アル・カポネ

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この文章は、アルカトラズ刑務所の壁に書かれていたものです。

時は1920年代!!!禁酒法によって命の水を奪われた男たちは次々にゾンビと化し、町には「酒をくれぇ……」「ウヒィー!バーボン飲ませィー!」との呻きが溢れた……しかし、そんな町に一人の救世主が現れた!その名はアル・カポネ

やぁ皆さん。酒豪家の味方、アルカポネです。

悪ガキ時代[編集]

10年前、アルは学生であった。算数の得意な彼はそのクリっとした目の愛嬌や人柄で町の人気者であったのだ。しかし、何を思ったか悪ガキ達と付き合い始めると、学校は休みがちになる。そんな日々が続いたある日、彼の担任であった出歯な女教師に「学校にろくずっぽ来ないのに成績がいいなんておかしい、お前は試験の時イカサマをしていんだろう、いや間違いない、一体いくら隣の女子に払った?」と譴責される。しかし涼しい顔でアルはカバンからボンベイサファイア酒瓶を取りだすとおもむろに口角泡を飛ばしながらアルをなじる女教師の出歯を打ち砕いた。女教師は「たわば!」と青いボトルの欠片を散らし後ろに倒れた。

そのままアルは後ろを向いて学校を飛び出すと、二度と学校に来ることはなかったが、女教師はガラスの破片と唇から出た血とジンの中でごろんごろんしながら「退学にしてやるぅ……この世から退学にしてやるぞぉ」と誰もいない教室の中で呻いていた。

チンピラ[編集]

それから彼は暇にあかせては路地裏に赴くようになる。初めのうちはその界隈の住民たちから「ここはお前みたいなチェリーボーイの来る場所じゃない……」などと言われたがアルは持ち前のセンスで「フフフ、舐めてもらっちゃ困る。界隈じゃ俺は『歩く梅毒自動販売機』と呼ばれているんだぜ!」などとハッタリをかました。アルはユーモアにうるさい男だったがセンスはよくなかったようだ。

しかし、ちょうど後ろにいたイタリアマフィア幹部、ジョニー・トーリオが「面白いガキだぜ」と彼の少しずれたユーモアセンスと堂々とした態度を気に入り彼アルを子分にすることを許可する。そしてアルは彼の紹介によりフランキー・イェールという当時アメリカ全土の酒場とタバコを仕切っていた男のもとで働くこととなった。全く小説のような話である、今時は漫画ですら避ける手法のような展開に、アルは嬉々として彼の店で皿洗い、皿洗い、ポン引き、皿洗いをこなすのだった。

そんなある日、アルはトーリオのレストランに来た若い女性に、「どう?俺から梅毒買わない?今ならタダで。もちろん冗談だよ。ヒャハハハ」と卑猥極まりない言葉を投げた。女性客が顔を赤くして出て行くのとすれ違いに一人男が入ってきて、「いらっしゃあブッ!」といらっしゃいませを言おうとしたアルにパンチをぼこっ、と叩きこんだ。どうとアルは転び、「なんでいらっしゃいませで怒るんだ?」などと考えながらヒィヒィ言いながら厨房へ逃げようとした。打たれ弱すぎである。そこへ後ろから男はナイフでアルの頬を切り、アルが疼痛にぎゃあと叫ぶとやっと店の奥から屈強なトーリオの部下が現れ、男を捕まえた。調べたところ彼は先の女性客の兄であり町のチンピラだった。結局アルの顔にはそのときの切り傷が残り、「疵面」(スカーフェイス」という本人にとっては不本意なあだ名を付けられてしまう。後年アルはそれに対し復讐しようとするのだが、逆にその男から人の情を諄々と説かれ、逆に生活に困っていた彼を雇ったのだった。どっとはらい。

シカゴへと[編集]

1920年代、アルはトーリオの本拠地シカゴへと行くこととなる、のちにアメリカ一のギャングとなる親友ラッキー・ルチアーノとの別れの時は「俺……ビッグになって帰ってくるよ……」などとぬかしていたが、実はチンピラを打ちのめしてそのボスから命を狙われていたり、組織の殺人事件にモロ関わっていたので、起訴される寸前であり事実上逃亡だった。アルが「バイバイ!俺はビッグになって戻ってくるぜ!」と言ったのも、ルチアーノに対してではなく地元警察に対して言ったようなものだった。

シカゴでは以前のような皿洗いではなく、組織の中でポン引き、酒場の管理、ポン引きを任されるようになる。一年としないうちに彼の手腕は皆から評価され、トーリオから賭博場or売春宿の経営を任される。一年で2万5千ドル稼ぐ実業家となったアルは、「ママへ、不肖のアルは、立派にせいちょうしたので、シカゴのあたらしい家に来て下さい。ネオンとあかいやねが目印です。まってます。」と手紙を書き、家族をシカゴへと呼んだ。

その後アルは、禁酒法によって禁じられた酒の密売に目を付ける。醸造所を作る話でトーリオが、「いい考えだ、だが奴らにバーボンと馬の小便を区別できるとは思わない。」と言ったところ真っ向から反対、その熱意にトーリオも折れ、アルは早速馬のイバリ……いやウイスキー醸造所を作らせ、初めは安価でごく少量を町の酒場に流したところ、これが大反響。中風」(よいよいになって馬の小便を飲んでいた町のアル中ゾンビは大挙して酒場によろよろと集まった。「酒をくれぇ」と100人単位のゾンビにしがみつかれた酒場のマスターは「助けてくれぇーー!」と悲鳴を上げた。一体どうなってしまうのか!?

バンッ!

ゾンビ共が太陽の差す方向へと振り返ると、そこにはスーツを着込み、背中にタンクを背負ったアルがいた。「みなさん。安心して下さい。馬の小便など飲む必要ありません。なぜならば、貴方方の求めていたバーボンがここにあるのですから。」とクドめに説明すると、白い歯を見せてニッと笑った。

それからアルはシカゴの皆から慕われるようになった。金も驚くほど入るようになり、闇社会では誰もが一目置く男になったと自覚したアルは母親に向かって「ママ、俺はやっとビッグになったぜ……」と自分に陶酔している様を見せた。しかし、アルはその時純粋すぎた。俺はイイヤツ、人気者、自分を疎ましく思う奴なんていないだろうと思っていたアルはそれは間違っていた事をもうすぐ知ることとなる。

いつの間にか悪役[編集]

オバニオン暗殺事件[編集]

アルやトーリオの同業者に、童顔ギャングとして知られていたダイオン・オバニオンという男がいた。ある時オバニオンは「へへ、旦那、これからもお付き合いお願いしますよ……」とトーリオとアルにウイスキーの醸造所を譲渡した。トーリオはベテランだったので一応いぶかしんだが、アルはほくほく顔だった。しかし、ある日トーリオが醸造所の手入れに行き、外に出てみると既に醸造所の前で警察が待っていた。「こんなのひどい!」とトーリオは吠えたが逮捕され、9ヶ月の懲役と五千ドルの罰金を喰らってしまう。

その時当番から外れていたためそんな事件は露ほども知らないアルはコカインを吸いながら子分に「お前らぁ、コカインは絶対吸うんじゃねぇぞ……」とべろべろになりながら言い、「兄貴、ヨダレ出てます。」と子分に言われていた。

しかし後日アルはそのことを知るや否や激怒。出所してバツが悪そうなトーリオも怒りおさまらずニューヨークから呼んだイエールら3人を殺し屋として雇うと、オバニオンの本拠地の花屋に派遣した。3人は紳士風のいでたちで花屋にいたオバニオンにあいさつをすると、「薔薇を……3本くれ」と言い、背を向けたオバニオンに向かって突然サブマシンガンを連射、連射、ずだだだだだ……

気が付くとオバニオンは花屋ではなくお花畑にいた。もう花屋に帰ることはできない。

報復と聖バレンタインデーの虐殺[編集]

オバニオンを殺した首謀者がアルだという話が広まると、アルは自分も殺されてしまうのではないかという死の影におびえ始めるようになる。外出時は常にのボディーガードに自分を守らせ、夜寝る時は帰る身支度を始めた無表情なボディーガードに「もう……行っちゃうの?」とまるで母親にすがる4歳児のように徹夜で自らを守らせた。しかし1925年1月12日、敵対したギャングの3人がアル・カポネ暗殺を企て、アルの車をトンプソン・サブマシンガンでハチの巣にした。ボンネットは剥げ落ち、ガラスは塵芥になり、エンジンも破壊され、車はスクラップと化した。しかしアルは偶然その車に乗っておらず、自宅でコカインに酔っていた。しかし恐ろしいのがその時アルの車を運転していた運転手である。それだけ攻撃されても軽症で済んだというのだからアル以上の幸運と言うか、一体それだけの弾をどうやって避けたんだと言わざるを得ない。

同年1月24日にはトーリオがオバニオンの元部下2人に襲撃される。胸と首に2発喰らい、倒れて「いたいよぉ……」と呻いているトーリオへ2人は駆け寄り、更に右手と股間に2発発砲し、最後に「勝った!とどめだッ!」と引き金を引いた。カシャン……しかし薬室がもう空になっていた、2人は焦るとお互いに罪をなすりつけ合いその場から遁走。トーリオは一命を取り留めた。しかし、暗殺という仕事をする際に二人とも弾を2発ずつしか持っていないとは本当に二人ともやる気があったのか疑問である。

人呼んで聖バレンタインデーの虐殺

トーリオはこの襲撃事件をきっかけに引退を決意。アルは彼の縄張りを譲られると26歳で組織のトップとなり、酒の密売を黙認させるためシカゴの役人たちを次々に買収。市長までもにこやかに買収され、相変わらず密売酒の売れ行きも良くアルはシカゴの事実上市長となる。そんなこともあってか浮かれ気味になっていたアルは部下のジャック・マクガーンに、「ねぇねぇアル、じゃまなモランいっかをしまつしていい?」と聞かれたところ適当に「うん、あぁ」と答え、ジャックらは1929年2月14日に計画を実行に移した。

モラン一家は、丁度強奪したウイスキーを倉庫に運び、倉庫の前で「こいつぁ上物だぜ」とベタすぎる会話をしていた。そこへ警官に扮したジャックたちが現れ、「警察だー、お前らが何をしていたかは知っている、壁に手をつくんだ。」とどうみても手書きの警察手帳を見せその場にいた7人を並ばせると、なぜか一人無関係の眼鏡屋が混じっていたが、気にせずジャックたちは全員を撃ち殺した。しかし肝心のジョージ・モラン本人は用を足しに行っており、向こうの様子がおかしいことに気が付くとパトカー(偽物)が止まっていることに驚きふためき、チャック全開でアジトに逃げ帰ってきたところ子分から「モランさん、チャック開いてます。」と言われていた。

翌日この事件は大きく新聞に報道され、シカゴ市民全員の知ることとなる。警察に拘束されたジャックは「ボクは知らないぞ、知っているのはカポネさんだ。」などとのたまい、警察はカポネの関与を強く疑ったが、そのころカポネはそんな事件があったことも知らずマイアミ・ビーチでマイアミビーチを飲んでいた。

社会の敵」(パブリック・エネミー第一号[編集]

シカゴに帰ってみるとアルはすっかり市民から危険人物扱いを受けるようになってしまった。事実上のシカゴ市長から社会の敵」(パブリック・エネミーとなったアルは「俺はお前らの求める酒を与えてきたのに、帰ってくるのは悪口だけじゃないか」とひとり嘆じ、世間の目を逃れるために拳銃の不法所持という自作自演逮捕を受ける、はっきり言ってどうでもいい罪状である。しかし刑務所の部屋は看守長よりも上等で、暗殺の危険も無いし、ブランデーだってたくさん飲めるため、アルは部屋の中で美食を極め、どんどん肥えていった。そして、市民の心をもう一度自分に戻すため、市の貧しい人々に無償で給食を配った。しかしこれは組織が町のパン屋や八百屋、肉屋に銃をちらつかせて脅して得たもので、アルの財布は閉じたままだった。やはりギャングということを忘れてはならない。

そして市民からは「優しいカポネさん」とまた慕われるかと思いきや、彼の前にはまた壁が立ちふさがる。

意外な逮捕[編集]

そのまま銃の不法所持という科料で済みそうな罪状でアルは釈放になるかと思いきや、警察の秘密捜査部隊アンタッチャブル[1]によってアルの会計係であったフレッド・リースが彼の大規模脱税を密告する。彼は証言台でアルが顔を熟れたトマトのように真っ赤にして睨みつけている中気にせず彼の罪状を並びたて、アルの弁護士も相当やる気が無く、陪審員の買収などの必死の努力もむなしく彼は11年の懲役、8万ドルの罰金を言い渡される。法廷で刑が言い渡されると、彼は歪んだ微笑を浮かべ、ひとりで「再審がある~さ、明日がある、若い僕には夢がある……」とつぶやいていた。

囚人番号85番[編集]

クック刑務所に入所したアルは、あいかわらずのVIP待遇を受けながら、「再審があるじゃないか」が口癖になる。しかし、再三の再審請求が却下されたことを知ると、くるくるブランデーを回しながら「へぇ……あっそ。」と冷静を装いつつも焦りは隠しようが無く、遠心分離機の如くグラスを回してブランデーを辺りに散らし、部下から「カポネさんブランデーこぼれてます。」と言われていた。しかしアルの頭にそんな言葉は入ってこなかった。

アトランタ刑務所に移送されたアルは人生で初めていじめというものを受ける、周りの刺青だらけの男たちから「オイ!デブ!酒持ってんじゃねーのか?あ?女はどうした?それだけ梅毒持ちなら相当、やり手のはずだぜ、ギャハハハ」などといじめられ、アルは刑務所の格子から見える星を見ながら、薄い毛布を涙で濡らしていた。シャバでアルが世話を焼いた者たちが、アルが毎日8時間ミシンで靴底を縫う数少ない心の支えだった。

1932年、アルは絶対逃げだせないことが売りのアルカトラズ刑務所に到着し、85番と呼ばれるようになる。1936年の囚人によるストライキには枕を抱いて参加せず、他の囚人たちから参加しないアルに「お前の家火付けてやっからよ!」などと脅され、彼は突然大声で「ぴー」と泣き喚き、他の囚人から「かわいそうに、彼はついに気が狂ったようだ」と相手にされなくなる。これは「ぴー」と発狂したのではなく、自病の神経性梅毒による感情の抑えがつかなくなる症状である。これにより彼はロサンゼルスの矯正施設に送られ、のちに彼と対談した警察官は「彼は現実と想像の区別が付いておらず、脳内お花畑でひとり全裸で走っている状態だった。」と証言している。1939年に出所した際のアルはサルトルのような目をしており、体の60%がブランデーでできていた頃のアルとは別人だったという。

挽歌

死す[編集]

出所後、あきらかにおかしいアルの姿を見た周りは彼に病院に行くことを勧めた、しかしアルは「ん?ボクはちっともおかしくなんかありましぇん。」と言い張って行こうとしない。「彼はむかし梅毒だったよ」という知り合いの証言を聞くと周囲の人物は暴れるアルを病院へ連れて行った。

検査の結果案の定重度の梅毒であることがわかり、「もうダメだと思うけど怨まないでね。」と医者から一般人としては初めてペニシリンの投与を受けるも、様々な意味で「手遅れ」であったため効果がなく、回復したり悪化したりの2年間の闘病生活ののち、1947年1月25日土曜日午前7時25分に死亡。体内のブランデー分はすっかり抗生物質と水だけとなっていた。それに、もし彼が出所時に梅毒に感染していなかったとしても、シカゴにはもう彼の居場所はなかった。


Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「アル・カポネ」の項目を執筆しています。
  1. ^ 顔のでかいやつらではない。