やぎさんゆうびん問題

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八木さんやぎさんゆうびん問題(-もんだい)とは、童謡・『やぎさんゆうびん』によって起こる、諸問題である。

初出されてから何年も経った現在でも子どもたちの間で親しまれている『やぎさんゆうびん』。その最大の特徴は、終わりが無い、俗に言う無限ループであることである。この誰でも親しみやすい歌が無限ループであることによって多くの問題が起こることは言うまでもない。実際にこの歌によって多くの人々が悩まされてきたのも事実である[要出典]

たかがフィクションヤギ手紙人生の貴重な時間を浪費するとは、人間とは何とも儚いものである。

問題の『やぎさんゆうびん』を知らない方はこちら

前提条件[編集]

  • この項目では『やぎさんゆうびん』によって起こる問題を記述する。『八木さんの郵便』の問題は近隣の郵便局に問い合わせるように。
  • 登場するやぎさんは、この歌の作詞者が日本出身のため双方とも日本ザーネン種のものとする。
  • 登場する手紙は現代で言うA4サイズの紙のものとする。今回はより明確にするため手紙を入れる封筒は存在しないと仮定する。
  • やぎさんは普通のヤギとは違い、文字を読むことも書く事も出来る。
  • 手紙を運ぶ郵便屋は人間とする。
  • 現実にはありえないが、問題をより簡略化するため歌の進む速さで物事も展開することとする。

問題点[編集]

歌い終わり[編集]

まず、無限ループの歌で最も大きい問題は「いつ歌い終わればよいのか分からない」ということである。普通、TVなどで放送される場合、『白やぎさんから…』と『黒やぎさんから…』という二つのフレーズが数回繰り返された後、そのまま曲の終わりのメロディーに突入する。もしくは『白やぎさんから…』、『黒やぎさんから…』を繰り返す度に音楽が小さくなって行き、最終的に聞こえなくなるというパターンが用いられる。放送時間の都合上もちろん仕方がないのだが、それでは

  1. 敢えて無限ループの歌として作詞したまど・みちおの意志を尊重していないことになる。
  2. やぎ達の今後が気になる(後述)。

などという問題が起こってしまい、問題が問題を呼ぶ・それこそ無限ループになってしまう状況が生まれる。しかし、TV・ラジオはまだ可愛いもので、大変なのは現実世界での処理である。

感染
仮に、一人の人間がどこかで「やぎさんゆうびん」を聞いたとする。すると、その後も『やぎさんゆうびん』が頭の中で流れ続けることとなる。流れ始めて数分はまだ気にもならないが、この歌には終わりが無いため、何時間でも流れ続ける。30分もすると自分でも流れていることを意識し、どうにかして終わらせようとするが、『さっきの手紙のご用事なあに』で切ろうとしても次の『白やぎさんから』が押し寄せてくるため止めることが出来なくなる。どこで終わればよいか分からず、永遠に『やぎさんゆうびん』の餌食となってしまった人は最悪うつ病にまでなってしまうと言われている。その『やぎさんゆうびん』患者が歌を口遊んでしまうと周りにいる人間も汚染され、ネズミ算式にそういった症状の人が増えていくため、「精神的感染病」といった捉えられ方もされている。感染した場合、頭の中に別の曲(エンドレスでない)を無理やり流し込むという療法が効果的とされているが、『やぎさんゆうびん』は他のどの歌よりも強い影響力をもつため完治は見込めない。現在では更なる医学の発展を待つことしかできない状況である。
完全主義
この世には完全主義者と呼ばれる何でも完全・完璧でないと気が済まない・もちろん歌も最後まで歌わなければ気が済まない人々がいるが、彼らも問題の対象であるとされる。ここまで読んでいただけたら言うまでもないが、『やぎさんゆうびん』には最後ない。そうなればいくら彼らでも完全は不可能なのである。どこまでも完全を求める彼ら。しかし終わりのない『やぎさんゆうびん』。結末の見える戦いである。どれだけ長く対抗できたとしても結局は負けを認めるしかなく、「完全主義」という看板を下ろす。今までの自分を葬られ、さらに人生の一部を無駄にした彼らには暗い未来しか待っていないのかも知れない。この現象も一部では重要視されている。余談だが、それでも完全主義を貫き通し、見事死ぬまで歌い続けた場合は完全主義者の勝利とされる。

物語の終わり[編集]

歌ったり聴いたりして楽しんでいる子どもたちは好きな時に止めることが出来るが、黒やぎさんと白やぎさんのやり取りは未だ続いていることを忘れてはいけない。今こうしている間にも進んでいるのである。しかし、形あるものはいずれ壊れるというこの世の定めには流石のやぎさんたちも逆らえない。彼らのためにも「終わり」というものを考えなくてはならないのである。

考えられるエンディング[編集]

  • 手紙などを使わず直接話を付ける。
  • 携帯電話が発明されたので、メールを使う。
  • どちらかが満腹になる[1]
  • 手紙にわさびを塗っておき、辛くて食べられないようにする[2]
  • 口に猿轡を装備する。
  • 周りの人(またはヤギ)に食べるのを止めてもらう。
  • それ以前に他の人に読んでもらう。
  • 相手のやぎさんをどうでもいいと思い、返事を出さない[3]
  • 紙ではなく、古代の中国のように木の手紙を用いる。

環境問題[編集]

歌が進むにつれやぎさん達が出した手紙の量は増えていく。黒やぎさんの場合を考えると、白やぎさんから手紙が着いて食べるまで約5秒[要出典]。さらに食べてから返事を書くまで約10秒[要出典]を消費している。その後白やぎさんから返事が返ってくるまで約20秒となっているため、単純計算で50秒に一回手紙は黒やぎさんの胃袋の中に入っていく。つまり、白やぎさんとあわせると実に25秒に一回A4の紙1枚が消費されている。一分間だと2.4枚、一時間だと144枚、一日だと3456枚、一か月(30日)で103680枚、一年間(365日)でなんと1261440枚も2頭のやぎさんで紙を使うこととなる。A4用紙は1枚約4gなので、やぎさん達が一年間で食べる紙の重さは504576g、約0.5tである。これはチップ(木を粉々に砕いたもの)約1.7平方メートルに値する。先生によると3.4平方メートルのチップで図鑑1000冊分になるという。日本人の紙の年間消費量は平均242kgとなっているため[4]、黒やぎさんまたは白やぎさんどちらか一頭だけでも日本人を超える勢いで紙を消費しているのである。しかも、日本人の242kgのうち殆どがトイレットペーパーやティッシュ、段ボールであるため、ただの「紙」で一頭当たり250kgも使うと言うのはひよこ陛下も驚きである。

繰り返される環境開発のための森林伐採によって地球温暖化が進み、資源もなくなり、動物たちも絶滅の危機に晒されているこのご時世で自分たちの食欲の為に…専門家や環境保護団体も頭を悩ませるところである。

労働基準法[編集]

現在労働者の人権を守るために定められている労働基準法だが、第32条に『使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、労働させてはならない。使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8時間を超えて、労働させてはならない。』とある[要出典]。しかし、この歌に登場する郵便屋はやぎさん達が次から次へと手紙を食べ、手紙を出すので、休みが無い。これは明らかに労働基準法違反である。ただ、さすがに郵便局側もしばらくこのような状態が続けばそれなりの処置は取るであろうと予想されるため[5]そこまで大きな問題には発展しないであろう。

二頭の関係[編集]

半永久的に手紙の交換を続ける黒やぎさんと白やぎさん。この歌をより長く聴くにつれ浮かび上がってくる疑問はもちろん「この二頭の関係は?」ということである。以下に、黒やぎさんと白やぎさんの関係の例をまとめる。

友達
まず視聴者が思うのは黒やぎさんと白やぎさんは友達だと言うことである。この場合、彼ら(もしくは彼女ら)は手紙しか通信手段が無いため昔は仲が良かったが今はどちらかが引っ越したので手紙で連絡をとりあっていると考えるのが最も自然である。さらに、彼ら(もしくは彼女ら)が子どもだとしたら、手紙の語尾が「なあに」になっている事にも説明がつく。
恋人
これはあまり考えにくい。何故なら、黒(もしくは白)やぎさんは差出人を確認しながら読まずに食べたからである。恋人ならば流石に読まずに食べることは考えづらいだろう[6]。「誰かに読まれる前に食べる!」というのも、可能性としては郵便屋が読んでいるため、自分が読まないというリスクを背負うには大きすぎる代償と言える。
親子
先生によれば、白ヤギから黒ヤギ(もしくはその逆)が生まれることは稀にあるそうだ。よってこの関係も考えられないことはない。親子だとすると、通信手段が手紙しかないということで生き別れた可能性がとても高い。悲しい家庭の事情にはあまり触れない方が良い。
先生と生徒
そうだとするとこの手紙は「手紙の書き方の練習」なのかもしれない。先生が読まなかった理由は差出人の名前の書き方が雑だったなどの理由だろう。最近の先生はお厳しい。
赤ペン先生と生徒
そう、黒(もしくは白)やぎさんは進研ゼミに入会していたのだ。シールを貰って豪華賞品を獲得するため一生懸命宿題をした黒(もしくは白)やぎさん。しかし、そう簡単には賞品を渡したくない白(もしくは黒)やぎさんは無かったことにしようとする。この歌はそんな根競べの話しだったのかもしれない[7]

手紙の内容[編集]

『やぎさんゆうびん』において最大の謎は何と言ってもこれである。この歌に出てくる9割9分9厘は「さっきのてがみのごようじなあに」という内容であるが、唯一分かっていないのが一番初めに白やぎさんが黒やぎさん宛に出した手紙。果たして白やぎさんは黒やぎさんに何を伝えたかったのであろうか。このたった一通の手紙である意味悲劇とも呼べる出来事が起こってしまったのである。白やぎさんと黒やぎさんの二頭の間でならどれだけもめてもどうでもいいというのが本音であるが、それを全く面識のない赤の他人にまで被害をもたらしてしまった白やぎさんは常識的に考えてエクストリーム・謝罪に参加すべきだという見解もある[要出典]

二頭の関係が友達だった場合
そこまで大した内容ではないと考えられる。友達までの関係ならばこの手紙は文通だと考えるのが自然であるため、「きょうわたしはみどりいろのくさをたっくさんたべたよ。にしのぼくじょうのくさよりもあまくておいしかったよ。くろやぎさんもこんどいっしょにたべようね。」などという文章程度のものである。
二頭の関係が恋人だった場合
関係がよほど険悪ではない限り結構あれな感じの内容なのであろうが、黒やぎさんは先ほども述べたように差出人を見て食べているため、あんな内容ではないだろうと考えられる[8]
二頭の関係が親子だった場合
子どもの健康を気遣う親、またはその逆で親の健康を気遣う子どもからの手紙と考えられる。そこから発展して仕送りかも知れない(しかし黒やぎさんは食べてしまっているため全てが無駄である)。また、送る白やぎさんが子どもだった場合は「僕たち(私たち)結婚します!」などという内容であるとも考えられなくはない(しつこいが、黒やぎさんは食べてしまったためそんなことは知らない)。ここまではまだ心温まるお話で収まるが、「すまん!金が無くなっちまった。ほんのちょっとだけ貸してくれねぇか?」などという手紙だと親子間の関係に亀裂が走る可能性が出てくる(しかし、何度も言うが黒やぎさんは手紙を食べてしまったため白やぎさんの計画は失敗に終わっている)。
二頭の関係が赤ペン先生生徒だった場合
無論、中身はプレゼントを獲得するための宿題である。

その他の小問題[編集]

  • やぎさんがたくさん手紙食べたとか言ってるけど結局1=2で1枚しか食べてなのでは?
  • 童謡ってことは歌詞に裏の意味があるのでは?
  • まど・みちおって何がしたかったの?
  • この話って実は誰かの実体験だったりしない?
  • 郵便屋がバイク使ってるとしたらそうとう環境に悪いんじゃない?
  • あの、ちょっとわしの郵便どこ行ったか知っとる?

また、仮にもし白(もしくは黒)やぎさんが手紙の内容を読むことができたとすると(その可能性は限りなく低いが)、以下のようなことが起こる可能性もある。

  1. 先ほど送った手紙の要件は何だったのかという要件が書かれているため、今まで読まずに食べられてしまっていた手紙に書いた、「さっきのてがみのごようじなあに」と記す。
  2. 相手に「さっきのてがみのごようじなあに」と書かれた手紙が届くため、先ほど読まれた手紙と同じ内容、すなわち「さっきのてがみのごようじなあに」と書いて手紙を送る。
  3. 自分に「さっきのてがみのごようじなあに」と書かれた手紙が届くため、先ほど相手に読まれた手紙と同じ内容、すなわち「さっきのてがみのごようじなあに」と書いて手紙を送る。
  4. 2.に戻る。

結論[編集]

脚注[編集]

  1. ^ しかし彼らは相当な胃袋の持ち主と考えられるためこれは期待できない
  2. ^ その後の彼らの関係はお察し下さい
  3. ^ その後の彼らの関係はお察し下さい
  4. ^ 世界3位。
  5. ^ 朝晩で郵便屋を交代させるなど。
  6. ^ 関係が険悪だった場合は別。
  7. ^ 可能性はものすごく低い。
  8. ^ つまり二頭の関係は険悪

外部リンク[編集]

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関連項目[編集]

Wikipedia
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