ウラジオストク

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ウラジオストク(ロシア語:Владивосто́кヴラジヴォストーク)はロシア帝国沿海州地方・日本海沿岸の海軍基地である。

名称[編集]

ヴラジは、英語の"have"を意味する"владеть"(ヴラジェーチ)の転訛であり、ヴァストークは「東」である。したがって日本語に訳すと「東方征服せよ」という命令文になる。断じて"(It is) having the east."(東部を所有していること)ではない。 ただし皮肉なことにロシアの領土はウラジオストクで止まっている。

ロシア帝国はUTC+3からUTC+12までの時間帯を持つ、「太陽が1時間しか沈まない国」であるため、アジアや他の東欧諸国、東アフリカは南であり、単に「東」というとカナダアメリカの西部になってしまう(ウラジオストクは北緯43度にあるのでロサンゼルスはそれほど南ではない)。そうではなくて、ヴォストークは「東京」の「京」の字を略した呼称なのである。皇居がある東京を侵略するということは、すなわわち日本を侵略しろということである。

類似した地名にヴラジーミル(セカイを征服せよ)、ヴラジカフカス(カフカスを征服せよ)がある。

歴史[編集]

マルコ・ポーロが著した「東方見聞録」に、「ジパングの宮殿や民家は黄金でできている」と書かれていることを、まだ真に受けていたアレクサンドル2世は、1860年、北京を占領していた英仏軍に、

「まあまあ、三人とも物騒なもん振り回すんじゃねえよ」

と手打ち盃を交わさせ、仲裁料として清国から外満州を強奪した。このうち海参崴と呼ばれていた漁港は冬でも凍結しない、いわゆる不凍港だったため、ロシア帝国はヴラジヴァストークと命名して、ブリヤート共和国サハ共和国の植民地経営を差し置いて重点的に開発した。開発Projectの目的が東方、つまり日本侵略であったことは前述のとおりである。

このウラジオストクは一応馬鹿にはなっていますが、文章構成など変なところがたくさんあります。
早くりっぱな馬鹿にしちゃってください。

(ここからウラジオストクと関係ない)

この野望を察知した大日本帝国は、朝鮮の独立と改革の推進、東洋全局の平和を維持するために、1894年から1995年にかけて日清戦争を行い、翌年遼東半島台湾澎湖諸島を割譲させた。遼東半島はどうせロシアに侵略されるから、被征服民にも優しい日本が代わりに支配してやったんだよ。台湾についてはあれだ、康熙帝が鄭克ソウから台湾を奪ったから仇を討ってやったんだよ。

しかし、卑劣にもロシア帝国はドイツフランスとつるんで日本に遼東半島を清国に返還させた。遼東半島を日本が所有することは、清国の都を危うくし朝鮮国の独立を有名無実なものとするという理由だったが、単に、中国に行くには南シナ海を通るのが近道な国同士(アメリカもそうやって中国に来ていた)による仲間外しにしただけである。

大日本帝国はこのことにめげず、1904年から1905年にかけて日露戦争を行い、関東州を奪取し、千島樺太交換条約で譲渡した南樺太を奪還した。

1917年にロシア革命が起きると、翌年、連合軍の名のもとに大日本帝国はほとんど単独でシベリアに出兵した。オデツサヤルタならほしい国はあったが、シベリアがほしいという国など日本だけだったからである。これに対し、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国という、ソ連とは少し違うがほとんど同じ国が、1920年、旧ロシア帝国領の東部を切り離し、極東共和国という今のモンゴル共和国や北朝鮮みたいな国を独立させて資本主義国とのクッションにした。

この奇策にアメリカ、イギリス、フランス、カナダイタリアは次々とシベリアから手を引いた。二階に上げられたまま梯子を降ろされた日本軍はパルチザンの抵抗によってみるみる消耗し、1922年には北樺太以外の占領地から撤退した。このときに日本軍とともに樺太を経て北海道、さらには内地に渡った白系ロシア人の子供がスタルヒン、大鵬、岡田真澄らである。

日本軍撤退から一ヶ月後、極東共和国はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に併合され、ウラジオストクは再びロシアのものとなった。元の黙阿弥とはこのことである。

さらに、1945年、北樺太、南樺太、占守島から得撫島までの北千島列島、択捉島から歯舞群島までの南千島列島もロシア帝国に占領された。なぜだ!!

坊やだからさ

これは大日本帝国の敗北をあらわすのか。(中略)

2012年5月7日就任したロシア皇帝、プーチンのファーストネームはあのレーニンと同じウラジーミル(セカイを征服せよ)だ。

立て、国民よ。大日本帝国の未来は諸君の双肩にかかっている。

関連項目[編集]