まじめ

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まじめ(真剣目、真剣面とも)とは、の刃の部分を指し、転じて真っ直ぐでお堅く簡単に切れる人の性格を指す言葉である。

概要[編集]

漢字で表すと真剣目もしくは真剣面と書き、元々は打刀太刀の刃の部分を指した俗称である。厳密には刃を潰してない刀の峰ではない方の面、つまり刃の方の面を指して真剣面とし、特に切っ先の部分のことを真剣目とするが、ほぼ同義であるとして現在は厳密な区別はされていない。

この言葉から転じて、堅い性格でありながら同時に切れる人を指す言葉としても使われている。この場合の切れるは、頭が切れるなどの良い意味ではなく、突然怒り出したり逆上するような、刃物と同じように他人を傷つける種類の切れるである。

また元来の意味から、まじめにやる、まじでやる等の言い方もし、この場合は峰打ちや潰した刃ではなく真剣目で戦うことを意味し、命がけでやる、殺し合いの覚悟でやると言ういい加減さがない態度を示す。

真面目との混同[編集]

現在ではまじめは漢字で真面目と書かれることが多い。しかし真面目は元々しんめんもく、もしくはしんめんぼくと読み、面目(表情や意欲)が真であることの意から嘘やいい加減さがない態度を示す言葉である。これが上述の「真剣目にやる」の意味と近しいことと漢字の字面が似ていることから徐々に混同され、現在では同じ言葉として使われている。

しかし、元々の意味するところは違う物であり、誤解が生まれる原因となっている。

「まじめな人だったのに突然切れて」と言う言葉が時折聞かれることがあるが、まじめが真剣目から来ていることを知らないための誤解であり、本来まじめな人は切れるものであり、むしろ切れるからこそまじめな人なのである。まじめな人は切れるものと、あらかじめ心に憶えておいて接する必要がある。

まじめな人[編集]

先述したように、まじめな人間というのは真っ直ぐな性格でお堅く切れやすい。日本刀は曲がらず折れずと賞されるが、まじめな人も曲がらず折れず決して妥協をしようとしない。周囲の人間が無理矢理考えを曲げさせようとしたり意見を折ろうとすれば、まじめな人が切れてしまうため、むしろ周囲の人々が傷ついてしまう結果となる。むやみに真剣に触れると手を傷つけてしまうのと同じである。

一人泣くまじめな少年。

厄介なことに、まじめな人達は、真っ直ぐな性格をしているため、考えていることや言っていることは世間の倫理に適った正しいとされていることなのである。ただし現実の世界は理想通りには行かず、ある程度の汚いことや間違っていることも受け入れなくてはならない。それがまじめな人は受け入れられず衝突してしまう、そして言っていることは一般的に正しいとされていることだから周囲の人は説得に困る事例が多い。「お前の言っていることは正しいが社会じゃ通用しない」と言うと「通用しない社会が間違ってるんだ!」とか「大人は汚い!」とか喚いた挙げ句に影で「俺は間違ってないのに……」と一人泣いてしまい、フォローが必要になることも頻繁に見られる光景である。

ただ、まじめな人は方向性さえ合えば、そのいい加減のなさから与えられた仕事を堅実にこなすことため、まじめな人を上手く収める人が居れば良い結果を残す。しかし、しっかりと反りが合わなければ今度は「裏切られた」と叫びだし、これもまた収める人が傷つくことになるため細心の注意が必要である。

このように面倒な性質を持つため、まじめな人の扱いは一般の人々には困難を伴い、自然とまじめな人の周りからは人が離れていくことになる。よって、多くの場合まじめな人々は孤立しており、これが周りの衝突のなさから真っ直ぐで堅い性格をさらに強固な物にさせることが多い。まじめな人物を家族に持つ人間は、放置をせずに時間を掛けて少しずつ刃を潰していくように丸くさせていくこと根気が必要である。

まじめな人が切れた時の対処法として、真剣が落ちたときと同じように、とっさに手を出して押さえようとすると逆に傷つく恐れがあるため、落ち着くまで放っておいてから動きが収まったところでフォローすれば良い。

まじめな人の例[編集]

まじめな人の例として有名な夏目漱石を見てみると、当時英文学者だった夏目漱石は政府に「英語研究のため」と英国への留学を命じられたが、英文学研究ではなく英語研究を命じられ何を研究すれば良いのか検討つかず、英国での中間報告書を求める政府に「報告しろといえど書くことがない」と送ると「それでも良いから送れ」と返事をされてキレてしまい白紙で報告書を送りつけ、政府を困惑させたと言う。これが原因で夏目漱石は発狂していると言う噂が立ち、政府は多額の金を出して留学させながら成果もないまま帰国させることになってしまった。

2010年代の現在で一般の人にも親しみのあるまじめな人間は、松岡修造こち亀大原大次郎などが挙げられるだろう。両者共に考えが堅く真っ直ぐで、松岡修造は毎時切れていると言っても過言ではなく、大原大次郎も両津の行為に切れるのは毎度の展開であり、まじめな人の姿が分かりやすいだろう。

もしも、日本の学校に通ったことがあるならば学級委員の女子なども分かりやすい例である。彼女たちは責任感からまじめになり孤立化し、孤立化するから切れてしまうためにさらに孤立化してしまう負のスパイラルに陥ってしまう。こうなってしまうと逆に彼女たちが危険で、研がれすぎた刀はやせ細りぽっきりと折れてしまうのと同じで、心が折れて再起不能になってしまうことがある。

まじめのレベル[編集]

上記の記述とは別に、「まじめ」にもレベルが存在する。大きく分けると5,6段階に分類し、それによって人間の性格や人格が周囲に印象を与えることが多い。

クソまじめ(糞真面目)
「まじめ」における、(悪い意味で)最高かつ(人間的に)末期の段階。些細なことでも過剰なまでに短気でキレやすく、暴力も起こしかねない、また、発狂するキチガイ。理想主義で、手本や見本、自分の思い通りにならないと「何故上手く行かないんだぁ!!」などとキーキー騒ぐサルオランウータンチンパンジー。頭がガチガチに固く頑固で、他人のユーモラスな意見を聞き入れようとしない、高圧的な態度をとり、些細なことまで口うるさく喋る先公・風紀委員・学級委員・生徒会役員。それをすべてひっくるめて、他人を見下し自分の自己中心かつ傲慢な態度を取る、最早人間ではない人非人、穢多・非人そのものである。
その性格が災いして周囲の人間が離れていき、友達からも縁切りされ、仕事場でも疎遠・蔑まされ、死ぬまで(いやいや、死んでもその魂は永遠に孤独だろう)永遠の孤独地獄や精神疾患を味わうことも少なくない。人間としての器が小さい。寿命も短い。その性格ゆえに、童貞を捨てることは不可能。そういう人の人生はどう歩み、どういう末路にたどり着くのかはお察し下さい
きまじめ(生真面目)
常に真面目な性格の人。クソまじめより1ランク下の段階。真面目で固いのは変わらないが、上記ほどでもない。童貞を捨てられる確立は1から3割くらい。
まじめ(真面目)
本項における、普通のまじめ。ただ、ここで2種類に大きく分類される。童貞を捨てられる確率は五分五分。
きまじめに近いまじめ
  • 普通にまじめだが、それはきまじめのそれに近い状態。
不真面目に近いまじめ
  • 基本的に真面目だが、ユーモラスで柔和な面を見せることがある人。
不真面目(ふまじめ)
まじめではないへらへらしている人。それゆえにまじめ以上の人とは正反対に滅多にキレず柔和で、なんにでも受け入れるそのユーモラスさから周囲に自然と人間があつまる人気者。頭が柔らかく、人間としての器が大きい人。人格者の域。人生で上手く行く性格。童貞を捨てられる確率は6,7割。
非真面目(ひまじめ)
「まじめ」の段階で(良い意味での)最低レベル。不真面目以上の位置であり、破格かつ型破りの発想を持つ人間。クソまじめの物事の道理が「なぜ上手くいかないんだぁ!!!」とは正反対に、「どうやったら上手くいくのかなぁ?」という、考えることができる人。人生で上手くいく人。人間として最高ランクといっても良い領域である。童貞を捨てられる確率は8割以上。

まじめな人々[編集]

  • 内山田ひろし - GTOの人。些細なことまで口うるさく、鬼塚が不真面目な態度をとるとマル秘奥義・尿路結石が発動し、便所に血尿をぶちまける。
  • 勅使河原優 - GTOの人。クソまじめゆえに切れやすく、発狂して包丁で鬼塚を殺そうとした。
Nemurineko.jpg この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。
後は適当に頑張って下さい。(Portal:スタブ)

関連項目[編集]

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