エクストリーム・弱者

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エクストリーム・弱者( - じゃくしゃ)とは、他人からどれだけ同情を集めることが出来るかを競うエクストリームスポーツである。その競技者のことを弱者(じゃくしゃ)と言う。弱者は、各種マスメディアの前で様々なパフォーマンスを行い、一般人から最も多くの同情を集めた者が優勝者となる。エクストリーム・弱者は毎年、世界各国で開催されており、エクストリーム・謝罪などと並ぶ人気スポーツとなっている。

ルール[編集]

エントリー[編集]

エクストリーム・弱者には「本来の意味における弱者」つまり「社会的に弱い立場に置かれている人」しかエントリーできない、と思われがちだが決してそんなことはない。この競技への参加基準は特に設けられておらず、誰もが自由にエントリーできるのだ。ゆえに、自分が勝手に「弱者」だと思い込んでいる「自称弱者」でもエントリーは可能である。もっと言えば、自分が弱者であると偽ることで何らかの邪な利益を得ている人も、大勢エントリーしているのである。また、マスメディア、市民団体政党などが「この人は弱者だ!」と他薦するケースも多く、「この競技の名をエクストリーム・弱者探しに変更したらどうか」と揶揄する声もあがっている。

競技環境[編集]

先ほど「誰でもエントリーできる」と書いたが、近年の競技技術の向上によって、弱者単独でのパフォーマンスは難しくなってきている。近年の有力競技者を見ても、同じような主張を持つ弱者どうしが連合チームを作って闘うケース、弱者の背後に多数の支援者が付いているケース、各種の専門家のアドバイスを受けてパフォーマンスを行っているケースがほとんどである。

例えば、ここに一人の弱者が居たとする。彼が一人で競技を行ったとしても優勝する見込みはゼロに等しいだろう。まず、彼の声を社会に広く伝えるために「被害者団体」「患者団体」「○○の会」といった団体を設立し、同じような主張をしている他の弱者と共に行動する必要がある。次に、マスメディアや政党などを通じて彼らの活動を紹介してもらい、世論を盛り上げる。[1]その際、国会議員弁護士などの専門家と協力して、彼らがいかに可哀想な立場に置かれているかを社会に向けて発信することが望ましい。このように、周到な計画を練っていなければ、この競技で良い成績をおさめることは出来ないのだ。

しかし、エクストリーム・弱者がこれほどにまで大規模化することに対して批判も上がっている。オリンピックの商業化問題と同様に、このスポーツの本来の目的が忘れ去られてしまうのではないか、という声も聞かれるようになった。このようなやり方では結局「声の大きい者」が勝ってしまい、「本当の弱者」の声が届かなくなってしまうのではないか、と懸念する声も根強い。

使用されるメディア[編集]

弱者が「自分がどれほど『可哀想』であるか」を社会に向けて主張することをパフォーマンスという。弱者のパフォーマンスのほとんどはメディアの前で行われる。ここでは各種メディアを使ったパフォーマンスを簡単に説明する。

新聞や雑誌などの活字メディア
最も古くから使われてきたメディアであり、弱者の主張をかなり詳しく掲載することができるという利点がある。ただし、これらのメディアの政治思想は千差万別なので、パフォーマンスに使用するメディアの選択が重要になってくる。『聖教新聞』や『赤旗』のような、特定の主義主張を持った人しか読まないようなメディアではパフォーマンス効果は低い。『週刊金曜日』で拉致被害者家族、『正論』や『諸君!』で在日朝鮮人などがパフォーマンスを行っても、その購読者層の違いのためにかえって逆効果になることは間違いない。
テレビ
テレビ番組は、各局で多少の主義主張の違いはあるが、おおむね中立な観点から製作されている。ゆえに、よほどの政治的偏向さえなければ、あらゆる弱者が利用可能なメディアである。また、映像と音声を用いたパフォーマンスによって、より一般人の感情に訴えるようなパフォーマンスが可能となる。[2]しかし、有用なメディアであるが故に、それを利用しようとする弱者間の競争倍率も高い。
インターネット
近年、弱者の間で最も注目されているメディアである。上記のようなメディアは、「強い弱者」[3]しか利用できないが、インターネットなら全ての弱者が簡単に利用できるのである。近年の大規模化した競技の流れが、インターネットの登場によって大きく変わってゆく可能性もある。

パフォーマンス技術[編集]

裁判所前でのパフォーマンスの様子。
街頭でのパフォーマンスの様子。

有力な競技者がどのようなパフォーマンスを行っているのかを紹介する。

裁判
日本全国津々浦々で行われている、最もポピュラーなパフォーマンスである。弱者が原告となって、弱者に被害を与えた(と弱者が主張している)相手に損害賠償などを請求する。この種のパフォーマンスで高得点を得る秘策として、優秀な弁護士を雇う、証言台に立って裁判長に涙ながらに訴える、「勝訴」「不当判決」「無罪」などと書かれた垂れ幕を用意しておく、などがある。また、被告が大企業である、被告が控訴または上告した、裁判が長期化し原告の高齢化が進んでいる、といったケースではさらなる高得点が期待できる。
デモ署名運動、募金活動
プラカード・募金箱・拡声器などを持った弱者が、街頭に出て自分達が置かれている状況を説明する。極めて偏向した主張を行っていれば別だが、概ね有効なパフォーマンスと成り得る。支援者だけでなく、患者・障害者・子どもなどがパフォーマンスを行うとより効果的である。ただし、あまりに過激な行為を行うとかえって逆効果となる場合がある。
記者会見など
上記のパフォーマンスと併用して使われる事が多い。被害者の遺影を持って涙ながらに会見を行うと、より効果的である。ただし、取材に来た新聞社やテレビ局の都合に合わせて、発言内容が編集・解釈される可能性があるのが難点である。
世論形成
自分たち弱者が「完全なる善」であり相手が「完全なる悪」である、という世論を形成することが高得点を挙げる最重要ポイントとなる。弱者側に多少の過失があったとしても、それをなかったことにし、相手がいかに傍若無人な振舞いをしてきたかを訴えることが大事である。

歴史[編集]

この競技の始まりは、18世紀後半のフランスにまで遡る。フランス革命によって、それまで貴族などに虐げられてきた平民が声を上げるようになり、彼らの声を広く社会に反映させることが政治家の間で大流行となった。こうして、弱者の声を広く伝える技術を競う競技が始まった。ただし、これはあくまでも「弱者の声を伝える」競技であって、「弱者自身が声を上げる」競技ではなかった。[4]このような性質が、近代化した現在の競技にも受け継がれている、と主張する声もある。この競技が、その後のマスメディアの発展によって、今日のエクストリーム・弱者へと進化していったのである。

主な弱者[編集]

近年の優勝者一覧[編集]

エクストリーム・弱者の日本大会は、日本で民主的なジャーナリズムが復活した1945年から始まった。ここでは、近年の優勝者のみを紹介する。

常連の弱者[編集]

優勝するには至っていないが、毎年のようにこの競技に出場している弱者もたくさんいる。その中の一部をここで紹介する。

障害者団体、患者団体
各種の障害者団体が毎年のようにパフォーマンスを行っている。その中には、水俣病患者団体のように実際に優勝した団体もある。近年では、ハンセン病患者団体などが優勝候補になるなどしている。裁判や署名活動などのパフォーマンスを行うのが一般的。しかし、参加者の高齢化が進む団体も多く、「早くこの団体を優勝させなければ」という声も多く聞こえる。
市民団体
軍靴の足音に敏感な人達が集まって、九条・靖国参拝・教科書問題などに関するパフォーマンスを行っている。しかし、彼らは実際に差別等をされてきたわけではなく、「精神的苦痛を受けた」などといった主観的な主張に終始しているため、優勝には至っていない。
シーシェパードによる海上でのパフォーマンスの様子。
絶滅危惧種クジライルカ
環境保護団体からの他薦によって毎年エントリーさせられている動物達。
フェミニスト子ども高齢者
女性男性よりも弱い立場に置かれている」「子どもだからという理由で不当な差別を受けている」「近頃の若い者は・・・」などと主張している人達。
デブハゲブスバカなどと呼ばれている人
彼らは、自身の身体的特徴によって社会から不当な差別を受けている、と主張している。「彼らの主張は全く根拠のない妄想である」と切り捨てる意見もあるが、「実際にそのような差別はある」と主張する意見も根強い。

というか、もうここまで来たら、世の中の人みんなみんな弱者であるような気がしてきたが、みなさんはどうお考えだろうか。

注釈[編集]

  1. ^ 「支援者の会」などを作ってパフォーマンス資金を集めることが出来たら、なお良い。
  2. ^ そのようにして報道されたものが、本当の弱者の姿を反映しているのか、については大いに疑問だが。
  3. ^ こういった言葉自体、矛盾している気がしてならないが、誰も気にしない
  4. ^ 当時の政治家のほとんどはブルジョワジーであり、彼ら自身は決して「弱者」では無かった。

関連項目[編集]