アルビレックス新潟

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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「アルビレックス新潟」の項目を執筆しています。

アルビレックス新潟(- にいがた)とは、新潟市を本拠地とするプロサッカークラブである。

概要[編集]

Jリーグチームであるが、本州日本海側では最大規模を持つプロスポーツチームであり、女子サッカーチーム「アルビレックス新潟レディース」は元より、シンガポール唯一の日本人サッカーチーム「アルビレックス新潟シンガポール」を所有。さらにはシンガポールが出資する形で、2012年にスペインバルセロナに「アルビレックス新潟バルセロナ」を設立。さらに、同じくシンガポールが出資して、2014年1月にカンボジアの首都プノンペンを本拠地とする「アルビレックス新潟プノンペン」が設立するという、実に新潟県民もビックリな増殖を繰り返すクラブである。

その結果、日本で一番世界進出を果たしているクラブチームである。信じられないんだけど、海外に3ヵ所もクラブを抱えるということは、確かにそういうことになる。

愛称は干潟

なお、雪国を本拠地とするチームなので、J1に昇格して10年を経過し、今年こそACLを狙おうなどという話が出たとしても開幕直後に今年こそ降格だろうと思っているネガティブファンが大勢いるのが大きな特色である。今年こそ優勝だ! なんて夢物語は口が裂けても言えず、言ったとしても他チームのファンのみならず、自チームからもバカにされる運命にある。負けて納得し、勝って不思議がる、判りやすく言うと東北楽天ゴールデンイーグルスの先輩のようなチームである。ついでに言えばカップ戦(菓子杯、天皇杯)などは連戦連敗。まったく勝ち上がることができず、若手の練習試合だと割り切っている節もある。ただし、好くも悪しくも新潟市の気質にマッチしているため、地盤は新潟県のほか、お隣の庄内県魚沼県にも広がっている。

あわせて、サッカー以外にも別法人として野球チーム(新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ)やバスケットボールチーム(新潟アルビレックスBB、女子チームの新潟アルビレックスBBラビッツ、アメリカの独立リーグに所属するロングビーチ・ジャム・アルビレックス)、アルビレックスチアリーダーズ新潟アルビレックスランニングクラブ、スキーやスノボのチームとしてチームアルビレックス新潟、さらにはモータースポーツチームのアルビレックスレーシングチームなどが存在するが、新潟県民でもこの増殖にはほとんどついていけないため、この項目では割愛する。

歴史[編集]

チーム結成以前[編集]

  • 1955年、前身となる新潟市のクラブチーム新潟イレブンSC結成。
  • 1994年日韓ワールドカップの開催に向け、新潟市にプロサッカーチームを! というサッカー関係者にとっての夢物語、一般人にとってのどーでもいい戯れ言が始まる。
  • 1997年、JFL(J2下部リーグ)昇格。チーム名を「アルビレオ新潟」変更することになったが、アルビレオなんて名称はとっくの昔に商標登録されていた。慌てて、アルビレックス新潟にチーム名を変更する喜劇を、新潟市民は生暖かい目で見守った。もっとも、この事件をきっかけに新潟市民にその存在を(一応)知られるようになる。(ちなみにこの時、「オラッタ新潟」と後一歩の所でつけられそうになった。笑われる名前にならなくてよかったね)

チーム結成~J1昇格まで[編集]

タダ券バラマキなど無謀なチーム経営の負債はこのような所に回っているが、所詮世間は冷た~い。
  • 2001年、日韓ワールドカップ開催にあわせ、新潟スタジアム(通称:ビッグスワン)建設完了。ただし、長野オリンピックの悪夢から抜け切れない雪国人は、こんな赤字を垂れ流す箱物を建てどうすんだと、ずっと無用の長物扱いしていた。さらに、開幕セレモニーとしてさだまさしのコンサートを選んだそのセンスに多くの人間が驚愕した。
  • 2002年、日韓ワールドカップが開催されると、日本人と一緒に新潟市民も世界のサッカーに触れる。そして、自分たちの県にもサッカーチームがあったことを思い出す。その結果、世界のサッカーとおらがとこのチームのレベルの差に愕然とした人間の多くは、ネタとして、日本で最も雪の多い地域の一つでサッカーチームを応援という自虐を楽しむようになる。そして、見事にJ2で昇格失敗。この段階で新潟市民のハートをがっちりつかむ。
  • 2003年に何の因果か最終節に1位をかすめとる劇的な展開でJ1に昇格。この時期の奮闘をきっかけとして、新潟では反町といったら隆史ではなく北京オリンピック康治(隆史も康治も、地元が浦和なんだが…)を指すことになる。ただし、代表監督の反町の下の名前が康治とは知らない人間も多い。ビッグスワン完成と同時に、タダ券のバラマキというそれまでになかった集客方法で熱心なファンを大量に生み出すことに成功する。このマーケティング方法は麻薬の売人が格安または無料で麻薬を提供し、常用者を作り出すのにたいへん似ている。思ったよりもでかいビッグスワンを橙色に染め上げたアルビレックスの成功があまりに派手だったため、日本全国に二匹目のどじょうを狙うサッカークラブが雨後の筍のように出現することになる。しかし、この時期から新潟の誇りだったなんて言うのはいくらなんでも言いすぎである。

J1昇格後[編集]

  • 2004年、J2で得点王としてチームを支えてきたマルクスが抜け、1stステージ終了時で14位と降格の危機に瀕する。予想どおりと大部分のファンは感じていたことは秘密。その後、南蛮国よりオゼアスを召集し、ファビーニョエジミウソンの3人で南蛮戦隊オコメンジャーを結成。この戦隊の活躍により2ndステージは6位と躍進する。
この時期から、強い相手に勝ち、弱い相手に負けるというアルビレックスのチーム性が固まっていく。
  • 2005年、隣の魚沼県大地震が起こったのに、「がんばれ新潟!」という垂幕で魚沼県民から苦情が来る。魚沼県の震災被災者からしてみれば、「魚沼の物は新潟の物? ふざけんな!」である。オゼアスが脱退したが、新たに代打の神様が入隊。世界レベルのフリーキックに驚いたファンは大勢いる。そして、そのフリーキック以外の得点源がなかったことに驚いたファンはもっと大勢いる。まぁ、この時期ぐらいなら新潟の誇りといえなくもない。
  • 2006年、反町監督勇退。代わりにモンテディオ山形から骸骨がやってきた!でも、代打の神様帰国。そしてぎりぎり残留だ!
  • 2007年、シーズン前に深井正樹千代タンデビ純カスマル様、そして新潟に骨を埋める覚悟でやってきた禁則事項ですを補強。これが功を制しチームは快進撃を続けた。中でも禁則事項ですはチームの精神的支柱となりそれまでチームの顔であった慎吾ゴーゴーをベンチへ追いやる程の活躍をみせた。一応、6位に滑り込んだ。その後、チームが引き抜きでガッタガタになるとは知る由もなかった。
  • 2008年、前シーズン終了後禁則事項ですが「やっぱ俺、猫より犬派だから…」と言い残し沈没しかけの泥舟に復帰する。そして、アルビレックスにとってのバースが埼玉のお金持ちのところへ円満に移籍。彼の活躍ぶりから引き止められるわけはないと達観していた新潟県人は多いが、どうせなら、ヨーロッパに行ってほしかった。なお、開幕後に泥沼の4連敗を達成し、エジミウソーーーン(泣)と多くのファンに嘆かせたが、幸い、アレスさんの補強が当たり、なんとか降格圏を脱出。ところが11月になるとなぜかアウェイ戦でゴールが決まらなくなるいつもの病気が再発、順調に順位を落し続け、ついに最終節に、運が悪かったらJ2降格というプチスペクタクルを演出することに成功する。幸いにも、ガンバ大阪をホームに退けることに成功、J1残留を勝ち取ったが、最終的に13位。でも、まぁ、ほら、新潟だし。ちなみにこの年、マル様不在の試合でまったく勝利できなかったことは秘密だ。
    このような順位でも監督の更迭の話が出てこないのが新潟クオリティだが、一つだけ強烈に動いているものがある。それは、2010年にJリーグの春秋制を秋春制に変更するだのいう戯言ついてである。新潟の冬に屋外でサッカー観戦するなどというのは、ある意味自殺行為であるため、サポーター、チーム一丸となって改悪に反対している。
  • 2009年、前年度のチーム得点王アレスさんを手放すことを決意。まぁ、ゴールした瞬間にユニフォームを脱いで、イエロー食らったおかげで、チームをJ2陥落の危機に陥れていたことはサポーターも理解していたため、エジミウソンほど惜しまれることはなかった。代わりに、大宮アルディージャからペドロさんが期限付き移籍やってくる。
リーグ開幕直後から、何か悪いものでも食べたんではないかと思われるぐらいに連携が機能しまくり、リーグ戦で一時は首位にまで立ち、その後もリーグ上位をキープするなどという、新潟の歴史に残る快進撃。もちろん、ファンはまったく盛り上がっておらず、期待もしておらず、なおかつ「今年、何位ぐらいだと思う?」「ここまで調子いいから10位ぐらいじゃない?」などと半ば本気で話していた。これは、褒めた直後に負けるという、悪しき伝統を回避するためにはどうしてもやらなければならない儀式である。あわせて、リーグ戦とはまったく関係ないナビスコ杯では連敗続き、あっという間に敗退している。そんな彼らを見て新潟サポーターは「やっぱり新潟だ」と安心しているのも現実である。
そして、夏に入ると同時にまったくシュートが入らなくなるいつもの病気が再発。多くのファンを安心させると同時に定位置へ向かって急降下し、無事、アジアチャンピオンズリーグ圏内から外れる。しかし、場合によっては、あの妙に薄っぺらな戦力でアジアの強豪と無駄な戦いをしまくるような状況に陥るとも限らないため、訓練されたアルビレックスファンでも気が気ではない状況が続くことになる。
8月末、レンタル移籍なのにチームでもっともゴールしまくっていたペドロさん大宮から完全移籍させる、と同時にネズミと11匹の仲間にン億円で売り渡す。仕組んだのがもちろん難波のあきんどであったが、その結果、新潟ではありえないほどの大金をタナボタで手に入れるが、このチームにそんな大金を有効利用できる経験はまったく存在しない。よって、ファンも気楽に、これでマリノスから移籍してきた大島秀夫がちったあ活躍するんじゃないか、などとてきとーなことをほざきつつ、ペドロさんの移籍からまっっっったくゴールが入らなくなった状況を、別の意味で楽しむのが、訓練されたアルビレックスファンのいつもの姿である。
その後、いつもの勝てなくなる病が続くも、なぜか同じように勝てなくなる病にかかった相手と連戦することになり、なんとか順位を下げることなく9月を乗り切る。すると、10月4日、首位を走っている鹿島アントラーズとの戦いを○様のスーパーゴールによる1-0で勝利し、見事、今年度の降格を免れる。一応、首位争いも翌年のアジアチャンピオンズリーグ出場も可能な首位との勝ち点差4点での5位という立場であったにもかかわらず、今年度の降格を免れる
2009年のJ1最終成績は13勝11敗10引き分けで8位。そして特筆すべきは、優勝した鹿島に2つ黒星をつけた上、2009年度降格が決まった3チーム、大分に2引き分け、柏に1勝1敗、千葉に1勝1分けと、まさしく強いやつらには強く、弱いやつらには弱いという新潟というチームの持ち味を発揮した一年となった。あわせて、ウィキペディアにすら「中位力の新潟さん」とかかれる始末。これは、ウィキペディアのような信頼性のおけない辞書のようなナニカでは、以下に示すような2010年の惨状が理解できなかったためである。

2010年[編集]

2010年のアルビレックス新潟を参照ください

2011年・前半戦[編集]

2011年のアルビレックス新潟・前半戦を参照ください

2011年・後半戦[編集]

2011年のアルビレックス新潟・後半戦を参照ください

なお、なんで分割されたかについては、正直なところ、思い出したくない

2012年[編集]

アルビレックス史上最低の1年にして最高の奇跡の年。

2013年[編集]

この年、アルビレックス新潟は飛躍する。

2014年[編集]

夢は夢。お金はお金。そして、人間関係は実に複雑だ。

2015年[編集]

最悪とは、最悪に備えないことである。あわせて、ルールが変更されたことにチームとして対応しないとどうなるかというと、こうなるのである。

現在[編集]

なお、この記事については常時アルビレックスの最新情報を掲載するよう心がけているものの、アンサイクロペディアのサーバーの具合により、どうしても最新情報が反映されない場合が多々ある。そのため、試合結果などを確認する際は、このページの最上部にある「履歴表示」から最新の情報を確認したほうがいい。

1月[編集]

というわけで、1月である。リオデジャネイロオリンピックまで実質半年。最終予選を含めれば、すでに勝負始まっている。問題は、吉田達磨監督の就任とコーチ陣の立て直しがまだなのと、15位の戦力を鑑みればなるべく補充ではなく補強といえる移籍を期待したいのだけれど、いかんせん、新潟である。なるようにしかならない。なるようにしか。

大移動[編集]

1月4日、仕事はじめと同時に大騒ぎが始まるからこそのアルビレックス。まずは、とんでもなく大きな、かつ重要な話として右SBの川口尚紀選手が清水エスパルスへレンタル移籍。これは、2016年がオリンピックイヤーであることと、同僚に松原健選手がいたということがすべてである。また、2015年の川口選手は守備面で課題が残り、最終的にはフィッツジェラルド舞行龍ジェームズ選手にすらポジションを明け渡していたため、そこからの挽回をはかるためには、若手育成に定評のある清水へのレンタルに手を上げるのも納得である。と同時に、アルビレックスとしては優秀なサイドバックの控えが必須になる。この時間が足りない中で。

さらに、もう1件、足りないDF陣がさらに足りなくなる事態となる。ただし、新潟の誇る酒井三兄弟の末弟、酒井高聖選手が隣県であるJ3チーム、福島ユナイテッドFCにレンタルということで、多くのファンはむしろどうぞどうぞとまるでダチョウ倶楽部のような反応であるし、それも当然である。アルビ時代にムッキムキの肉体を手に入れて、後は試合経験だけと感じるファンも多かったため、高聖選手のこれからの活躍を祈るとともに、さらに足りなくなったDF陣を前に軽くめまいがしなくもない。

けど、まだ、時間はある。はず。

その上で、さらにコーチ陣についても大移動が発生するんだから、仕事始めというものは恐ろしい。なんと、2008年から長年にわたってアルビレックスを指導し続けた栗原克志トップチームコーチが、なんとアルビレックスの育成普及部コーチに移動するという、けっこーなニュースがやってくる。これにより、アルビ色の強いハイプレス&ショートカウンターという戦術が大きな転換点を迎えた可能性もある。もっとも、ファンの中では今回のチーム内人事について、栗原コーチがS級ライセンスを取るための環境づくりという考えでまとまっており、残る茶野隆行コーチがいれば、柳下正明前監督の指導方法、もしくは戦術タスクの引継ぎが可能であるとの判断もある。

けれども、その結果として、新コーチ陣の補充がアルビレックス内部で行われることになった結果、新年早々にセットプレーの指導という点でどないすんねんという話もでてくる。出てしまう。けれど、新たにアルビレックスのコーチに就任することになった能仲太司前アルビレックスレディース監督については、まさにサッカー皇后杯でチームを準優勝に導いた実績があり、同じく育成部から栗原氏と交代する形になった片渕浩一郎コーチについても、ユース出身のアルビレックスの若手選手と深い関わりがあるうえ、北信越地区における日本サッカー協会のナショナルトレセンコーチを務めていた実績がある。そのため、もしかしたら、セットプレーの指導方法についても、それなりに大きな変化が出てくるかもしれない。出ないと困る。後、守備組織の再構築についても、できないと死ぬる。

あわせて、アルビレックスのコーチ陣の中で後はGKコーチの座が空いており、そこが埋まらない限りは守備時におけるセットプレーの指導なんざ厳しいという話もある。そのため、果たして2016年のあるびれつくすがどうなるかは、まさにこの1週間にかかっている。かもしれない。

和田元コーチ、大阪FC監督に就任[編集]

同じく1月4日。着々とスクラップ&ビルドの進むアルビレックスにおいて、組織を離れる人材との関係を良好に保つための必須事項、及び組織のイメージを維持するのにけっこー大きな要素である再就職先の斡旋力が見事に発揮され、2015年11月に退任した和田治雄コーチが、なんとJ3に所属するFC大阪の新監督に就任することが決定。その結果、同じくJ3のAC長野パルセイロ監督に就任した三浦文丈元コーチはもとより、日本屈指の名監督である森保一サンフレッチェ広島監督を育成したアルビレックスブランドが、今後、J2以下のチームにおいては、その運営において大きな鍵を握る、かもしれないなんて話になる。

それぐらい、派閥に影響されない人脈というものは大きい。

まぁ、悪影響も大きいのは認めるけれども、重要なのは落ち目の連中に引っ張られて落ちていくことを回避できる体制であり、上昇気流にのった連中の足を引っ張らない謙虚さである。特に後者。分かりやすく言うと浦和レッズ。とりあえず、2011年にレッズが楽しいことになったように、2012年のガンバがボロボロになったように、2015年の清水エスパルスが地獄を見たように、緊急事態における対応力では派閥に縛られないことが第一条件になる場合が多い。早め早めに監督のクビを切る、緊急補強で即戦力のDFを獲得する、当たりのブラジル人が出てくるまで移籍を繰り返すといった所業を行うには、何よりもまず身内人事に縛られないことこそが大事なわけで。

ただし、新監督の招聘自体、バクチであることは認める。

西村竜馬選手、アスルクラロ沼津よりレンタルバック[編集]

1月6日、JFLに所属するアスルクラロ沼津にレンタル移籍していたCB西村竜馬選手がアルビレックスに復帰することが決定。これにより、2015年にJ2及びJ3に波乱を巻き起こすきっかけとなったアルビレックスの若手レンタル移籍選手が、全員J1に帰還することとなる。分かりやすく言うと、活躍したら五輪出場という時期的に明確なニンジンがぶら下がることとなる。ただし、川口尚紀選手やロメロ・フランク選手といったJ1でも通用する人材をしっかりとレンタルし、さらには今後の成長を期待したい酒井高聖選手にも、しっかりと出場機会を確保できるようフロントは動いており、なまじっか身内での熾烈なレギュラー争いで腐らせるよりも、外の空気を吸わせることも大事であることを首脳陣は理解している。これは、本当に重要なことである。

ただし、困ったことに、いかんせん、CBすなわちセンターバックというポジションについては、フィッツジェラルド舞行龍ジェームズ選手ほかイム・ユファン選手に大野和成選手、増田繁人選手と駒がそろっており、西村選手に求められるものが活躍、ではなくさらにその上の飛躍になってしまうところが実に厳しい話である。もっとも、2015年の怪我祭りのことを思えば、しっかりとしたバックアップこそがチームの崩壊を防ぐ鍵となるため、西村選手に過酷なレギュラー争いを強いることはチームとしては間違ってはいないし、こういった壁を乗り越えなければ、少なくともJ1では生きていけないことも確かである。

どうなることやら。

なお、新潟県民、または日本中の新潟県出身者は、9割が強かれ弱かれアルビレックスを応援している。(ということにしておく)


その他[編集]

ビール業界と結託して洗脳活動にも余念がない。けどサッカー日本代表を応援してるビール会社とは違うんだよね
  • 試合は藤前干潟に1〜2週間に一回訪れるという大白鳥の背中の上で行われる。新潟が負けると、大白鳥が死んでしまい、動物愛護団体から訴えられるはめになる為、アウェーチームは勝ってはいけない。、
まあ、その昔、横浜のとあるクラブが6-0で勝っちゃったわけなんだが…。ただし、アルビレックスにそこまで求めていない、つまるところ、現状を十分すぎるほど理解しているファンが多いため、埼玉や大阪みたいにバス取り囲んで監督出せや騒ぎ2012年までは起きていなかった。しかし、1試合ごとに3万人を超える観客動員という新潟市民の人の良さに胡坐をかいていたら、2012年になっていつの間にか2万人前半までファン激減。そして、歴史上初めてのバス囲み。

弱いってのは、つまりそういうことである。
  • ユニフォームの胸に「亀田」の文字が入っている通り、亀田三兄弟が強力にバックアップしている。せやな、貴章、トゥーリオの怒りの矛先に選ばれて名古屋ガタガタにせえよ。
  • 本拠地は新潟市となっているけれど、クラブハウスと練習グラウンドは、田んぼと畑が多く残る北蒲原郡聖籠町存在しており、練習風景の写真からは都会的な建物がまったく見えない。
  • 2002年から2004年まで、大変珍しい金王国国籍の選手である安英学(アンヨンハッ)が在籍しており、J2優勝やJ1残留などに大きな貢献をしている。そのため、いまだにインターネットなどで金王国問題が噂されても、安の活躍があるからなあと感じる人間もいる。
  • なお、2012年に入団したキム・ジンス選手の活躍により、韓国に対しても同じ話が出てくる模様。
  • アルビレックス新潟に在籍歴を持つ選手は、他のJリーグチームでは浦和レッズ柏レイソル名古屋グランパスエイトのどれか2つに在籍歴を持つ選手がしばしば見られる。アルビからこれら3チームへの移出、これら3チームのどれかが古巣の選手がアルビに移入の、両方が含まれる。代表的選手として、山口素弘、安英学、矢野貴章、永田充など。
  • アルービレックス! ドンドンドドドン!! アルービレックス! ドンドンドドドン!! と連呼する応援スタイルが一般的だが、はっきり言えば、テーッハミング! ドンドンドドドン!! からパクっている。そのためか、いつの間にか「ア・イ・シ・テ・ル・ニ・ガ・タ!!」が主流となっている。
  • が、元となっている楽曲がユニコーンの「アイム・ア・ルーザー」というのが実にアルビレックスらしい。正確に言うとアルビファンらしい。元の歌詞がまた素晴らしくて、届かない身動きも出来ない叫んでも叫んでも空回り・・・うっ胸が。
  • エジミウソーーーン(泣)。
  • マルシオーーーーー(泣)。
  • 東口ーーーーー(泣)。
  • ジンスーーーーー(泣)
  • オシムに勝ちたかった。大佐にも勝ちたかった。ヴェルディにも勝ち逃げされた。(←こんなことを書くから2010年の天皇杯で勝てるチャンスを失うことになる。但しヴェルディが勝ち上がったら多分負けてた)
  • 中位論ではこのクラブのことを「新潟さん」と呼ぶ。これは「中位王」こと名古屋様に継ぐ中位力を持っていることから来る敬称である。また名古屋様から新潟さんの間の順位を「中位」とする説も存在する。つまり2010年の場合、1位や2位であろうと中位。10位以下は下位ということになる。しかし、1位が中位というのはちょっとまteという非常識な輩もいる。
  • なお、神社がスポンサーである以上、どこぞの宗教団体と相容れない関係で様々な制約がある気がしなくもない。まぁ、気のせいだ。多分。
  • 実は全星巧者。その昔、Jリーグでオールスターが行われた場合には負けたことが無い。なお新潟は東軍になったり西軍になったり、はっきりしない中途半端な地域なんだ。

関連[編集]


ExSport.png この項目「アルビレックス新潟」は、エキサイト不足のようだね。
さあ、君もこの記事に胸が高まるような文付け足してみよう。レッツトライ! (Portal:スタブ)