ひかわ博一

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「作者が株で儲かったせいでやる気が無くなりました」

ひかわ 博一(ひかわ ひろかず、1967年7月4日 - 、H先生)はカービィの伝記を12年に渡って書き綴って来た人物である。愛知県出身。師匠はつるピカハゲ丸などでお馴染みののむらちんぽである。

概要[編集]

1987年に樋川博一名義で『快晴!!青空教室』で第14回藤子不二雄賞を受賞後、『PC原人くん』や『がおがお おれゴジラ』『とんでもとんでモスラ』などの作品を著し、やがて1994年11月号からコロコロコミックで『星のカービィ デデデでプププなものがたり』という題名で連載を開始してコロコロ全盛期の一角を担った。単行本の5巻が出たころには彼の作品は黄金期を迎えたと言われるようになり、その人気は15巻の時期まで続いたとされる。

しかし、16巻以降はその黄金期のネタの使い回しが多くなり画力も低下。23巻以降の作者コメントは遺書のような雰囲気を醸し、24巻でついに作画崩壊。かんたん作画、ストーリー、ネーム、トーンの張りベタの塗り忘れ、形崩れ、コマの少なさ、手抜き背景、ガタガタの線、まるで別人が書いたような漫画になってしまった。さらに、23巻の遺書とも読み取れるかのような作者コメントをはじめとする意味深な発言の数々が見られるようになると、多くの読者がこの漫画の終焉を予感した。やがて最終回らしいストーリーも特にやらず連載は終了。2006年のリタイアをもってカービィの伝記執筆は谷口あさみにバトンタッチされるが、彼の12年間の功績は見るも無残な形となってしまった。

非常にマメな方で、ファンからのファンレターにもよく答えていたという。単行本の表紙にも当時としては珍しかったデジタル彩色、CG処理をいち早く使用。キャラクターの目は少女漫画のように緻密に描き込まれ、作品は作者の気力に満ち溢れていた。しかし、そこに暗雲が立ち込め始めた。この頃、雷句誠が小学館を原稿紛失か何かで訴訟したという一大事があり、一部では小学館に対して不信を示す声が多く上がっていた。コロコロは基本的に「人気のない漫画をほぼ容赦なく切り捨てる」という、週刊少年ジャンプに負けずとも劣らない小学館伝統のジャイアニズムを展開している(例外あり)とされ、先生の漫画も21世紀に入って人気が落ちるとその窮地に立たされたと言われている。そこで、DQNな編集者が「ガキごときの心も騙せないお前みたいなクソ漫画家なんぞが続ける事自体、漫画の神様が許さんわ」という一言をひかわに浴びせたことで、ひかわはうつ病を患い漫画のクオリティを急激に低下させていったというエピソードが有力な説として流布されている。

その後目立った活動は無く近況は不明だが、2010年現在でもファンに年賀状を送るなどマメな性格は変わっていないようである[1]。また、その後にはどこぞのブログで元アシスタントが株で食っていることを暴露。漫画を描くよりも金が入ってくるので手抜きを始め、最終的に谷口へバトンタッチしたということだったが、これに対しては火消しのデマ情報とする声もある。

2017年のとある雑誌で本当の事実が明かされた。作者が10巻頃からアシスタントに交代。作画が急に変わったのもアシスタントが描いたデザインだった。 作者は少しの手伝いだったという。

脚注[編集]

  1. ^ ニコニコ大百科: 「ひかわ博一」について語るスレ 31番目から30個の書き込み - ニコニコ大百科・49番

関連項目[編集]

カービィエリア.PNG この項目「ひかわ博一」は、まだカービィのおやつにすらなりません。フルコースにして下さるコックカワサキを求めています。 (Portal:スタブ)