エルンスト・ヘッケル

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エルンスト・ヘッケル(仕事装束)。白木の杭に大蒜を持ち、吸血鬼退治に向かう。

エルンスト・ハインリッヒ・フィリップ・アウグスト・ヘッケル(1834年2月16日 - 1919年8月8日)は、ドイツ生物学者哲学者画家ヴァンパイアハンターである。四界説反復説の提唱、及び系統樹の執筆者として広くその名を知られる。

由緒あるヴァンパイアハンターの家系に生まれたヘッケルは、幼少の頃から凄まじいまでの才能を見せ、一族でも最年少で妖怪退治業界に参入、名を轟かすようにまでなる。また、多忙の追われる身でありながら同時にメルセブルクにあるカトリック大司教区の高校を主席で卒業しており、その後も家業をこなしながらベルリン大学・ヴュルツブルク大学で医学と自然科学を専攻、医学士の学位を取得している。更には平行して絵画の趣味も嗜んでいたとされ、ヘッケルがどれほどの天才であったかを示すエピソードとしてよく語られている。

また放散虫の研究でも有名で、これは彼が吸血鬼退治という職業柄海に出ることが多かったために[1]海洋に広く分布する放散虫を研究対象に選んだことが知られている。その他、生態学の分野の確立やの提唱など、その功績は枚挙に暇がない。

進化論[編集]

ヘッケルがチャールズ・ダーウィン進化論に出会ったのは、1860年に『種の起源』が独訳出版されてすぐのことだった。シュヴァルツヴァルトの朽ち果てた古城に住み着いていた吸血鬼を退治した帰り、片田舎の古本屋にて何気なく立ち読みしたその本に深い感銘を受け、同僚の魔術師達の力も借りて勢いで系統樹を執筆、進化論の道に進むことになる。その中で、吸血鬼が生物のカテゴリーの範疇外であることに疑問を持った。実際には超常の妖怪達の分類を行えるような学者がいなかったためにカテゴライズされていなかっただけであり、実際にヘッケルは妖怪退治人としては史上初めての分類学者であったとされる。彼は仕事で吸血鬼をとっ捕まえて飼い慣らすついでに[2]その顕現の根本や生物学的特性などを調べ尽くした。その結論として、「妖怪は生物の一種である」という論文を書き、四界説を提唱、分類学界に激震を起こす。リンネの三界説が主流だった当時、妖怪が生物として新しくカテゴライズされるという事態に、感嘆から批判の声まで様々な意見が飛び交う騒ぎとなった。

画家として[編集]

ヘッケルによるエデンの園。この楽園の中央に生命の樹が生える。
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彼は水彩画家としても高い実力を有していたが、絵画方面のツテを一切持っておらず、また彼自身もあくまでも絵画は趣味と割り切っていたため、その画才が注目されることはほとんどなかった。しかし、後世になって彼の研究論文が広まるにつれてその画才も同時に評価されるようになり、現在では絵画方面でも高い評価を得るに至っている。


注釈[編集]

  1. ^ 吸血鬼は水の上を渡れないため、海上で過ごすのは当時のヴァンパイアハンターにとって最も手っ取り早い心身浄化・耐性強化の手段であった。
  2. ^ 当時、文明の発展から武器が近代化され、専門家クラスともなれば弱小の妖怪相手ならまず負けることはないようになっていた。そのため、人間型の妖怪(人間の恐怖の体現、自然の体現などといった精神的なものを昇華した存在のため、総じて美人であることが多い)を殺さず捕まえて魔術儀式や封印術式で無害化した、愛玩妖怪という裏商売が確立された頃であった(とはいえ上位の魔術師にしかライセンスは発行されない上、取得条件も現在とは比べようもないほど厳しかった。また妖怪の種別により危険度が設定されており、吸血鬼は特Aランク指定、吸血鬼の調教師資格を持っていたのはヘッケルを含めても当時数人もいなかった)。
    ヘッケルは多趣味ゆえに様々な方面で資金を必要とすることが多く、愛玩吸血鬼ともなればその値段は天文学的なものとなるため、見た目麗しい吸血鬼を相手取った場合にはそれがよっぽど凶悪なものでない限り、出来る限り捕獲を心得ていたという。
    余談であるが、ヘッケルによる調教中に何を間違ったのか思いっきり本気で彼に惚れてしまった女吸血鬼が何人もおり、吸血鬼の正妻アグネスの他にも何人も吸血鬼の愛人がいたことが知られている。尤も彼は完全に隠し通していたため、表沙汰になったらどうしようというような弱気な内容が、吸血鬼フリダとの文通の書簡に残っている(正妻にバレれば女吸血鬼達による血で血を洗う血肉の争いが起こるのは目に見えて明らかであった。しかし発覚は彼の死後しばらく経った後であるため、Nice boat.な展開は起こらずに済んだ)。