かつあげ君

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もしかして: かりあげクン

かつあげ君、別名「三丁目の暗黒街」とは、月刊まんがタイム(芳文社)に掲載されていた4コママンガである。作者は平ひさし。2010年3月号で連載終了。

また一つ、昭和の灯が消えた

概要[編集]

本作は1981年5月に創刊された4コママンガ雑誌の老舗、まんがタイムにおよそ29年に渡って掲載されていた。創刊の翌月から連載され幾度かの中断をはさみながらいつまでもいつまでも掲載されていた。

読者もそういうもんだと思っていた。ずっと・・・。

端緒[編集]

本作は、その旧名である「三丁目の暗黒街」が示すとおり犯罪がらみのネタ満載のブラック4コマとして長期間にわたってファミリー4コマ雑誌であるまんがタイム誌内で異彩を放つ存在であり続けていた。もっとも、まんがタイム創刊時は、4コママンガ自体がマイナーな分野であり、まんがタイムがターゲットとした客層も、70年代に「しらけ世代」と呼ばれて、大学生になったにも関わらずにマンガを卒業できなかった世代が中心だった。そんな彼らがサラリーマンになってもなお、どこかしらで漫画による笑いを捨てきれないでいることに芳文社が目をつけたことが、その後の日本の漫画史を大きく変えていくことになる。

実際、連載開始直後のまんがタイムは、エロもグロもなんでもござれ。あくまでもネタを見る目に肥えた男性サラリーマンたちを楽しませるための雑誌だった。その中の一作として始まった今作もまた、強烈に男臭い作風を望む多くのサラリーマンたちが喜ぶきわどすぎる犯罪ネタを、上は汚職や銀行強盗、下は無銭飲食ケンカ、ツツモタセまで一切合財ひっくるめて大量に投下。絶大な支持を取り付けていくことになる。そして、何よりもそのサラリーマンたちが家庭を持ち、その子供達もまた、まんがタイムを通じて4コマ漫画に触れていく。これは、古くは大正時代に一世を風靡した4コマ「ノンキナトウサン」から昭和初期の国民的人気4コマ「フクちゃん」、そして戦後における日本の4コマ漫画の金字塔「サザエさん」にいたるまで連綿と続く一連の流れである。

親が読んでる漫画は子供も読む。当たり前すぎて忘れそうになる話であるけれど、基本的に、4コマ漫画を語る上で重要になる要素は世代である。それは、今作においてもなんら変わりはない。

仕掛け人たち[編集]

なお、まんがタイムは創刊当時から、当時の漫画界においてサシミのツマ程度の存在しかなかった4コマ漫画をメインに据えるというチャレンジ精神あふれた、もしくはとてつもなく無謀な存在だった。その決断をされたのは、芳文社社長孝壽芳春氏、68歳。この決断に後押しされる形で、後にまんがタイムの編集長となる古島當夫氏は即座に新雑誌の顔となる作者を人選に入る。その結果、1981年の段階で最も実力があった若手4コマ漫画家、植田まさし氏といしいひさいち氏両人の内、植田まさし氏を新雑誌のメインに据えることを決断する。そして、ほかにも多くの有象無象の4コマ作家を招集。

この段階において芳文社は、それまでの漫画雑誌とは一線を画す形で、軽く、気楽に、重く受け取る必要がまったくない、ある意味、無思想な雑誌を作ることに成功。それまでも青年層を中心にした漫画雑誌は多く存在していたが、それまで以上に大人が手軽に漫画雑誌を購入しやすい環境を整えたことは賞賛に値する。その結果、男性サラリーマンを介して家族を含めた多くの人間が、4コマ漫画を受け入れ、実は4コマ漫画って面白いんじゃないか、という世間の反応を獲得。雑誌を商業ベースに乗せることに成功する。

サシミのツマも化けるときがある。

なお、この段階で力を込めて語らなければいけないことがある。それは、当時の4コマ漫画というものが、あくまでもネタを中心に回っている世界であり、ネタさえよければ絵が下手であろうがどうであろうがなんら関係はなく、むしろ、絵がアレであるからこそ、その作者の強烈な味。忘れられない感覚になるという事実である。

当時の代表的な4コマ作家[編集]

創刊時の苦闘[編集]

もちろん、サシミのツマである。一部熱狂的な読者がいたとしても、そう簡単には商業ベースに乗せることなんざできるわけがない。そのため、まずやらなければならなかったことは作者の確保と、4コマに興味を持つ人の確保。逆に言うならば、興味を持てるような4コマを開拓していくことだった。幸いなことに、看板作家として迎えていた植田まさし氏の人気が爆発。他誌のコミックスではあったけれど、氏の代表作「かりあげクン」を初めとする著作群に多くの固定客がついたため、まず看板作家を大々的に売り込んで次に若手を育てる&中堅どころを迎え入れるという、当たり前だけれども、実は大変難しい雑誌創刊の第一歩を踏み出すことに成功する。

本作はまさに、迎え入れられた中堅どころのポジションにいた。

安定[編集]

残念ながら、80年代初頭の4コマ雑誌とは決定的に若手の才能というものがない状態だった。当たり前である。月刊誌というベースにようやく種をまいたばかりである。種が芽吹くまで待つなんて悠長なことは言ってられる状況ではないわけで。次になすことは、すでに芽吹いて花を咲かせ、実を結んだ作品を取り込むこと、すなわち、固定客のついた作者を呼び込むことである。そして、新規のファンを逃がさないことである。そのため、幾人かの中堅どころとビッグネームを迎え入れ続けたことで、ついにようやくどうにかこうにか80年代半ばで雑誌全体のレベルと体裁が安定。その反面、80年代半ばまで、まんがタイムにおける若手4コマ漫画家の台頭はほとんどと言っていいほどない。まったくない。結局、創刊時とは違い、雑誌のレベルの維持に当たって古島編集長が気を配らなければいけなかったのは、若手の成長を待つよりも、次に打つことのできる一手の模索であり、新たに迎え入れる実力者、中堅どころたちとの応対だったことは間違いない。

その迎え入れられた実力者たちの中でも特にビッグネームといえるのが、代表作釣りバカ日誌で有名な北見けんいち氏とみつはしちかこさんの2人になる。4コマ雑誌であるまんがタイムの誌面で普通の漫画として20年にわたり掲載されつづけた北見けんいちの「親ばか子ばか」(後に「親父カフェ」)と、みつはしさんの代表作「ちいさな恋のものがたり」の2作品が、どれほどまんがタイムのレベルを底上げしたかは、筆舌に尽くしがたい。

とくに、モラルという点において。

この手法は後に、芳文社の4コマ雑誌が創刊されるたびに受け継がれていくことになる。ちなみに、「小さな恋のものがたり」は2010年現在、1968年連載開始のゴルゴ13を鼻であしらう1962年(昭和37年)連載開始というとてつもない大記録を保持している。70年代に4コマ漫画でありながらテレビドラマ化され、なおかつ単行本の売り上げ総数が100万部を越えるなど、少女漫画かつ4コマ漫画という枠組みでは、まさに並ぶものがない状況である。さすがに、連載開始から何度かの休載をはさんでいるけれど、2010年現在、昭和30年代から連綿と増刷され続けている漫画を購入できるという状況が、いったいどれだけとんでもないか、という話である。残念なことに、2008年からみつはしさんの体調不良で休載が続いている現在でも、愛読者たちは、いまだに新刊を待ちわびている。ここまで来ると世代を超えるというレベルではなく、3世代にわたるという話である。

・・・とてつもね

このように、雑誌のレベルが強烈に安定していく中、ついにまんがタイム内でも80年代後半より若手4コマ作家が台頭が始まる。男臭い作風の中、逆に繊細な、ファミリー向けの4コマを書いていたなりゆきわかこ窪田まり子たち若手4コマ作家の人気が少しずつ、少しずつ上がっていき、その結果、新たな作風を持つ若手が続々と登場し始める。

独立[編集]

1982年、4コマ漫画雑誌に対する反響の大きさに喜んだ芳文社は、早速、まんがタイムの別冊の製作に着手。「まんがタイムオリジナル」として、新たに迎え入れた中堅どころの作家をメインに据えた雑誌を誕生させる。その表紙に選ばれたのが今作「かつあげ君」。当時、4コマの世界には十把ひとからげの様々な才能が入り乱れており、彼らに新しい活躍の場を与えたことがその後の4コマ漫画の発展に大きく貢献することになる。

もっとも、最初の淘汰の場でもあったのだけれど。

その後、1984年にまんがタイムファミリー、1987年にまんがホームを創刊。ライバルである竹書房のまんがライフ&まんがくらぶなどとともに、日本のマンガ界に月刊4コマ漫画誌というニッチ産業を作り出すこと、および生き延びさせることに成功する。

ただし、この時代の4コマ漫画には抜きん出た実力者と、何から何まで足りないペーペーの間を結ぶ存在が少なく、雑誌の顔となった作家を跳ね除けるような新人は、そう簡単には現れない仕組みになっていた。この大きな溝を埋め、なおかつ、実力者が安泰できない世界が形成されるには、もう少し多くの積み重ねが必要になる。

充実[編集]

このようにして充実した作家陣と目の肥えた客層をつかんだ1980年代後半のまんがタイムは、前述した作者以外にも「おとぼけ課長」の植田まさしを筆頭に、本作、そして本作と同時に2010年3月に最終回を迎えた「あさかぜ君」の田中しょう、本作とは逆のずっこけ刑事マンガだった「ガニマタ警部」の尾崎みつお、「すずめちゃん」のかまちよしろう等が誌面を賑わせている。そして本作も、まんがタイム内での人気作として、「三丁目の暗黒街」名義で5冊、「かつあげ君」名義で5冊、あわせて10冊の単行本を世に送り出している。

しかし、時は流れ、4コマ漫画を取り巻く世界の変化とともに、本作の苦難の道のりが始まる。その傾向は1990年代初頭、調度、本作の掲載回数が100回を越えた時代から始まる。

登場人物[編集]

セコ政
サングラスと帽子、何より背の低さがトレードマークのチンピラ。ときたまアルバイトをしている場面も見受けられるが、ほとんど生業にはついていない。連載当初は相棒のダサ松とともに犯罪につぐ犯罪を繰り返しているが、連載長期化とともに徐々に彼のずっこけぶり、おとぼけぶりが作品の主体になっていく。
ダサ松
蝶ネクタイにゴリラ顔、ちょびひげがトレードマーク。セコ政との凸凹コンビは画面の構成を考えると必然といえるできばえだった。こちらはいくつか生業についている節も見受けられる。しかし、裏家業であることは間違いない。
おしん子
セコ政に惚れている太った女性。実は、昭和50年代に竹書房で掲載されていたおしん子ちゃんを「雑誌の枠」だのなんだのをまったく気にせずに使用していたが、もっとも、竹書房のほうでもセコ政とダサ松を普通に出していたため、特に問題はない。もっとも、版権だの著作権だのが希薄だった昭和50年代の話、しかも表現の媒体として黎明期にあった4コマ雑誌の話である。そんなもんである
警察官
この漫画では1990年代に絶滅した生物。
ヤクザ
この漫画では1990年代に絶滅した生物。
銀行強盗
この漫画では1990年代に。
窃盗犯
この

本作のストーリー[編集]

80年代の4コママンガにストーリーなどというものを求めてはいけない。世界観&起承転結。ただそれだけである。

一応、作品のバックボーンとして、70年代に一世を風靡した仁義なき戦いシリーズのヤクザ感がベースにあり、連載初期にはクリカラモンモンの刺青をしたヤクザたちと警察との間でチンピラであるセコ政とダサ松が、それこそセコく、ダサく生きていく姿を描いていた。また、暗黒街という言葉自体、80年代初頭の段階ですでに時代遅れであり、そのような言葉をあえて選んだセンスも見逃せない。

そして、70年代から4コマ漫画家として活躍していた作者にとってもまさに油の乗った時期にあたり、強烈できわどいネタがポンポン飛び出す様子を読者は楽しんでいた。

しかし、時代は流れる

作者について[編集]

本作の作者である平ひさしは、1970年代から活躍している生粋の4コマ漫画作家である。しかし、その情報についてはWikiでもGoogleでもほとんど情報を得ることができない。以前、まんがタイムで本人が書いた裏話として、名前の平という字は、本当は「ぺえ」と読んでもらいたいと思ったらしいが、最初の漫画の担当者が「たいらさん」と呼び続けたため、結局、読みは「たいらひさし」になった、という話がある。それぐらいしか逸話がもれてこないのだから、ある意味素晴らしい。本作以外の主な著作として、相撲漫画の傑作、「よりきり君」、竹書房の4コマ漫画雑誌、月刊ギャグダ(現、まんがライフ)で連載していた「おしん子ちゃん」、地方の新聞に掲載されていた「ホットくん」などがある。

たった一度の増刊[編集]

1999年、まんがタイムの増刊としてただ一度だけ、本作が一つの雑誌にまとめられて上梓される。内容は、過去の作品の再収録であったが、いかんせん、やばすぎて単行本化されない中の傑作を寄り集めたものだから、4コマの質はとんでもなく高かった。あわせて、あまりにブラックすぎて、絶対に単行本化されない&時代にそぐわないことも明白だった。

ヤクザが一般人をボコボコにする4コマを見て、子供達が腹を抱えて笑うなんてことは、もはや考えられない時代になっていた。

苦難の道のり ~ 顧客層の変化その1 ~[編集]

雑誌の黎明期であった1980年代を過ぎ、1990年代初頭に入ると、4コマ漫画界に一大革命が勃発する。

4コマ漫画なのに絵が上手い

今から思うとごくごく当たり前の話であり、その上手さについても今から見ればごく普通のレベルであったが、1980年代の4コマ雑誌において、上手い絵とはほとんどありえないものであった。なんせ、おとぼけ課長の絵ですら上手いと思われた時代であった。そのため、90年代に入って突如現れた、コマの細部にわたって書き込まれ、スクリーントーンも数多く使用された諸作品は、4コマ雑誌に新しい顧客を取り込むことになる。

若い女性である。

その結果、雑誌の内部からエロいネタ、そして男臭いネタやキワどいネタが駆逐されていく。そして、女性層が増えていく中、それまで男性が主だった4コマ漫画の作者の中にも徐々に女性が増えていくこととなり、あわせて、一つのネタで完結していく4コママンガの方式から、女性らしい、登場人物の心情に一歩踏み込んだストーリー漫画形式の4コマが主流になっていく。

まんがタイムが創刊10周年を迎えるころから、一つ一つのネタで勝負していく作家は希少な存在となっていき、本作はいつのまにか4コママンガの王道という、時代の枠組みに入れられることになる。そして、本作もまんがタイム系列各誌における題名を「かつあげ君」に統一。少しずつではあるが、きわどい犯罪ネタを抑え、日常を主体にした4コマへと主題を移項させていく。

苦難の道のり ~ 顧客層の変化その2 ~[編集]

1990年代半ばを迎え、それまで親が買って来た4コマ雑誌を読んでいた少年少女が10代後半から20代に達する。それは、4コマ漫画にも新たな顧客層が生まれたことを意味していた。機を見るに敏な芳文社は、それまでの成年一般を対象としていた販売層が学生にも広がっていることを直感。一気に顧客を刈り取るために、なんと若者が好みそうな4コマ作品ばかりを集めた雑誌、「まんがタイムジャンボ」を創刊する。孝壽芳春氏の慧眼恐るべし。もっとも、発足当初は、本作の作者である平ひさしやあさかぜ君の田中しょうなども4コマを掲載している。このときすでに、まんがタイム発足後に育った書き手達(なりゆきわかこ窪田まり子新田にに子ら)が別雑誌のレベルを支えるまでになっており、まんがタイムファミリーまんがタイムオリジナルといった現在、まんがタイム系列と言われる雑誌でも、まんがタイムから巣立った書き手が活躍。出版の世界の中で、小さいながらも確固たる地盤を築いていた。中には、南ひろこのように新聞で連載を持つまでに成長した書き手もいた。

このように、新人作家を育成することに長けた芳文社が本格的に新人を発掘するための雑誌の創刊に踏み切ったことは、その後の4コマ漫画文化の発展に多大な影響を与えることになる。実際、まんがタイムジャンボの読者投稿欄から、現在の芳文社を支える数々の4コマ作家が羽ばたくことになり、90年代後半から2000年代初頭、日本のマンガ業界に一気に新しい4コマ文化が花開き、それまでの顧客層も男女を問わずに、一般成年層から一気に全世代へと広がっていくことになる。

しかしそれは、古い固定客と、それに支えられたマンガ家を切り捨てることにもつながる。1990年代後半、4コマ漫画の王道路線を歩んだ作家の多くは、新しく登場する作家たちの整った絵と現代的な笑い、何よりも新しい4コマの表現への挑戦といった、雑誌の中身の変化についていくことが出来ず、連載を終了することになる。80年代と90年代初頭に芳文社系列の雑誌で羽ばたいた4コマ作家のうち、この変化を乗り越えたのは10人に満たない。そして本作もまんがタイムオリジナルの連載を2000年代に終了させている。これはある意味、時代の流れである。けれども、その流れにもだえ苦しみ逆らうことで、作者が化け、作品も化ける。

90年代から2000年代にかけて、本作もそれまでのブラックなネタ満載の犯罪4コマから徐々にずっこけ、おとぼけを主体にしたやわらかいタッチの、それでも犯罪のにおいがしなくもない作品へと変化していく。2000年代に入ると、本作もまんがタイムでも作品タイトルを、「三丁目の暗黒街 かつあげ君」から「かつあげ君」に変更。三丁目の暗黒街という、まさに犯罪ネタを集約した作品の肝となるタイトルは、コマの外、枠外にひっそりと記載されるだけの存在となる。そして、まんがタイムにおいて掲載されるのは常に巻末。内容は古臭く、新しい話題は少なく、多くの新規購読者にとって、なぜ連載しているのかワカラナイ作品となっていく。

ただし、20年来の読者にとっては、その衰えもまた愛すべき一面であった。そして、その一面がなかったら、何のためにこの雑誌を買い続けているのかが分からなくなる、そんな存在だった。そして、時たまに見せる狂気を含んだ一こまが長年の愛読者をニヤリとさせる、そんなことも多々あった。2000年代に入ってからも、貸金業者にガソリンをまいて火をつけ、従業員が死傷した事件のあとで、同じ手口をネタにした4コマを堂々と書く狂気と掲載する狂気に、長年の愛読者が大笑いするような話もあった。しかし、悲しいかな。時代はそんなネタを受け付けなくなっていき、そして作者もまた年老いていく。

もっとも、栄枯盛衰は世の習い。衰えるのは必然。むしろ、衰えたからこそ、生き延びること、連載を続けることもまた表現である。世の中は面白さだけじゃ面白くない。そんな雑誌と心のスキマにひっそりと生き延びることで、4コマ漫画界の20年選手たちは人気以外の部分で雑誌を支え続けていく。

しかし、そんな世界が壊れる日が唐突に訪れ、新たなる顧客層を獲得したまんがタイムジャンボ出身の作家陣にもまた、時代の波が押し寄せることになる。

苦難の道のり ~ 顧客層の変化その3 ~[編集]

一言。

2002年まんがタイムきらら創刊。

それまで、まがりなりにも、4コマとして起承転結を重視して、面白さを追及してきた4コマ雑誌に革命を起こしたのが、絵がかわいければすべてOK、むしろ、中身が薄っぺらで面白くなくても絵さえよければOK、という作品の面白さを二の次に、絵を魅せることを目的にした4コマ漫画界の鬼っ子まんがタイムきららの創刊である。これは、それまで日陰の顧客であると考えられていた萌えマンガの顧客数が、実はとんでもないレベルにまで達していたことを察知した芳文社によるチャレンジであり、なおかつ、その後のことを考えると開けてはいけないパンドラの箱だった気もしなくはない。孝壽芳春氏、このとき90歳。出版人として最後のチャレンジとも言えるこの一歩が、4コマ業界、果ては日本のマンガ文化に与えた影響は絶大なものがあった。

きららの創刊により、それまで4コマ雑誌という、マンガ雑誌の中では比較的手堅く、顧客層も安定していた業界に大異変が起こる。それは、それまで金にならないことで有名だった業界に金がぎょうさん入ってきたことに始まる。

モラルハザード。まぁ、よくある話である。

それ以前の段階で、男臭くてドジでのろまで80年代のテイストに満ち溢れてまんがタイムの巻末にひっそりとたたずんでいた本作は、この大波にさらわれた結果、完全に時代に取り残されることとなる。そして、そのことで、まんがタイムを守ることになる。時代に取り残されたのが逆に幸いすることもある

ストーリー4コマ全盛時代へ[編集]

まんがタイムきららの創刊後、4コマの世界をストーリー4コマが席巻することになる。これは、4コマ一つ一つを組み合わせて全体で一つのストーリーマンガを構成する形式で、逆に考えると、一つのストーリーマンガを4コマごとにばらすことでも形成できるという、ある意味、新しい4コマ作者を獲得するには画期的なシステムだった。そのため、少年誌や同人誌において、ストーリーは組めても構図コマ割フキ出しなどのバランス、といったものがヘタクソな作家を4コマの世界に移籍させることが可能になった。あわせて、すでに過去の作家とみなされていた人々が4コマ雑誌で復活を果たすといったことも可能になった。

が、そのブレイクスルーは一つ一つの4コマの面白さを薄くさせる結果にもつながった。それは、ストーリーの展開上、どうしても捨てネタを組み込まねばならないことと、ストーリーというものが、「笑い」だけでは出来上がらないため、どうしても「泣き」や「怒り」といったものを取り込まないといけないため、ほとんどストーリーがなく、全て起承転結の「笑い」で構成されている王道路線と比べると、両者の間に大きな溝ができてしまったためである。さらに、同人業界からスカウトした作者の何人かがストーリーさえつじつまがあえば笑いはどうでもいいがごとくの作品を連発した結果、大正時代から連綿と続いてきた日本の4コマ文化は危機を迎えることになる。

危機[編集]

4コママンガが全ての年齢層にいきわたり、大量の顧客を獲得。4コマ作家の数も確保して新規参入もほとんどない業界に何が起こったか。それは、それまで小さな世界で積み上げてきた実績とノウハウではどうしようもない事態、飽和が始まったことを意味した。

客が増えると、増えた分、4コマ作者に負担が多くなる。客なんて笑わせてなんぼ、作者のセンスだけで切り売りしていた時代は過ぎ去り、一つのストーリーとそれに感動する顧客、そしてもっともっととせがむ客。そんな状況は、業界内で常にニッチの立場であり、ヒマつぶしのためにあった4コマ雑誌の雰囲気を大きく変える。それは、雑誌、そして業界の雰囲気を無視する客が4コマ業界になだれ込んだ結果である。恐るべき化け物、客の期待が4コマ雑誌を徘徊、無体な客が看板作者を押しつぶし、同じような内容、同じような絵柄、同じようなストーリーの作品群が競争を阻害。若手の作者の力量を削いでいった。

いつの間にか4コマ漫画にアシスタントが必要な時代が到来していた。

さらに間の悪いことに、まんがタイムきららの創刊は、インターネット文化の隆盛時とかぶっていた。これはある意味、どでかい爆弾を身内に抱えるのと同じだった。実際、エロ同人誌などの二次創作系の原作破壊やネット上での作者へのバッシング、さらには絵が上手いだけで常識に欠けた作者の登用による諸問題など、それまでの4コマ雑誌のノウハウではどうしようもない事態が続出。雑誌自体は大ヒットしたにも関わらず、まんがタイムきららは迷走を続けることになる。

・・・もし、この時代かそれ以前に、芳文社がストーリー4コマとは真逆の立場となっていた王道路線を切り離していたらと思うと背筋が寒くなる。

防波堤[編集]

このような時代、身内に爆弾を抱えていた時代を芳文社が乗り切れたのは、実は時代に取り残され、雑誌内で浮きに浮きまくった状況で掲載され、なおかつ若者達から面白くもなんともないといわれ続けた本作、おとぼけ課長、あさかぜ君といった王道路線の4コマの存在によるものである。それは、90年代にまんがタイムジャンボで登用した4コマ作者たちが円熟期を迎え、代表作となるマンガを連発していく中、これら王道の作品が、勢いだけ、絵の上手さだけのきらら系統の作品が雑誌の枠を超えて進出するのを極力排除する、防波堤やら波消しブロックやら、三角コーンのような役割を果たしたことが大きい。とにっかく、時代に流されずに自分の表現を貫き通すその姿勢が、一時の流行に右往左往するようなことはなかった。また、これらの王道マンガの排除は20年以上にわたって雑誌を買い続ける読者の排除を意味しており、そして、きらら系の萌え絵はまさに、それら王道の絵柄とは相容れないものがあった。

この段階で狂熱から守られた諸作品と作者が、2000年代後半のきらら系列以外の芳文社の4コマ雑誌を支え続けていく。

発展[編集]

その後、まんがタイムきららは煮えたぎった顧客を冷やすために、さらに同系統の雑誌を3つ創刊。大量の作品の提供とあわせて漫画の質の向上も行った結果、ようやく一部顧客による暴走を制御することに成功、その余波で芳文社には、月刊で発行する4コマ雑誌が13冊というまさに4コマ雑誌界の王として君臨することになる。さらには、鬼っ子だったまんがタイムきららとその顧客も、雑誌の成熟とともに沈静化、逆にオタク文化の主流を担う雑誌として海外にまで販売を展開という、ある意味、しらけ世代が中心だったころには考えられない、とんでもない領域にまで成長することになる。

そして、2007年5月、まんがタイムきららで「けいおん!」の連載開始。芳文社はついに顧客の暴走を乗り越えて、1つの財産を獲得することになる。

老兵は死なず ただ消え去るのみ[編集]

19世紀、アメリカ軍の兵士の間で流行した歌に以下のようなものがある。
遠くにある古ぼけた食堂で、俺たちは一日三度、豚と豆だけ食う
ビーフステーキなんて絶対出ない、畜生、砂糖ときたら紅茶に入れる分しかない
だから、おれたちゃ少しづつ消えていくんだ
老兵は死なず、ただ消え去るのみOld soldiers never die; they just fade away)。
二等兵様は毎日ビールが飲める、伍長様は自分の記章が大好きだ
軍曹様は訓練が大好きだ、きっと奴らはいつまでもそうなんだろう
だから俺たちはいつも訓練、訓練。消え去ってしまうまで

けいおん!の人気が沸騰し、まんがタイムきららの海外進出が行われてから少ししたのち、2010年の1月に、本作がまんがタイムの連載を終了することが発表される。それは、2009年に96歳で亡くなった孝壽芳春氏の一周忌のことだった。

最終的に、本作の連載回数は339回を数えていた。

4コマ漫画作家[編集]

なお、4コママンガといえども創作活動であり、創作活動とはすなわち読者との戦いである。自分自身との戦いでもある。創刊当時のまんがタイムきららの主力作家がわずか数年で「客の期待」でぼろぼろになったのとは対照的に、現在、まんがタイム系列の雑誌ではいつ終わるとも知れない4コマ漫画と、いつか終わるストーリー漫画が並列し、購読者はそれを楽しんでいる状態である。漫画の作者をつぶさないために、大変よい方法である。最初からいつ終わるともしれぬ作品が作られるわけはない。数多くの作品を終わらせた後に、終わらない作品が残っただけなのだから。少なくとも、時代の流れに逆らって生き残ってきた化け物と明日をも知れぬ新人、そして雑誌の主力選手にまで上り詰めた人々が並列されているのは、4コマ雑誌の素晴らしい光景である。60代から20代まで、競い合うようにして雑誌を作っている。

まんがタイムおよび系列の4コマ雑誌の多くを創刊し、多くの4コマ作者を育てた古島當夫氏は、残念ながらすでに亡くなってしまったけれど、氏の築き上げた月刊4コマ雑誌の作家および読者の育成システムは、これからも連綿とつながっていくものと思われる。

まぁ、そんなもんだ。いい仕事ってものは

関連項目[編集]