アンサイクロペディア日本語版

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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アンサイクロペディア日本語版(アンサイクロペディアにほんごばん、八百科事典ゴミペディアとも)は、アンサイクロメディア財団が運営する多言語オンライン百科事典プロジェクト「アンサイクロペディア」の日本語版である。

現在、19,664件の記事が存在している―9割がパロディでさえもない、殴り書きのゴミ記事であるという事実に目をつぶれば、だが。これはポルトガル語版英語版、バイエルン・オーストリア語版に次いで第4位である(ちなみに5位はポーランド語版)。

歴史[編集]

発足当時[編集]

一説によると日本にアンサイクロペディアを伝えたのは、悪魔の仕業であったという話である。


明治元年、耶蘇教の修道士達に紛れ込んで、一匹の悪魔がオーストラリアから日本に渡ってきた。当然悪魔の目的というのは、日本人を堕落させ、日本に悪の種を播くことであった。しかしながら、これはまだ日本に耶蘇教が広まる以前のことであり、悪魔といえども、なかなか堕落させる日本人の見つけ出しようがなかった。悪魔は手持ち無沙汰に、この地にアンサイクロペディアを作ることを思い立った。彼は故郷ではやはりアンサイクロペディアの常連寄稿者であった。悪魔はさっそく英語版アンサイクロペディアの記事名前空間にサブページJa/を作ると、そこで毎日こつこつと記事を育てることにした。

さて、ある日のこと悪魔が例によってサブページでアンサイクロペディアの記事を育てていると、そこへ二頭の牛を連れた、近在に住む牛飼いが通りかかった。牛飼いは悪魔の編集しているwikiに興味をそそられ、また悪魔の格好から、これはてっきり海を渡ってきた耶蘇教の修道士の一人であろうと思い込み、気軽に声をかけた。

「もし、もし、お坊さん。あなたはこのwikiで一体何を育てているのですか?」

「わかりませんか」と、悪魔は流暢な日本語で答えた。

「とんとわかりませんな。このようなwikiを見るのは、これが初めてですから」

「それは残念です。でも、もしあなたがこのwikiの名前を三日以内に当てられたら、このwikiをあなたに差し上げます。ただし、その代わり――」悪魔は言葉をついだ。「――もし、あなたがこのwikiの名前を言い当てられなければ、私が欲しがるものを一つ、あなたから戴きますが、それでもよござんすか?」

牛飼いはこの修道士が冗談を言っているのだと思い込んで、陽気に請け合った。「いいですとも、なんでもあなたの望む物をさしあげますとも」

「それじゃあ」と悪魔は帽子を脱いで、その下の山羊のような角を見せながら言った。「あなたがこのwikiの名前を三日目までに当てられなかったら、あなたの魂をいただきましょう」

この時になって、牛飼いはようやく自分の取り引きをしていた相手が悪魔であったことに思い至ったのであった。しかし、悪魔と一度交わした約束は、もう取り消すわけにはいかない。その日から三日、牛飼いはなんとかそのwikiの名が分からぬ物かとほうぼう尋ねて回ったが、なにしろまだGoogleウィキペディアも存在しない昔のことであるから、悪魔のwikiが何という名を持つのか、その糸口さえ掴めなかったのである。

そこで一計を案じた牛飼いは、三日目の晩に、一頭のソックパペットを連れて、こっそりと悪魔のwikiに忍び込んだ。そしてソックパペットをけしかけると、wikiのページを片っ端から白紙化し始めた。自分のwikiを荒らされる気配に勘付いた悪魔は、サブページに飛び出してきて、眠そうな声でソックパペットをこう怒鳴りつけた。

「――この畜生、何だって、おれのアンサイクロペディアを荒らすのだ」


多くのお伽噺と同様に、この後のことは述べるまでもない。次の日の朝、「アンサイクロペディア」という名前を言い当てて見せた牛飼いは、首尾よく悪魔のwikiを自分の物にすることができた。こうして、牛飼いの魂を手に入れようという悪魔の企ては失敗の裡に終わったわけであるが、しかし、本当に悪魔のたくらみは失敗に終わったのであろうか? ――いや、牛飼いの成功が一面の堕落を伴っているように、悪魔の失敗もまた、一面の成功を収めてはいるのかもしれない。

何にせよ、彼はこうやって日本にアンサイクロペディアを広めることができたのだから。

ちなみにアンサイクロペディア最初の日本語記事は、アンサイクロペディアの継承者Chronarionにより絵文録ことのはの記事[1]から転載された、英語版の翻訳記事「日本」である。この他の初期の代表的記事としては、非日本語ネイティブにより英語版から翻訳されたオダ幕府よけいなジャパニメーションパンティーショットNEVADAがあるが、いずれもその深遠かつ前衛的な文体と内容により、日本語話者には難解なものであった。

日本語ネイティブスピーカーによりアンサイクロペディアで直接作成された最初の日本語記事は、英語版からの翻訳記事オタクであり、記念すべき日本語による初のオリジナル記事は、日本ヘンタイ教育放送であった(と思う)。もう既にこの頃から、日本語版の方向性は決定されていた。

日本語化[編集]

アンサイクロペディア日本語版発足祝賀会の情景。 右の骸骨は7年前に死亡していたにも関わらず、墓から蘇って駆け付けてくれたオスカー・ワイルド
1907年4月1日、当初は英語版のサブページ「Ja/記事名」として編集されていたアンサイクロペディアが、正式に独自のドメインを持つ日本語版として発足した。この当時のトップページは、記事ヂイペンイメに現在も保存されている。

この時の日本語版発足祝賀会は鹿鳴館で開催され、畏れ多くも明治天皇陛下が御臨席になられた。

厨房利用者の急激な流入増加[編集]

そして2006年前半に、ミズタマのチチ僕のせいじゃないよ等のインターネットの大きな日本語ブログで、相次いでアンサイクロペディアが取り上げられた。これにより、数次の急激な利用者増が起こり、アンサイクロペディア日本語版は、他の言語のアンサイクロペディアにもなかった急激な成長を見せることとなる。

これを境に多数の空気の読めない参加者を迎え、初心者のためのガイドブックUncyclopedia:馬鹿にならずにバカバカしくやる方法などプロジェクト関連の文書が本格的に翻訳または作成された。

君は牛を二頭持っているゾークなど、項目数が増えた。ワンチン神聖扇動有産有識者会議出立魔道者契約連盟主導性超新体系先駆型社会世界生成直接型共産主義平和共和国連邦及びウドーン・チュウカメーン・ソバ・カキアゲ列島超国家共和連邦などをめぐる頭痛のするような項目も出現した。

BC権限のお札降り[編集]

天から降って来たBC権限に群がる一般利用者

アンサイクロペディア日本語版が発足してからほどなく、BC権限が日本各地で天から降りそそぐという怪現象が相次いだ。この出来事は俗に「お札降り」と呼ばれている。これにより多数の一般ユーザーがBC権限を手に入れ、当時は数名であったアンサイクロペディアのビューロと管理者は、一挙に十数名に膨れ上がった。手に入れたばかりの管理者権限に浮かれた利用者たちは、集団で「削除してもええじゃないか、ブロックしてもええじゃないか」と踊りながら手当たり次第にアンサイクロペディアの多数の記事を削除し、ユーザーをブロックして回った。この「お札降り」は、王政復古の発令によりビューロ権限の付与に制限が課されるようになったことで、ようやく収束した。

事件の発端となった天からBC権限が降り注ぐという怪現象の原因については、未だ明確な説明はなされていない。当時サーバー内に貯えられていたBC権限が竜巻により巻き上げられ、離れた地域に運ばれてから降り注いだとする気象現象由来説もある。しかしながら現在の最新の研究では、勤皇の志士達が世間を混乱させるために、意図的にアンサイクロペディアのBC権限をばら撒いたとする説が有力である。

この時生み出された十数名の「管理者」と多数の「一般利用者」の格差による身分差別は、後のアンサイクロペディアに引き継がれていく深刻な社会問題となっていった。

新興管理者の台頭[編集]

記事を削除して権力を誇示する新興管理者

お札降りにより生み出された新興管理者の多くは、その権限を利用して大いに財力を貯えることとなった。管理者は一般利用者による作成記事の20パーセント、ひどい場合には50パーセント近くを小作料として取り立てることにより、自らは記事の生産にまったく携わることなくアンサイクロペディアの上に君臨することができたのである。彼らは日夜記事の削除とユーザーのブロックにいそしみ、一般利用者はその下で貧苦に喘いでいた。右の図は、当時描かれた削除主義の管理者を風刺する一コマ漫画。

その後アンサイクロペディアにおいても維新が断行され、新たに管理者権限を手に入れるには一般利用者による制限選挙で当選することが最低条件となった。誰でも立候補することが出来る点が民主主義的だと評価する管理者の声もあるそうだがそれはあくまでも管理者の視点。多くの立候補者は管理者や利用者からの膨大な質問に苦しめられ、結局管理者権限を手に入れることも出来ず恥を晒すだけとなった。また投票資格を持つ者は管理者を中心とする一握りのみであるため、従来と大して変化が無いという問題点もある。これは現在に至るまで解決されていない。

さらなる成長[編集]

そして2007年以降も項目数は順調に増加していったが、「自己言及的なページ」「エクストリーム・スポーツ」「内輪ネタ」のいずれかに分類される記事群がたびたび問題を起こすことが多くなる。問題を起こした記事の多くは「つまらない」「ある記事の劣化コピー」「中途半端」などの特徴を持っていた。

見逃してはならない点は、この記事は2008年以降の事柄について、ほとんど書かれていないことである。一方で年表形式の類似記事は熱心に加筆がなされている。風刺と自虐に溢れる文章でこの記事に加筆することが困難となる程アンサイクロペディアが成長した、ということにしておこう。

アンサイクロペディア日本語版の現在[編集]

日本語版記事増加状況
近年は記事が増えていない

サイトの規模は、記事数でみれば最も大きな英語版の3分の1程度である。日本語版の特徴として、小・中学生の(※精神年齢含む)利用者による編集が多いことがあげられる。若干の変動があるものの、編集回数の約99%が精神年齢が小・中学生の利用者によるものである[要出典]。他の言語版での97%から98%[要出典]に比べると非常に多い。

また、言語間リンクの整備が発足当初から遅れており、同規模の他言語版に比べると、言語間リンクの数が著しく少ない点が挙げられている。これは、日本特有の事象を挙げた記事が多いのも一つの要因であり、投稿においてなのはハルヒらき☆すた中心にならないことが望まれている。

日本ではフェアユースが著作権法に定められていないため、アンサイクロペディア日本語版では著作権問題について触れることは、禁則事項ですとなっている(もっとも英語版の「フェアユース」も、その大半はフェアでも何でもないが)。このため日本語版ウィキペディアの日本製アニメの項目には画像がまったく使われていないのに、そのパロディの日本語版アンサイクロペディアでは使いたい放題という「珍現象」がよく見られる。

記述・項目は“自分の気に食わない記述は出来る限り物凄い勢いで削除すること”(編集合戦)が求められており、これはウィキペディアに類似している。

問題点[編集]

アンサイクロペディアの記事に対する人々の評価。

すべて。特に、ごく一部を除きその内容は全く信用出来ない(これはウィキペディアも同じ)。

サーバーダウン[編集]

ウィキペディアと違い繊細なアンサイクロペディアのサーバーはたびたびダウンする。2008年1月9日から12日にかけて発生した大規模サーバーダウンについては「記憶喪失 (アンサイクロペディア)」を参照。

オープンプロキシと署名の問題[編集]

誰も気にしない

嫌がらせなど[編集]

カバルは存在しない。 いや存在するかもしれない。

アンサイクロペディア運営委員会について[編集]

禁則事項ですアンサイクロペディア運営委員会を見ればわかるかもしれないよ。

耐久性[編集]

まともに加筆出来たためしがない。やろうとすると“データベース検索の文法エラー。これは恐らくソフトウェアのバグを表しています。 最後に実行を試みた問い合わせ:(SQLクエリ非表示)from within function "SearchMySQL::update". MySQL returned error "144: Table './uncyc_ja/searchindex' is marked as crashed and last (automatic?) repair failed (sophia)"”と弾き返される。最悪の場合にはDNSが行方不明になる(「Internet Explorer ではこのページは表示できません」を平然と返す)。2012年からは内部サーバエラーが頻発し、加筆を無視するようになった。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「アンサイクロペディア」の項目を執筆しています。