オリックス・バファローズ

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オリックス・バファローズとは、大阪府大阪市に本拠地を置く関西独立リーグ所属の唯一インチキ下克上で決勝に行った事のないプロ野球球団である。赤座あかりのようにテレビ局が地上波での中継を敬遠するほど影が薄い球団である。実は親会社は企業舎弟なのでテレビなどに出演できないらしい。

概要[編集]

1990年頃に2004年の合併は予言されていた
集まったファンは40人。満員御礼である

本拠地は京セラドームである。阪神との試合の場合、阪神側がビジター扱いされる。副本拠地は兵庫県神戸市2007年シーズン終了まで存在した。大阪と神戸の両方の客を取り込もうという意思がここからは読み取れる。しかし、実際の所いずれの本拠地も場所が悪いためなのか、あるいは球団発足の経緯からか、両方の中間の西宮市甲子園、親会社の阪神電気鉄道の駅から歩いてすぐいける位置に本拠地を置いた阪神タイガースとは、相当格差がある。こちらは観客動員数日本一の球団だからである。オーナーの宮内義彦は、この現状がお気に召さず、2005年には、手下の村上世彰阪神電気鉄道の株を買い占めさせた上で、阪神タイガースを乗っ取ってしまおうと企んだが、村上世彰が警察沙汰になったため、あえなくこの野望は潰えた。が、阪神タイガース乗っ取りに並々ならぬ情熱を持つ宮内義彦のことである。関西圏に球団は2つもいらんから、「オリックス・タイガース」一球団にしてしまおう、というのが宮内義彦の最終野望である。この野望を達成するべく、現在もあの手この手で阪神タイガース乗っ取り計画を練っているところである。なお、オリックスによる阪神タイガース乗っ取りが成功した折には、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブが新規参入する見込みとなっている。

なんとかカルテットとかがウリだった球団にボコボコにされまくったり、合併騒動でゴタゴタしたり、戦力外通告(又はトレード)した選手が他球団で大活躍したり、かつて在籍していた外人選手と再び契約を結ぼうとしたら他球団に横取りされたり、シーズン中の監督辞任が21世紀中に3度起こったり、試合が1試合も中継されなかったりするなどと、いろいろな意味でトホホな球団である。あのイチローがかつて在籍していた球団ということも人々の記憶からは忘れ去られていると思われる。パンチ佐藤がいた事は絶対に忘れ去られているな!

二軍はハングリー精神という名のコストカットで対応がひどい。さらに一時期、不動産会社に身売りさせるなど虐待の限りを尽くす。でも、一軍にあがっても肝心の待遇がしぶちんで巨人の二軍以下というのは内緒の話だ。

オリックス・ブルーウェーブ[編集]

1936年、阪急王国を率いていた阪急電鉄が、前年の大阪タイガース設立に真っ向から歯向かう形で設立した球団である。本拠地を当初阪急王国の首都である宝塚市に置いていたが、翌年に西宮北口駅近くに開設した西宮球場、甲子園球場の至近に移転させたところからも、それは伺える。

名前も阪神側が「大阪タイガース」という和英混合名を採用していたのに対抗し、「阪急職業野球団」という思い切り硬い名称にした。

しかし戦前戦後を通じて、結局タイガースの人気に及ぶことは出来なかった。「阪急ブレーブス」という阪神式の名前に改称し、いっときは巨人軍と名勝負をし、更にいっときは福本豊らを擁してには勝ったものの、1974年に阪神と共に沿線住民をも巻き込む大勝負(通称:今津線シリーズ)を催した後、強さだけは相変わらず誇りとしながらも、1989年にオリックスへ譲渡された。そのため「オリックス・ブレーブス」を経た後、「オリックス・ブルーウェーブ」と球団名は一新された。

オリックスに譲渡された後、1990年に巨人原理主義の妄想親父を監督に招聘し、松永、石嶺らを追い出して悪い意味で阪急色の排除に成功。1991年には後世に「安打製造機、ロボット」と揶揄されることになるイチローを起用する。1995年には阪神・淡路大震災のダメージをかいくぐり、日本選手権シリーズ制覇を果たした。

イチロー放出後は谷亮子の婿が嫁の顔によってなんとか人気を支えていたが、彼の消滅後はすぐに名前を思い出せる選手がいなくなっているのでおそらく消滅したものと考えられる。2003年には福岡ダイエーホークスを相手に1試合20失点を4回も経験、プロ野球史上最多の927失点(自責点818)、チーム防御率5.95などパワプロのペナントモードでも起きるかどうかわからないことを数々とやってのけたのに惜しい なお阪急電鉄はブレーブス譲渡の17年後、間接的にタイガースを買収することになった。現行の「阪神タイガース」は実は「京阪神急行タイガース」の通称であり、「京阪神」「阪急」「阪神」いずれにも略せることから、相手によって略称を使い分けている。阪急にとっては阪神を軍門に下したのは正に悲願達成といえよう。

大阪近鉄バファローズ[編集]

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1949年、京阪電気鉄道を除く関西私鉄4社が野球に参入しているのを見逃せなかった近畿日本鉄道が、バールのようなものに因んで「近鉄バールズ」を発足させたのが始まりである(なおバールズは日本プロ野球史上、最も頼りないチーム名として有名)。とはいえ、1947年に近鉄から分離した南海電気鉄道(厳密には前身の南海鉄道)は「南海軍」(今の福岡ソフトバンクホークス)を前々より有していて、近鉄発足時には「近畿日本」を名乗っていたのだから、この参入は単なる懐古主義によるものともいえなくは無い。

しかし、参入経緯がいい加減で本拠地もぱっとしなかったことから、「地下鉄球団」と揶揄され続けた。それでも優勝は1970年代後半以降幾度か経験し、「いてまえ打線」に象徴される河内的荒っぽさで名を誇ったが、日本シリーズ制覇の経験が一度も無いまま、親会社の経営悪化でオリックスへの譲渡を決断した。なお、ホーム球場は、強制退去と同時に爆破解体された。

現球団名は「バファローズ」を名乗っているものの、記録(チーム・選手)関係においては旧ブルーウェーブのものを引き継いでおり、チームカラーも近鉄のキの字も存在しない。ちなみにヤマが当たって運が良ければビッグイニングという昭和の豪快な野球は仙台の某新球団が見事に引き継いでいる。

 旧近鉄系野球難民
元々『近鉄バファローズ』を応援していたが、宮内義彦一味による球団乗っ取りの後、侵略者に屈伏することを拒否し、さりとて近鉄戦士の半数を引き受けたもののベイスターズの乗っ取りを図る三木谷一味や、何もしてくれなかったラストエンペラー梨田の再就職先などに転向することを潔しとせず、応援するチームを失ったまま、旧南海系大阪残留孤児と意気統合しながら大阪民国千代崎界隈を徘徊している輩のこと。

2013年ファン感には、黄色いパンダ球団のレプリカユニフォーム着ている輩はいても、大阪近鉄バファローズのレプリカ着ている輩は確認できませんでした。なのに、大阪ドームではまだ大阪近鉄バファローズのレプリカユニフォーム売ってるという、仕様である。

オリックス・バファローズ(合併後)[編集]

2004年、親会社の経営再建の一環として整理が決まった「大阪近鉄バファローズ」の選手(ただし半数は東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍)・社員・営業権を「オリックス・ブルーウェーブ」が乗っ取る形で誕生した。合併球団の名称は一部メディアにおいて「オリッ鉄バッパローブス」に決定したという報道がなされたものの、結局は「バファローズ」を形式的に残して「オリックス・バファローズ」となった。新生オリックスとしてのスタートを切った2005年、初年度楽天ですら自責点812、チーム防御率5.67であり、世間からは「オリックスと近鉄の残りかす」などと言われた。残りカスであるはずのチームの投手力が上回っているのである。球団合併後もオリックスの人材枯渇ぶりは異常であり、オリックス悪玉云々や楽天の戦力がゼロだった云々はあくまでネタはネタとして(ry、の感覚で楽しんで頂きたい。ただしマスコットは「ブルーウェーブ」の「海神」を引き続き使用しており、実質的には「ブルーウェーブ」の後継であることを象徴しているといえる。しかし、2011年にマスコットもユニフォームも変更、一気に「大阪のバファローズ」へ舵取り。「結局乗っ取られたのはウチだったのか」と、神戸からのファンは涙したとか。

ある日、イチローとオリックスが練習試合を行った[1]。しかし、こんな弱小球団が総員で戦っても、イチロー一人相手には赤子同然であったのは言うまでもない。さらにこの試合でフルボッコされた責任をとる形で、当時の監督だったコリンズは辞任に追い込まれた。だが、このイチロー直々の特訓を受けたオリックスの成績は突如急上昇し、そして2008年、2位という去年までありえない成績でシーズンを終えた。更に番長は引退し、今年は地蔵メモリアルグッズにクライマックスシリーズのチケット等、ががっぽり入り大儲けである。

ちなみに上記のイチローとの練習試合だが、イチローの前所属球団ということを売りにしようとした球団がしつこく申し込んだので、仕方なしに受けただけであり、本人曰く「僕がいたのはブルーウェーブだ」と、今の球団を古巣とはこれっぽちも思っていない。[1]そらそうよ」。

2011年、スカイマークスタジアムがほっともっとフィールドとか言う気の抜けるような名前に改名。さらに、スローガンを「新、黄金時代。」とか言うのにしたのだが、そもそもこれまでに1回でも黄金時代なんてあったのかよとファンから突っ込みを受けている。阪急時代?何それ?おいしいの? 大きな人と仲が良く一世を風靡し旬を過ぎた選手の左遷先として有名。その性でベンチ内は腐ってやがる・・

李・朴の入団、サイトの韓国語対応、ネットで韓国の企業とコラボ。情報システムを韓国式を輸入するなどフロントはニダニダ。

2012、2013年はいつも通りBクラス。2013年オフには博多の鷹からペーニャを獲得。対して李が福岡に行ったため「トレードもどき」が成立。

2014年開幕から犬のお父さんと熾烈な首位争いを繰り広げる。気が付けば、他の4球団をほったらかしにしてそのまま10月まで来てしまった。しかし、ソフトバンクとの最終戦で力尽き2位。CSも3位の日ハムに惜敗。まるでお隣のチームを見ているようである。オフには40億円以上の大金をぶち込んで補強。一気に金満球団と化した。

2015年に中島裕之、小谷野栄一と完全補強態勢に入ったが、リーグ開幕序盤から怪我などで急な失速。順位を上げる事なく、リーグ5位と、無残な結果だった。この年限りで、森脇監督が辞任。

監督[編集]

シーズン中の辞任を含め、21世紀になってから毎年監督が替わっていた。2001年入団の大久保なんかは、ころころ変わる指針に苦労していた。2008年、大石が久々の留任を果たすものの、結局クビ。3年超で就任できた森脇はまさに奇跡としか言いようがない。

2001年 仰木彬(1994~)
魔術師。遊び人。この頃は野手を投手に転向させたりしていた。もともとこの人の手腕に頼りきっていたのだが…
2002年2003年 石毛宏典(2003年4月に解雇)
「ポレ」で検索すべし。余談だが師匠の広岡某同様、新しい事を始めては放り出す厄介な癖がある。
2003年 レオン・リー
つなぎの代行監督で1年でクビ。ロッテOBのため終盤戦ではオリックスファンから野次を浴びるなか、マリーンズファンから「レオンコール」が起こり泣き崩れるという奇妙な現象が起こった。
2004年 伊原春樹
元『西武黄金期』の頭脳。球団再生を託されるが、理不尽にも球団合併で1年でクビ。KOされた川越英隆をベンチで説教していたり、駄菓子屋の監督と喧嘩しているところばかり目立っていた。石毛や伊原よりもテレビに映ってたのは仰木さんだったので、この頃は『仰木院政』などとも呼ばれている。
2005年 仰木彬
近鉄・オリックス両球団の監督経験者として、初代合併球団の監督に就任。余命半年の大病を隠し、合併球団とは名ばかりのロートル揃いのチームでプレーオフを争った。オフにはキヨノリとビッグネームを獲得し、阪神に喧嘩を売ると自らは手の届かないところへ逃亡。
2006年 中村負広
怪我人続出、雰囲気最悪のチームを率いて何とか最下位を間逃れるもクビ。その後は仰木亡き後のGMを担当。あれ?もうGMも解雇されてるって?現在は結局古巣に舞い戻り疫病神として活躍中と思っていたら、急に手の届かないところへ。
2007年2008年 テリー・コリンズ(2008年5月に辞任)
センターラインを強化、10勝カルテット・中継ぎローテーションを整備と何気に名伯楽であったが、選手のやる気の無さに呆れて職場放棄してしまった。あれ?2009年はWBCの中国監督やってんの?
2008年~2009年 大石大二郎
2008年はヤラセで10年ぶりに2位をマークし、留任が決定。もっとも仰木野球の負の面、ピッチャー使い潰しだけを真似た結果であり、翌年は最下位で解任が決定。その腹いせに何の縁もない田舎鷹の腹心に転身。
2010年2012年 どんでん(2012年9月に辞任)
アホなので若手を積極的に使い(というか使わざるを得ないほどベテランがアレ)、ファンに希望という名の妄想を抱かせるあたり、どっかの赤い球団に似てる。ドラフト3回外したのにまぐれで大吉は2回引き当てる。2012年、何をトチ狂ったのか投手コーチ二人をブルペンに放逐。当然のことながらさっぱり結果が出ず、任期途中で解任される。
2012年途中~2015年途中 森脇浩司
どんでん強制送還後に指揮を執り、留任。2012年、2013年はいつも通りBクラスであった。しかし2014年は前述のとおり、いいとこまで行ったものの力尽き2位。CSは負けたが留任が決まり、監督就任期間の記録更新に臨むこととなった。しかし、2015年大型補強した全員が機能しなくなり壊滅状態に。結局、6月頭に自力優勝消滅の責任をとり休養となった。
2015年途中~ 福良淳一
Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

主な選手[編集]

オリックス・バファローズの選手一覧を参照のこと

主な補強[編集]

基本的に観客動員しか考えていないのでネームバリューで獲るのが多いので、いざ入団したら、リハビリストばっかである。活躍しようがしまいが関係ない。だって誰も気にしない。まともな補強ができたのは2013年だけである。2014年は久々のAクラスで気を良くしたのか、大きな人犬のお父さんみたいな金満補強に走った…のだが全員リハビリスト入りという不名誉な記録を作ってしまった。

2012年以前[編集]

…他、誰かいたっけ?活躍しなかったから忘れた。

2013年以降[編集]

ファン[編集]

活動中のファンが写っている貴重な写真

かつてはプロ野球随一の不人気球団であったため、球場でさえファンを発見することは困難であるとも言われた。 そのため、「球場以外で7人集まると願いが叶う」という迷信まで飛び交うようになった。

同じ関西に本拠地を置く黄色いパンダ球団何かとあの戦力でとか、うんぬんぬかすファンは多いが、マスコミに取り上げられないだけで補強は多い。かつては観客動員しか考えておらず、ネームヴァリューだけで補強していたのが阪神教徒の記憶に刻まれ、彼らにとっては、「近鉄を勝手に吸収して、神戸の森から、大阪民国に勝手にきた関西の極悪お荷物球団」としか思われていないのが事実である。

オリックスなんだから、ファン感神戸の森でしろや!阪神教徒の本音である。

この現状を見かねて、2014年に球団は驚くべき奇策に打って出た。 それは、同じくファン減少に悩む太平洋連合軍の一員である獅子と共に、3分しか戦えない人に頼んでファンになるように洗脳してもらおうというものであった。 野球が約3時間かかるスポーツであるので、かなり無謀な作戦かと思われた…にもかかわらず、オリックスはゴールデンウィークの対駄菓子屋戦で作戦を決行。 この作戦が吉と出たのか、天から舞い降りた「オリ織姫様」のお力により観客動員数が前年の1.18倍になるという快挙を達成している。まず観客が増えるということ自体ありえないことであるため、天変地異の前触れではないかとの意見も多数出た。ファン増加に気を良くした球団は、京セラドーム改造の敢行。突如として天から舞い降りた救世主に感謝の念を込めて、女性志向に仕立て上げた。

2015年、感謝してもしきれない球団は、チームカラーにピンクを取り入れるなどの半ば暴走に近い行為に走ったが、これも大方の予想に反して大成功を収める。4月にも関わらず織姫様が舞い降り、1日で京セラドームに約36000人が押し掛けるという怪奇現象を2回発生させた。チーム成績に反比例して着実にファン数を増加させている。

マスコット[編集]

マスコットはブルーウェーブから受け継いだネッピーという海神の子である。……いや、「であった」と言うべきか。

2010年、彼は戦力外通知を受けることとなる。球団側が全面リニューアルをはかりたいというのが主張であるが、「金がかかり過ぎ!」という理由もあったとかないとか。かくしてネッピーはオリックスを去った。「ふるさとの海に帰る」と本人は言っているが、その後はお察し下さい[2]

そのかわいらしさから欲望の対象になることもしばしば

代わりに来たのが「バファローブル」「バファローベル」と名乗る牛のような何か。種族は「バファローオリックス(動物のキメラ)」とのこと。オリックス(野球チーム)は牛を二頭持っているということらしい。

しかし、鳴り物入りでやってきた新マスコットの妹「バファローベル」は登場早々から一部の方々に人気が大爆発し、その人気は球団人気以上とも噂される。ひこにゃんせんとくん以来久々の大ヒットゆるキャラになるかもしれないと各方面から期待がかかる一方、兄であるバファローブルの存在感は母体である当球団と遜色ないので安心して欲しい。

脚注[編集]

  1. ^ にも関わらず、イチローの背番号51は準永久欠番扱いになっている。本人も「さすがに自分の背番号はつけたがらないだろう」と言っている。
  2. ^ 2015年4月に神戸市内で生存が確認された。

関連項目[編集]