エクストリーム・旅行

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エクストリーム・旅行とは、その場を離れることなく如何に幻想と驚愕に満ちた世界を垣間見れるかを競うエクストリームスポーツ

ルール[編集]

脱法・違法を問わない種々のドラッグ、飲酒による酩酊、自殺未遂による臨死体験など、様々な手法を駆使してその場を離れることなく、どれほど奇想天外な場所を旅行する事が出来るかを競う。

選手1人1人に広さ四畳半の部屋が1つ与えられ、競技時間の間はその部屋から出る事を禁じられる。 [1] 全選手が部屋に入った時点で競技開始の合図がされ、それ以降から旅行をするための準備を始める事が許される。従って、部屋に入る前に何らかの準備を施す事は禁止されている。 [2] このルールを誤魔化そうとする者は第1回大会からあとを絶たず、年々その隠蔽は巧妙になってきている。 [3]

競技開始とともに、事前に大会運営者に届出た上で持ち込んだ、自身が旅行をするための道具が部屋の内部に送られる。道具に関しては部屋の内部に納まる大きさで、かつ選手自身が準備すれば、ドラッグ、酒類、仔猫、脳改造のための医師と手術設備一式等、基本的にどんなものでも許される。競技中は選手の脳内に事前に埋め込まれた特殊なチップによって選手の見ているものがモニターされ、どの様な旅行をしたかでポイントが加減される。 [4] 旅行した場所や見聞きしたものの種類によって大まかな点数は決められているものの、その際の状況等によって大きく得点は変化する。基本的には整合性やストーリーがある場合に高く評価されるが、審判団の構成により評価される点が異なる場合もある。競技が終了した時点でポイントが高い者ほど上位の順位が付けられる事となる。

歴史[編集]

エクストリーム・旅行の起源は非常に古く、を人間が見られるようになった頃にはすでにその原型が生まれていたとされ、人類最古のエクストリームスポーツとする見方もある。原型とされる段階では単に前夜どのような夢を見たのか、どちらの夢が凄かったのか、と話し合うだけの行為であったが、時代と共に人々の知る世界が広がり、そして様々な文化や技術が人類に芽生えていくに連れて競技の幅は広がっていった。

エクストリーム・旅行の原型とされるものの中で、最も早い時期に形式が確立されたのは古代ギリシャ夢比べという儀式である。この儀式は当初、自称予言者の狂人ども高名な予言者たちを集めて誰が最も的確に未来を占えるかを競わせる、アポロンに捧げる神事であったが、後には多くの民間人も参加し、誰が最も神秘的な夢を見られるかを競う大衆的な行事となった。夢比べという名の通り、当時は睡眠をとる手法が主流であり、既に発見されていた幾つかの麻薬を使う者はほとんどいなかった。 [5] しかしながら、睡眠による夢比べは1日の間にそう何度も出来るものではなく、また確実に神託を得られるとは限らないために大規模な儀式を行うのは非常に困難であった。 [6]

その後、夢比べは各地方土着の宗教を取り込みながらヨーロッパ各地に広がるが、中世ヨーロッパにおいて暗黒期を迎える。当時は既にアルコールを夢比べに取り入れる事はタブーではなくなっており、各地に広まる過程で単なる祭りと化しつつあった事もあり、むしろ歓迎される動きすらあった。 [7] そのために道徳的・宗教的な問題もあってキリスト教に目を付けられ、相次いで夢比べの参加者が魔女狩り異端審問にかけられる事となった。特に1562年にイタリアのラツィオ村で行われた異端審問は凄惨を極め、村人の半数以上が異端として火炙りに処された。 [8] この他、ペストの流行などによって夢比べは急速に衰退。17世紀には、ヨーロッパにおける夢比べはほぼ完全に途絶える事となる。

ヨーロッパ各地で細々と伝えられていた記録は残っているものの、夢比べが再び歴史の表舞台に立つのは19世紀後半のである。中国にはシルクロードを通じてヨーロッパから夢比べの風習が伝わり、独自の変化を遂げて万里夢想と呼ばれる宗教行事となっていた。 [9] この行事は自らの精神を肉体と切り離す事で桃源郷に至り、死後の安寧を仙人たちに約束してもらう事を目的としており、相次ぐ西洋列強の到来によって社会的不安の広まっていた末期の清では全国的に広がっていた。この風習に、当時イギリスから大量に密輸入されていたアヘンが取り入れられ、酒類による酩酊や麻薬による幻覚を重視する現在のエクストリーム・旅行に近い形式が形成された。 [10] その後、単なる退廃的な娯楽と化した万里夢想は西洋に逆輸入され、退廃的な遊びとして一気に広がる事となり、旅行という隠語で示され、ドラッグと共に各国の若者たちの間に根深く浸透していた。

近代的なエクストリーム・旅行が成立し、正式にエクストリームスポーツとして登録されたのは、1963年の事である。 [11] エクストリームスポーツ実行委員会による「エクストリーム・旅行 公式ガイドブック」によれば、「当時の実行委員会会長の『近年の若者たちの退廃的な生活を何とか出来ないだろうか』という強い憂慮により、あえてエクストリームスポーツとして位置づけることで、危険性を世間に知らしめ、また動向を把握・管理する事を目的とし、エクストリームスポーツに登録された」とされている。

1964年に第1回大会が開かれて以後、4年ごとに各国から派遣された代表が集って世界大会が開かれている。

得点の加減[編集]

Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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  1. ^ 実行委員会の公式ルールには、窓は西向きに1つ、扉は北向きに1つなど、部屋に関する細かな規定が記されている。なお大会の規模にもよるが、少なくともトイレと洗面台、椅子1脚は部屋の内部に作りつけられている場合が多い。
  2. ^ 但し、睡眠時間の調整については「旅行をするための準備」と見なされない。
  3. ^ 有名なのは、第11回大会におけるサントメ・プリンシペ民主共和国代表選手が行った仕込み。彼は非常に健康であったにも関わらず、試合前の身体検査で身体にペースメーカーを使用している事を申告した。実際にペースメーカーは埋め込まれていたが、不審に思った医師が詳しく検査した所、ペースメーカーから伸びた電極が脳に埋め込まれている事が発覚し、失格となった。
  4. ^ この技術が開発される以前は、競技時間終了後に選手の脳とテレビ画面を接続して旅行した記憶を映像化する技術が用いられていた。そのため、当時は記憶が掘り出せない程度の廃人になったり、死亡したりした時点で失格となっていた。
  5. ^ 麻薬を使う事を禁忌としていた場合もあり、当時の夢比べに関する記録には「怪しげな葉を持ち込んで夢比べに参加しようとした男がいたので、夢比べを冒涜した罪でこの男を追放した」との記述がある。
  6. ^ 「参加者の半分は待ち時間の間に睡魔に負けて眠ってしまい、競技が始まっても眠る事が出来なかった。残り半分の中にも夢を見れなかった者や、競技が終わってもいびきをかいて眠り続けるものが続出した」とソクラテスは自身の日記の中に記している。
  7. ^ フランスのある村には、夢比べに参加した村人たちが勢い余って前年に仕込んだワインをすべて飲み干してしまったという話が伝えられている。なお、この村では現在でも村内における飲酒と居眠りが厳重に取り締まられている。
  8. ^ ラツィオ村の審問に立ち会った異端審問官の日記に、その様子が記されている。「村には苦悶の声や泣き叫ぶ声、人の焼ける嫌な臭いが満ちていた。村中に立った人型の火柱と舞い散る煤は、我々に地獄の様を想起させる。主への信仰に迷いは無いが、願わくは彼らに神の慈悲が与えられん事を」
  9. ^ 万里夢想という名は、「ある青年が遥か彼方も先に住むと言う仙人から不老不死の薬をもらおうと旅を始めた。青年はひたすらに旅を続け、老人になってやっと仙人の許に辿り着く。そこで仙人に『不老不死はやれんが、その旅を続けた年月の分は幸せな人生をやろう』と言われる。その瞬間青年は目を覚まし、それが夢であった事に気づく。その後、青年は幸せに長生きをした」という中国の故事から名づけられたとする説が有力である。
  10. ^ それと同時に、別の世界に旅立つ者もこれまでに無く増えた。
  11. ^ 上記実行委員会によるガイドブック及び委員会が公表した文書より。
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