オマージュ

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「人類の長い歴史の中で既に作品におけるかなりのパターンが消費されてしまっているのも事実で、これを徹底的に取り締まると新作が作れなくなる可能性もあり、その線引き加減は難しいところなんです。(そしてせっせとオマージュ造り)」
オマージュ について、韓流ドラマ制作スタッフ

オマージュ(仏:hommage)とは、アイデアが枯れた、もしくはそもそも欠落した自称アーティストが、過去の作品や他人の著作物等をパクる際に免罪符として乱用する魔法の言葉である。

普段何気なく見ていた映画が、何時か何処かで見たことがあるような気がする場合がある。デジャブかと思いきや、ふと気がついて、「なんだよ、これ□□□のパクリじゃねーの。」と眉をひそめた後で、「これは敬愛する○○○の作品□□□へのオマージュである。」と言われて、ああ、そうだったのかと何となく納得してしまったことはないだろうか。とすればオマージュ制作サイドとしてはしてやったりである。

概要[編集]

もともとは芸術や文学において、尊敬する作家や作品を見て、「あれカッコいいな」とか「俺もやってみたいな」と影響を受けたり、「俺だったらもっとうまくやれるのに」と勘違いした人物が似たような作品を創作する事で、しばしば「リスペクト」(尊敬、敬意)と同義とされる。

映画などにおいては、好きな監督や作品などへの敬意や愛情を示すために、その作品をイメージさせる映像(演出)、もしくはキャラクター等を、余り核心に触れない程度に然り気なく挿入することがある。これはファン心理をくすぐる、また元作(原作ではない。これは飽くまでオマージュである)のファンを取り込み商業的上積みを図る心憎い演出として評価される。

だが「敬意」という曖昧な示準を良い事に、しばしば意図的に多大な影響を受けてしまう者がいるという問題点があり、昨今特に顕著化している。

オマージュと言われてしまったら最後、これもオマージュ[編集]

  • 作品の肝心な部分がまるっきりコピーだったり、元作で写っていたからと時代劇なのに空のヘリコプターまで映したり、セリフ噛みまで真似したり、役者のダイコン振りがブリ大根に変わっていたり、と、出来上がった作品のどこを見ても元作への愛情が感じられなくても、オマージュである。
  • 別作品と言い張るためにろくに考えもせずに付け焼刃的に手を入れて火傷ストーリーの整合性が取れていない、または劣化させてしまったり、最初から最後までまるで同じだったりするものでも、やっぱりオマージュなのである。
  • 制作スタッフや制作会社、制作年、パッケージまで寸分違わぬもので、「パクリどころかガチコピーだよ」と思えても、中国韓国では立派なオマージュなのである。それどころか著作権や商標までオマージュされ、更に現地政府により保証される。

オマージュではない[編集]

そもそも好きな作家や作品が、それを受容する人物に大きな影響を与えるのは必然であり、漫画家のアシスタントが独立した際に同じような絵柄になってしまうなど往々にしてあり得る例である。無論これをオマージュとは言わない。 一般的に許容されるものなので盗作とも言わない。しかし、より上等の作品に化けてしまったりすると話は別の様である。

お得です[編集]

オマージュはリメイクではない事から、著作の使用料は踏み倒し放題発生しないので実に安上がりである。モラルの欠如や、著作権を主張したとしても、オマージュという錦の御旗の前には何人たりとも異論反論オブジェクションの余地を得ない。

受容する側も、最初は盗作だと思ってもオマージュという言葉を聞いた途端「オマージュなら問題無いよね」と許容してしまう風潮にあり、元作者が発狂してしまう事例は後を絶たない。

まさに創作界の最終兵器と言えよう。

アンサイクロペディアですが[編集]

アンサイクロペディアウィキペディアのオマージュではない。飽くまでパロディであることを忘れてはならない。例え笑えない記事だったとしても(ここ大事。テストに出るぞ)パロディなのである。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「オマージュ」の項目を執筆しています。