カミロ・シエンフエゴス

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「カミロ・シエンフエゴス」の項目を執筆しています。

カミロ・シエンフエゴス(Camilo Cienfuegos Gorriarán、1932年2月6日-1959年10月28日)とは、キューバ革命軍における2人目のサンタクロースである。

生涯[編集]

革命の前夜[編集]

キューバの首都ハバナで生まれる。小さな時から悪ガキで、何か事あるごとに大人をからかい倒し、権威と名のつくものにはことごとく反抗したくてしょうがない、というどうしようもない天邪鬼であったが、弱い者には優しかった(ただし自分の子分に限る)。そんなカミロが1953年7月26日(7月26日運動の由来)、フィデル・カストロチェ・ゲバラと共謀してサンティアゴ・デ・クーバにあるモンカダ兵営の襲撃に参加したのは、1952年のクーデターによって政権を奪取したフルヘンシオ・バティスタが権力を乱用して好き勝手していたのと同時に、彼の「ぬるり」とした顔が気に食わなかったからだ、と語っている。しかし襲撃は失敗に終わり、フィデルやチェ達は逮捕されてしまったが、警察に捕まるほど間抜けではなかったカミロはさっさと逃亡、キューバのまっくら樹海として名高いシエラ・マエストラへ逃げ込み、後に釈放されたフィデル達と合流するまで、しばらく山賊稼業に精を出すことにした。

ちなみに、この時(たとえ仲間を助ける余裕のない極限状況とは言え)自分だけさっさと逃げてしまったカミロに対して、フィデルは後々まで遺恨に思うのであったが、カミロは全然気にする様子もなかった(自分の身だけは自分で守る、捕まるヤツがバカなのである……と、徹底した個人主義者であった。運動に賛同したのも社会正義のためなどではなく、あくまで面白そうだったから、スリルがあったからに他ならない、と後日当人は語っている)。

革命闘争の日々[編集]

愉快なサンタが二人(左がカミロ)。

その後どうにか釈放されたフィデル達が、亡命先のメキシコからグランマ号に乗り込んで、キューバに再上陸した知らせを聞いたカミロはバティスタ軍(あくまで敵はキューバ政府による正統な軍隊ではなく、バティスタの私兵であるというスタンスで臨んでいた)の監視を掻い潜ってフィデル達と再会、持ち前の明るさと不屈の闘志、そして彼がこよなく愛したブラックジョークを駆使して、キューバ革命戦争に大きく寄与した、と後日チェは語っている。そんなカミロの性格を象徴するエピソードの一つとして、チェに発破をかけようとして「おい、アルゼンチン勇者は腰抜けかい?」「なぁ、アルゼンチンの男にちんちんはついてるのかい?」と挑発の言葉を軽快に投げつけておいてから「お前が勇者か、俺が勇者か、男だったら武勇で語ろうじゃないか!」と奮起させて不利な戦況をひっくり返すことが何度もあった。

その後、革命軍が次第に大規模なものになるとそれぞれ部隊を率いて個別に戦うようになるが、サンタ・クララの攻略戦で合流する手筈となっていた。しかし、これはチェの抜け駆けによって後れをとってしまい、負け惜しみをかねて電話で「どうだい、アルゼンチンの旦那? サンタ・クララは観光にもって来いだろう?」と呪いの言葉を贈ってやったのであった。その鬱憤もあってか、進軍途上において激しい抵抗を見せたヤガイェイを攻略し、その苛烈な戦いぶりから「ヤガイェイの鬼」という二つ名を得た。が、天王山であったサンタ・クララを攻略してしまうと後はもう首都ハバナまでほぼ一直線、そのまま攻め上がる途上でバティスタは国外へ逃亡(1959年1月1日)、ここに革命闘争は終結したのであった。

勝利の後に[編集]

愉快なサンタが二人(右がカミロ)。

かくして戦争に勝利した後、キューバ軍の最高指揮官に就任したカミロは反革命勢力の粛清や農地改革を担当したが、やがて飽きてしまって「なぁ、俺が望んだのは胸に勲章をぶら下げる事じゃなくて……もっとこう、自由に生きたいんだ。みんなで、ハッピーに」という理由で辞任を申し出たものの、他に適当な人材がいなかったために却下、そればかりかフィデルから「これから国際社会においてキューバ政府の存在をアピールするには、何はなくとも洗練度の向上が重要だ。よってカミロ、君はヒゲを剃るように。ちなみに、私とチェについてはファッションとしてのヒゲなので言及しない」という宣告がなされた。アナキストにして自由人、そして何よりキューバにおいて男の中の男の伝統的証明でもあるヒゲを剃ることはをも意味する。カミロは黙ってその場を立ち去り、一目散に亡命を図った。「こんな思いをするために、自分は戦ってきたのか……!」と、カバン一つで飛び乗った飛行機が離陸して間もなく、謎の天候不良によって飛行機はあえなく墜落、カミロがどうなったかは言うまでもない

「……計画通り。サンタは二人も必要ないのだ。」
カミロ・シエンフエゴス について、フィデル・カストロ
「飛ぶ鳥が尽きれば良弓は蔵(しま)われ、狡兎が尽きれば走狗は煮て食われるのだ。」
カミロ・シエンフエゴス について、福島正則

余談ながら、いつも彼を「ゲリラの芸術家」として称えていたチェは、自分の息子に「カミロ」と名づけている。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]