ご苦労様

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ご苦労様(ごくろうさま)とは、感謝と労いの言葉である。ただし目上の者に使うことは避けられる。

語源[編集]

「ご苦労」という言葉は国鉄労働組合すなわち「国労」と語感が似ていないだろうか。「ご苦労」はもともと極労と書いた。

極労とは日本極道労働者組合のことであり、暴力団組員の労働組合を指す。極労には山口組労働組合などの加盟団体から成っている。労働組合であることからも分かるとおり、建前上は、暴力団の構成員が団結して組長や若頭などに待遇改善を求めるなどの行動をするために立ち上げられたものである。

しかし実態は、暴力団の舎弟企業などが労働基準監督署等の関係機関に対して、きちんとした企業活動を行っていますと偽装するための組織である。親分と舎弟や子分との絶対的な関係で結ばれるヤクザ社会において、労働組合が組長に直談判するなどということは考えられないのである。

しかし極労自体が全く活動していなかったわけではない。各暴力団の労働組合は、上層部の忠実な兵隊として闘争などに借り出され活躍した。組の方針などに口を挟むことを厳禁とされたが、大きな暴力団であれば全国に散らばる傘下組織の組員同士の情報交換などは、主に労働組合が中心となっていた。

山口組、住吉会稲川会とそれぞれの暴力団の労働組合が加盟する極労では、主に組織間の抗争終結などの情報の連絡、組員同士のいざこざを起こさないための教育などを行っていた。日本にあまたある暴力団で、その文化が著しく似通っているのは、ひとえに極労による情報共有のおかげと言えよう。

各暴力団の幹部も極労の活動を評価しており、手打ちなどがスムーズに進んだときには、それをサポートした極労に対して「極労の甲斐もあり」などと表現した。とくに小規模な暴力団同士の抗争で、山口組労働組合などの大規模労働組合が仲裁に奔走した場合などは、「この度の手打ちにご尽力いただいたのは極労様でございました」などと口上を述べることもあったという。こうして「極労様でした」という言葉が徐々に浸透していったのである。

異説[編集]

言語学者の銀田二冬彦は専門雑誌『言語』で異説を唱えている。かつて「苦労様」という表現もあり、極労からの変化とは考えにくいとしている。

銀田二によれば、苦労様とは九郎様、すなわち源九郎義経のことだという。義経は兄の頼朝に代わって平氏追討を行い、源氏政権の成立に寄与した。頼朝は他の家臣たちの前で「を取り戻したのは九郎である」「九郎、一ノ谷の戦いは見事であった」などとその働きを称えた。その話はすぐに民衆にも広まり、「今度の戦も九郎様じゃ」「九郎様はよく働きなさる」と噂になる。そこから、よく働いた者への最大の賛辞として「九郎様」と言われるようになったというのである。

いずれにしても、暴力団の幹部から構成員へ、源頼朝から義経へ、と上位の者から下位の者への言葉であることには違いない。今も「ご苦労様」という言葉を目上の者へ使うことが避けられるのは、この名残である。

お疲れ様[編集]

類似の言葉に「お疲れ様」がある。お疲れ様の語源は「乙カレー」であることに疑問はないであろう。

乙カレーは、「にするかカレーにするか」である。普段娯楽の少ない海軍では、毎週金曜日の夜はお楽しみの時間であった。そこで下士官達は夕方になると将校に「乙ですかカレーですか」と聞いてまわるのである。将校が「乙!」と答えれば、女遊びの支度を整え、「カレー!」と答えれば牛肉入りの金曜カレーが盛り付けられるという寸法である。ここから「乙カレー」さらに「お疲れ」と変化したと考えられている。

この場合は下士官から将校、つまり目上の者への問いかけであることが、「ご苦労様」とは異なる。現在も目上の者へは「お疲れ様でした」が好まれるのはこのためである。

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