がとった行動は「他の所からチームを呼んでこよう!」というものである。すなわち当時のJリーグに最も近い場所であったJFLに所属するチームを札幌に呼んで来て、それによってJリーグを目指すという戦法をとったのである。

そこで目を付けられたのが東芝サッカー部であった。当時の川崎市にはヴェルディ川崎というJクラブがあり、仮に昇格してもそこと客を取り合わなければならない(しかも向こうは当時は強かったので分が悪すぎる)ので、実力はおいといてもJリーグ昇格に躊躇する心があった。

十万人の署名が集まるなど札幌市民の機運も高まり、青年団体も東芝サッカー部と必死に水面下で交渉し、また上記のような東芝側の思惑もあり、移転は決定した。

そうして東芝サッカー部は札幌に移転し、当地からJリーグを目指すサッカークラブとなった。

眺め続けた展望の行方(1996、97年)[編集]

札幌に来て初めてのシーズンとなった1996年の開幕はあわただしいものであった。移転届がぎりぎりだったり、名称変更もぎりぎりだったり。さらにJリーグに行くためには準会員にならないといけないので、その申請もしないといけない。忙しいね。

で、シーズンの内容はというと、結局昇格できなかった(5位/16チーム)。で、当然のところ来年昇格を目指そうということになるが、選手の契約うんぬんに関して問題があった。この時はプロ選手と東芝社員のスクランブル体制だったが、結局このあとからプロ選手オンリー体制となった。

で、さて1997年はどうだったであろうか?

そんなこんなでいろいろあってJFL優勝、Jリーグへと殴りこみに行く権利を得たのであった。

だがここで考えてほしい。財政的基盤も弱いクラブが選手獲得を乱発していたらどうなるだろうか?

そう、ここでお金の問題が表面化してきたのである。それは今でも尾を引いているのだ。

探し続けていた場所(1998年)[編集]

最初はグダグダしていたが途中から持ち直し、またグダグダしたが、終わってみれば14位(18チーム中)。J初年度にしてみればまずまずな順位である。

だが、この年度のコンサドーレにおいて言及すべきは成績ではない。

ねんがんのJリーグでたたかうことになったぞ!
→お上「来年から誰かJ2で戦ってもらうことになりまーす」
→麿牛蜂「こうかくさせてでも ざんりゅうする」
→な、なにをする きさまらー!

要するに、J1参入戦とかいう非常にふざけたシステムにより、なんと初年度で降格が決定してしまったのだ。常識的に考えれば「18チーム中14位」という成績は残留圏である。どうして参加しなければならなかったかを含め理不尽です。「弱いから仕方ないよね^^」とかそういう問題ではなく、この降格がいろいろと禍根を残すことになる。

想い続けたキミへの贈り物(1999、2000年)[編集]

そんなこんなでせっかくトップリーグに昇格したのに一年で引きずりおろされたクラブとサポーターは、新たにJ1と名付けられた場所に復讐(?)するため臥薪嘗胆で昇格に挑んだ。ちなみに監督はあの岡ちゃん。君はここに2010年ワールドカップにおける日本代表の快進撃の伏線があったと考えてもいいし、それと札幌の現状を比べてになってもいい。

で、その結果:一年目・失敗、二年目・成功!

この二年目(2000年)の成績がすさまじく、14連勝を含む17試合無敗だの、一試合での平均失点が0.55だの、いい意味での伝説を残した。終わってみればこの年の降格組であった浦和平塚を抑えての優勝である。というかこの年の浦和はJ2だったわけで。

……だから、財政基盤が弱いクラブが無理するといろいろお金の問題があるんだってば。昇格が決まった2000年の主力がほとんどレンタルとか、今だと非常に問題があるスタイルだったりするのだ(どこが問題なのかは説明するのが面倒なのでお察しください)。しかしながら勝ち試合が多かったおかげで観客動員などでお金はどうにかなりました。それにまあ、J1に昇格すればスポンサーがどんどん付いてきてくれて非常にウマーなことになる……んだろうか。そういうことにしておこう。

失い続けてしまうアルバム(2001、02年)[編集]

J1に昇格し、やはり辛い戦いが用意されていた。

2001年は開幕2連続で勝利することができ、そのまま波に乗った結果、どうにか残留圏に残ることができた。

しかし2002年、契約切れの岡ちゃんの代わりに闘将を監督席においておいたら、どうやら凍傷の間違いだったらしく選手たちもサポーターも勝ち点不足に凍える結末となってしまった。つまりは降格である。



そしてすべての歯車は狂い始めた……。

在り続けるためのプロセス(2003年~2006年)[編集]

ここら辺はおおよそタイトル通り。自身が存在し続ける価値を追い求めるため、昇格を望もうとする。強くなければ、J1にいなければ、自分はきっと見捨てられる、そう強迫をすりこまれていた心を持って。

ところがそうして挑んだ2003年はあ~!見るんじゃない!な成績であり、いろいろな人(サポ含む)から「お察し下さい」「検閲により削除」「XXXXX」などといった罵声を浴びせられるレベルであった。その翌年も同様。

要するにもはやまともに昇格を目指して戦える、そしてJ1でも戦っていけるチームの形をなしていなかったということだ(というかJ2ですらどうにか戦えるレベルだったかも疑問)。つまりは抜本的構造改革に乗り出さなければならなかったのだ。

次に踏み切ったことは土台を固めることらしい。そのための計画の名は「五ヵ年計画五段階計画」である。

内容は「人件費をはじめとした経費の圧縮により経営の黒字化を図り、債務超過を解消すると同時に、若手主体のチーム編成とユースチームの強化を軸とする長期育成計画を立て、レンタル移籍や外国籍選手に頼らずにJ1で安定して戦えるチーム作りを目指す」。長いがようするに「あまりお金をかけずに戦えるチームをつくろう!」というものである。お金をどうするかという問題はいつもいつも赤字の帳簿とにらめっこをしているコンサドーレの絶対的命題であった。


結果は、後の項目が示してくれるだろう。

戦い続けた兵たちの誇り(2007年)[編集]

死闘の末、ようやく昇格を手にする。

これで来年は2002年以来のJ1となる。



だが……

変わり続けるベクトルの障壁(2008年)[編集]

この年の成績はお察し下さい

戦いぶりもお察し下さい

道民からの評価もお察し下さい

他サポからの評価もお察し下さい

守り続けた痛みと共に(2009年)[編集]

まあつらい時期もあるさ。辛いってレベルじゃないかもしれないがな!


憧れ続けた英雄の存在(2010年)[編集]

A代表のFWが来るよ!やったねコンサちゃん! 15年くらい前のだけどね・・・

ゴン曰く、コンサドーレは医療体制が充実しているとの事だが、それ以前に寒さで風邪を引いたとか引かなかったとか・・・


なお、この年のチーム成績は19チーム中13位とメチャクソでしたとさ。


願い続けたステージへの到着(2011年)[編集]

ホーム開幕4連敗、「まんず例年通りだべさ」という負け犬ムードと大震災における自粛ムードが立ち込める中、 自粛しなかったのが6月から加入した岡山であった。

繰り広げられる岡山劇場、ぽぽぽぽ~んと上がっていく順位。

そして3位の徳島と勝ち点並んで迎えた最終節、対FC東京戦。 札幌ドームの来場者数は歴代2位を記録、友達増えるね。

ここで奮起したのがもう一つの岡山、そう、ファジアーノ岡山が徳島を破ってしまったのだ。


と、そんなわけで通算3回目のJ1昇格となったのである。

でもなぁ、こんなギリギリの3位じゃなぁ・・・きっと来年はJ1でボお察し下さい


詳しくは後の項目からお察し下さい


苦難の末たどり着いた夢の境地(2012年)[編集]

(参考)2008年の成績は4勝6分24敗、勝点18であった。

この年の成績はお察し下さい

札幌などに負けるようなチームでは優勝できない。
2012年のコンサドーレ札幌 について、名古屋ストイコビッチ監督

栄光と暗黒(まとめ)[編集]

2001年までがよかった……。 岡田さんがやめてから暗黒時代到来……。 赤字に苦しみ公的資金の投入……。

そして今年、われ、復活せり。

そして優勝したら「ぼくサッカーで優勝したよ!」と力強く宣言しよう。 それは墓地CMのセリフ。これまめちしきな。

時は流れ暗黒時代も終わり、2007年はJ2優勝を果たし翌年、J1で戦うことになった。 ここから再び栄光時代が始まると信じていた。だが……。

2008年のJ1は厳しく、攻撃は脅威とは程遠く決定力不足に悩まされてしまう。 悩みの種はそれだけではない。 自慢だったはずの守備も崩壊し、故障者が多くチームの連携もままならない、そして2323の進行……。

そして、あえなく3度目のJ2陥落が決定した……。

道民に広がるアンチ機運[編集]

2008年のこのようなJ1の18チームの中で17チームと他1つという状態の中で、コンサドーレに対する風当たりは急に冷たくなる。でもぶっちゃけ2008年より前から冷遇は始まっていた気がするけどな!

一説によると札幌市民以外には(市民にも?)アンチも非常に多いとすらされる。

理由は北海道庁が税金をつぎ込んでチームを支援していながらこの体たらくである腹癒せに、公務員バッシングを兼ねたコンサドーレ叩きを行なっているプロ市民がいるのである。もっとも、札幌市民の中にも「札幌市役所や道庁が税金を出してダメダメなチームを支援するなボケ! そんなダメチームに税金を使う暇があったら福祉医師不足に税金を回せ」という意見も多いが……。

サポーター層は基本的に中高年が多く、若いサポーターは余り多くない。中高年層のサポーターは創立時からの「おらが町のチーム」で勝とうが負けようが応援している(しかし、肝心のサッカーのルールをあまりよく知らないサポーターが多い)が、目の肥えた若いサポーターはレベルの高いサッカーを見たがるため、海外サッカーサッカー日本代表の国際Aマッチの試合に夢中になり、コンサドーレのゲームなんぞ視野にないのである。

もっとも、サポーターが増えず、観客動員も伸び悩む一番の原因は「弱いから」というのではなく「熱心な古参サポーターの『俺のクラブ』という意識が強すぎて他のサポーターに対して排他的になり、新参者が応援しづらい環境にしてしまった」というのが定説である。

さらに「弱すぎるコンサドーレはもう解散したら?」というにべも無いことを平然と言い放つ道内の若者も少なくない。しかし、実際は「北海道日本ハムファイターズ」が移転してきてから、応援している元々プロ野球好きが札幌に当時プロ野球チームがなかったので「代替行為」で仕方なくサッカーを応援していたエセコンササポがそう言っているだけであるのであまり気にする必要は無い。が、赤字続きで解散より先に運営会社が斃れるのが先とも目される。

日本のサッカーが躍進した2010年以降、日本のどこかでは「野球はオワコン(終わったコンテンツ)」と言われているが、そんなのは北海道では妄言でしかない。なぜなら、北海道ではスポーツは「オワコンサ」とすることで、内地(本州以南)での事情に差をつけているからである。そしてまあ、案の定というか、「終わったコンテンツ」扱いされているのがコンサドーレなわけで……。

札幌ドームにあるジムにいるとここの選手が偉そうにしていることが多い。

「ファイターズより、ずっと弱い!」
コンサドーレ札幌 について、某カーナ王国王女

↑こんなことを平然と言いのける者も少なくない。このクソビッチが。

ここで聞きたい。このクラブは元々川崎市にあった東芝サッカー部が道民の署名によって移転して来たものであるはずだ。あの時集めた署名の思いはどこにいってしまったのだろうか。ただの「代替手段」が熱狂的に欲しかっただけなのか。それともこんな「期待はずれ」とは思ってなかった(類:どうしてこうなったのか。はたまた「関係ねーよ」としらを切るつもりなのか。

そして[編集]

ここまでは非常に後ろ向きにこのクラブのことを考えてきた。しかしたとえいくら低迷しているクラブでも、小さいものでも光を放つものがあるだろう。このクラブに関して言えばたとえば、移転に際する札幌市民・東芝双方の思いであり、北海道唯一のプロサッカークラブという希少価値であったり。それは大切にしなければならないものではないだろうか。大切にできるほどの力があるかはさておき。

ではここで問題だ。コンサドーレは今後どうなるであろうか?

  1. ハンサムなクラブ関係者は突如巻き返しのアイデアがひらめく。
  2. Jリーグの仲間が助けてくれる。
  3. お察し下さい。現実は非情である。

……どう考えても3になる確率が相当高い気がする。しかし結末を確定するのはコンサドーレに関わるすべての人たちだ。彼らによって結末は変えることができるよね?。良い方向にでも悪い方向にでも。

さて「クラブライセンス制度」が2013年度から導入され、財政状況が悪いクラブは容赦なく解散に追い込まれたり解散を免れてもアマチュアクラブ(JFL)に落とすなど増えすぎたクラブを淘汰する方向に舵を切ったJリーグ機構だが… もしJFLに落とされたら使用料が厚別陸上競技場より利用料のかかる札幌ドームは使えなくなるだろう。 町田市のクラブようにJ2からJFLに陥落しないことを祈るばかり(切実)

小惑星コンサドーレについて[編集]

さて、実は小惑星の中にはこのクラブと同じ名前のものがある。惑星番号7777という縁起が良さそうなこの代物は道民によって発見され、J昇格と同じ頃に命名された、と公式的にはそう記録されている。

しかしその正体は北海道が災厄に襲われた時に道民の救済を約束する「箱船」として建造された宇宙船である。そして「よわいよわーい」されないという現在では数少ない聖域となっている。ちなみにこの記事の初めに書かれていた『宇宙船』とはこれのことである。

関連項目[編集]


ExSport.png この項目「コンサドーレ札幌」は、エキサイト不足のようだね。
さあ、君もこの記事に胸が高まるような文付け足してみよう。レッツトライ! (Portal:スタブ)