お犬の方

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動: 案内検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「お犬の方」の項目を執筆しています。

もしかして: お戌の方

お犬の方(-いぬ-かた、天文19(1550)年生 - 天正10(1582)年9月8日没)とは、織田家で飼われていたわんこである。別名・犬姫(いぬひめ)。

命名[編集]

「尾張の虎」織田信秀の娘である。織田信長の妹と言った方が分かりやすいか。名づけ親は兄の信長であり(信秀にとって、ちょうど多忙な時期であったため、生まれた子供の名前など考えている余裕がなかったためと言われている)、「」という名前は尾張の「」信秀にあやかり、それに次ぐ獣として名づけられた(生まれて来る子供が男児であると決めつけていた)という説と、生まれた年が単純に戌年であったとする説(これが一番有力である)、そして当時うつけ三昧だった信長が屋敷に逃げ帰って来て、追っ手に対して扉越しに「いぬ(居らぬ)!」とよく居留守を使っていたのを乳母が勘違いして付けてしまったとする説がある。

人物[編集]

織田家の血筋は美男美女が多く、その例にもれず犬姫もその輝くばかりの美貌をもって知られていた。そのため周囲から「四方様(ヨン様。四方を照らす美しさ、の意)」と呼び称えられたが、それは同時に八方美人であった彼女に対する皮肉でもあったのは言うまでもない。誰にでも愛想よく振舞い、なまじその笑顔が美しいばかりに、かえって嫌味に感じてしまう者も少なくないのであった。しかし、本人は世の風評などまるで気にする様子もなく、毎日屋敷の庭を無邪気に駆け回っていたのであった。

婚歴[編集]

その後、いつまでも泥んこ遊びばかりさせてもいられない、と信長は永禄3(1560)年に譜代家臣の佐治為興(さじ ためおき)の元へ嫁がせた。これで一安心かと思ったが、嫁ぎ先の佐治家でもキャンキャンとはしゃぎ回り、いつまで経っても悪癖は治らなかったため、とうとう匙を投げた為興は狂ったように戦いに没頭。各地を転戦して大層出世したものの、調子に乗りすぎていつも先陣を切り続けた結果、天正2(1574)年9月28日、長島の戦いで戦死してしまったのであった。

かくして織田家に送り返された犬姫は、飼い主が死んでも相変わらずキャンキャンとはしゃぎ回っており、いい加減に持て余してしまった信長によって、今度は天正3(1575)年、旧室町幕府の元管領家・細川昭元(ほそかわ あきもと)の元へ嫁がせた。細川家としては迷惑千万な縁談であったが、すでに天正元(1573)年に主君・足利義昭を追放してしまった信長に逆らうことは出来ず、泣く泣く犬姫を嫁に迎えたのであった。

最期[編集]

その後3男2女の子宝に恵まれた犬姫であったが、天正10(1582)年9月8日、本能寺の変(同年6月2日)から間もなく急逝した。死因については諸説あり、夫が明智光秀に内通していたとばっちりで粛清されたとか、そうではなくて土佐の長宗我部元親と密通していたとか、あるいは夫と一緒に室町幕府再興運動に協力していた……その他もろもろ言われているが、もっとも有力な説はドッグフードに混入していたネコイラズを食べてしまったためであるとされている。

関連項目[編集]