がじゃいも

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紫がかった毒々しい色のがじゃいも。

がじゃいもイモの品種のひとつ。

概要[編集]

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がじゃいもはその名の通り、鹿児島県十島村臥蛇島を産地とするイモである。塊根部は食用となる。保水性のないやせた土地でも育つことから、甘藷と並び飢饉に強いと言われている。東北以南で生育が可能だが、実際にはトカラ列島を中心に特定の地域にのみ自生する。

救荒作物としての失敗[編集]

がじゃいもは不味すぎて食ってらんね、と大根を齧る子どもたち。

上述のようにがじゃいもは飢饉に強い。干害時にもやせた土地で生長するほか、斜面でも栽培が可能である。もともと臥蛇島は人間にとって過酷な生活環境であり、はもちろん蕎麦も満足に生育しない。しかしそのような土地でも育つがじゃいもは島民にとって重要な炭水化物の栄養源となっていた。

江戸時代には島民は島津氏へ作物等を上納していたが、このなかにはがじゃいもも含まれていた。しかし薩摩藩内にはもともと甘藷があり、シラス台地には甘藷のほうが強かったために、がじゃいもの価値はほとんど評価されなかった。しかし明治時代に入り様々な情報が全国に伝わるようになると、がじゃいもは救荒作物として政府に着目された。度重なる飢饉に見舞われていた東北地方を救う作物であるとして青木周蔵が研究・普及に当たった。

ところがふたつ大きな問題を抱えていた。ひとつは、がじゃいもは大変不味いということである。臥蛇島の島民は本当にほかに食べる農作物がなかったので日常的に食していたが、本州に住む者たちは「いくら凶作でもこんなの喰ってらんね」と言うほどだった。東北地方で度々発生した飢饉の折にも、人々はこんなの食べるくらいなら大根飯のほうがまだましだと言い、がじゃいもは見向きもされなかった。そのためついに政府は食用としての普及を断念した。終戦前後の深刻な食糧危機の時代には既にがじゃいもは本州からほとんど姿を消しており、昔の経緯を知る老人たちは「なぜがじゃいもを絶やしたのか」とぼやいていたという。

もうひとつの問題点は寒さに弱いということである。概ね自生するのは関東以南、栽培しても東北が限界である。政府は北海道開拓使の食糧として利用しようとしたが失敗している。これもがじゃいもの普及打ち切りを早めた原因と言われている。

加工品として[編集]

単に炊いたり蒸かしたり焼いたりというだけでは随分と不味いがじゃいもであるが、加工品にすれば利用価値があるのではないかと考えた者もいた。その代表的な人物が臥蛇島で「入道先生」と慕われた比地岡栄雄である。比地岡は焼酎にすることを考えつき、島民と試行錯誤を重ねてついに1960年代に酒造に成功した。これは「臥蛇酎」と呼ばれ、青ヶ島の「青酎」と並んで離島の高級焼酎としてマニアの間で話題となった。ところが酒造に携わる島民の数が非常に少なかったことに加え、1970年には臥蛇島自体が全島民離島して無人島になったことから製造は打ち切られ、幻の焼酎となってしまった。

昨今ではバイオ燃料となるのではないかとして一部の研究者やエンジニアから注目されている。トウモロコシのように大量生産には向かない反面、ほとんど手をかけなくても生育して多くの塊根の収穫が見込めることから、技術を確立すれば燃料として採算が取れる可能性もあるという。

関連項目[編集]

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