ため息橋

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ため息橋(溜息の橋)とはイタリアヴェネト州ヴェネツィアサン・マルコ広場近くのドゥカーレ宮殿から隣の建物の間にかかっている石造りの橋の名称である。

橋の概要[編集]

建設の背景[編集]

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この橋ができたのは16世紀のことである。当時、イタリアは都市国家が分裂して存在する状態であり、ヴェネツィアはそのうちの一国で本島と周囲の島々、さらには本土側の一部の地域を支配していたが、アドリア海に面した海上都市であることを生かしてヨーロッパと西アジアの間の中継ぎ交易を行って成功し、世界各地から商人が集まる商業の町として栄えるようになっていた。

しかし商業の町として栄え、商人が集まるようになったのはいいが、それゆえ色々と悪事を働いて金をせしめてやろうと考える悪い連中も、数多くこの地を訪れた。具体的には窃盗強盗海賊行為、身など違法売買、さらには詐欺を働く連中であり、ヴェネツィアの秩序を保つ観点からも、こういう連中の取締りは急務となった。けれどヴェネツィアの牢屋は当時、裁判所があったドゥカーレ宮殿に同居していて、急増する犯罪者を収容するには不足であった。それゆえ、ドゥカーレ宮殿に隣接した建物を牢屋に改造して新たに急増した犯罪者を収容することにし、宮殿と新たに建造した牢屋の間には脱走ができんようにと頑丈な構造の橋を架けることにした。こうして架けられたのが件の橋である。

新たにできた牢屋には前からあった牢屋では捌ききれなかった罪人を収容することにしたため、重犯罪者と比較して絶対数が多い刑期数年でさっさと出て行くような軽犯罪者が大量に入ることになった。これは、新たにできた牢屋には警備がドゥカーレ宮殿ほど行き届かないだろうと考えられたためでもあり、実際に幾人もの犯罪者がこの新たにできたほうの牢屋から脱獄したとの記録が残されている。カサノーヴァなどはその代表であった。

創作伝説の付与[編集]

ヴェネツィアの運河。奥に見える高い位置にかけられた橋が「ため息橋」である。

けれどオーストリアフランストルコの幾度にもわたる攻撃によるヴェネツィアの衰退により、ヴェネツィアの人口も犯罪者数も次第に減少していき、新たな牢屋のほうはその存在意義を失って廃墟と化した。橋も同様であったが、石で堅固に作られていただけあってなかなか老朽化せず、さらに取り壊すにも金がかかるとあって、そのままの状態で放置されることになった。

だが19世紀に入り、ヴェネツィアが商業の街から観光の街に転換して生き残りを図ることを考えるようになると、この橋がヴェネツィアの中心街であるサン・マルコ広場にほど近いところにかかっていることが問題視されるようになった。橋は堅固なものであったことに加え、16世紀のヴェネツィアにおけるバブル経済的風潮の中から生まれた無駄に豪華なほどの装飾が施されていたために観光客の目にとまりやすく、それゆえこの橋には何か謂れがあるのかという質問が、街の観光課に数多く寄せられるようになったのである。

しかしその経緯は上に示した通り、ヴェネツィアで大量に発生していた犯罪に対処するためという過去の暗い側面と、街からの人口流出によってその役目を終えたという街衰退の側面を、共に引きずるようなものであったため、観光の街として新生を図ろうとするヴェネツィアからしてみればとても言いたくなるようなものではなかった。

そのため、観光客に対してなんかロマンチックな印象を与えられそうな伝説をでっち上げ、この橋を良い意味で宣伝に使えるようにしようと街の観光課の人は考えた。そして出来上がったのが次の伝説である。

むかしドゥカーレ宮殿には裁判所があり、その隣の建物には牢屋と死刑執行場が設けられていた。そして二つの建物の間には石橋が架かっていた。裁判所で死刑判決を受けたものは、牢屋・死刑執行場がある隣の建物までこの石橋を歩いて渡ることになったのだが、そのとき罪人は橋へ申し訳程度に開けられた窓からこの世を去る前、最期にヴェネツィアの美しい景色を見ることとなるので、橋の上でよくため息を漏らしたという。

この創作伝説は見事にヒットし、観光アピールとして大いなる成果を上げた。知らないうちにこの石橋へ「ため息橋」という名前が与えられたほどである。現実には、上にも記したとおり牢屋に入れられていたのは数年で刑期が終わるような軽犯罪者ばっかりだったので、橋からヴェネツィアの景色を眺めたとしても、おそらくは「この街でひと稼ぎしてやろうと思ったのに捕まっちまうとは。ちっ。ここを出たら別のところでまた稼いでやるぜ 」という悔しさと恨みと再起の心しか抱かず、せいぜい舌打ちしかしなかったであろうと推測されているが、そんな歴史的事実に多くの観光客は目を向けず、創作伝説を世界の人々へ広めまくることになった。そしていつしか、この「ため息橋」はヴェネツィアの名所の一つにまで成り上がったのである。

今日のため息橋[編集]

2010年2月時のため息橋

さて、そんな感じでヴェネツィアの観光名所の一角にまで成長した「ため息橋」であるが、今日ではその橋につけられた創作伝説とは全く別の意味で、観光客にため息をつかせることになった名所として有名になっている。

それはドゥカーレ宮殿と隣接した牢屋の外周改装工事と称し、2008年から両者の建物がイタリアの大学生が描いた壁画で覆われ、橋の中央部だけまるでさらし首のごとく空中に浮いた姿となり、その状態で観光客を迎えることとなったためである。立派な橋の姿を待ち望んで来た観光客にとってはまさにため息ものの話で、中にはその光景がまるで怪談の様だと恐怖感を覚える人も少なくない。

宮殿と牢屋を修復するのなら、いっそのこと橋も壁画で覆ってしまえばすっきり見えるのではないかと思われるが、上述した経緯によってこの橋がヴェネツィア名物のひとつへ成長してしまっているため、ため息橋を目当てに来た観光客から「なぜ橋がないのか」と質問攻めにあわないよう、そのような策がとれなかったといわれている。

ここに、ヴェネツィアにおける観光政策のゆがみの一つが反映されているといっても過言ではないだろう。

別の惑星においても[編集]

ヴェネツィアは21世紀の中旬には地球温暖化地盤沈下の影響で海中に没し、近代から現代にかけてのアトランティスとして語り継がれるようになったが、「水の都」として長く語り継がれていたたため、テラフォーミングが行われて地表の9割が海洋となった22世紀から24世紀にかけての火星(アクア)において、海洋の星にふさわしくこの街を復元しようという試みが行われた。こうして生まれたのがネオ・ヴェネツィアであり、ヴェネツィアの建築物がほぼ復元された都市として19世紀から21世紀にかけてのヴェネツィアと同様、観光都市として成長した。

このネオ・ヴェネツィアにおいてもため息橋はそのまま再現されており、その伝説の誤りも修正されることはなく、現在でも創作伝説がそのまま真実として観光客に語り継がれているといわれている。