「上杉景勝」の版間の差分

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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通称は喜平次。現代人からは[[直江兼続]]の付属品扱いされている。常に忿怒仏(ふんぬぶつ。例・不動明王など)のように<del>ひどくおっかない</del>威厳に満ちた形相をしており、黙っていると仁王像と見分けがつかないところから仁王様寡黙とも称される。厳つい形相どおり峻厳な人物で、冗談が一切通じない。下手にギャグでも飛ばそうものなら'''こっちの首が飛ぶ。'''
 
通称は喜平次。現代人からは[[直江兼続]]の付属品扱いされている。常に忿怒仏(ふんぬぶつ。例・不動明王など)のように<del>ひどくおっかない</del>威厳に満ちた形相をしており、黙っていると仁王像と見分けがつかないところから仁王様寡黙とも称される。厳つい形相どおり峻厳な人物で、冗談が一切通じない。下手にギャグでも飛ばそうものなら'''こっちの首が飛ぶ。'''
   
どういう訳か与する勢力が全て負け組になってしまう上に、[[直江兼続#直江信綱殺害・直江家乗っ取り疑惑などについて|ミラヲタ系腐女子]]やからざる歴史家・歴史小説家・歴史ヲタクから敬遠、忌避、嘲笑、痛罵され、[[黄色い子はいらない子|いらない子]]扱いされているな人物である。
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どういう訳か与する勢力が全て負け組になってしまう上に、[[直江兼続#直江信綱殺害・直江家乗っ取り疑惑などについて|ミラヲタ系腐女子]]や数多くの偏狭で険介な歴史家・歴史小説家、歴史系アクションゲームをプレイしたり三文歴史小説や三文歴史トリビア本を数冊読んだだけで「自分は歴史通」とうぬぼれている歴女・歴史[[ヲタク]]といった連中からまるで底意地の悪い姑・小姑の嫁いびり以上に凄惨、陰湿かつ執拗な敬遠、忌避、嘲笑、揶揄、痛罵、[[エクストリーム・無視|無視]]され続けたり挙句の果ては弁当のプラスチック製ハランや[[黄色い子はいらない子|いらない子]]扱いされている日本歴史人物中で最も真の悲劇の人物である。<!--もっとも真面目話だが、キリストの言葉に「…人々があなたたちをののしり、あるいは責め、あるいは数々の讒言を言うとき、あなたたちは幸いである。(中略)なぜなら昔の証し人も同じように迫害されたのである。」と言う物があるのだから、上杉景勝という人物はかなり優れた人物であると断言できる。-->
   
織田軍の猛攻によって窮地に立たされながらも、[[本能寺の変]]勃発で窮地を脱したり、[[徳川家康]]に言い掛かりをつけられ征伐されそうになったり、関ヶ原で西軍に与したと看做されて米沢藩30万石に減封されながらもした大名として命脈を保つなどギリギリのところで生き残ったりする運が良いのか悪いのか良く分からない男でもある。恐らく[[チキンレース]]や綱渡りや[[ロシアンルーレット]]などが趣味か特技だったのかもしれない。
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しかし織田軍の猛攻によって窮地に立たされながらも、[[本能寺の変]]勃発で窮地を脱したり、[[徳川家康]]に言い掛かりをつけられ征伐されそうになったり、関ヶ原で西軍に与したと看做されて米沢藩30万石に減封されながらもした大名として命脈を保つなどギリギリのところで生き残ったりする運が良いのか悪いのか良く分からない男でもある。恐らく[[チキンレース]]や綱渡りや[[ロシアンルーレット]]などが趣味か特技だったのかもしれない。
   
 
ともあれひどく無口で無骨な人物であったことだけは確かであり、側にいるだけで胃に穴が空きかねない付き合いづらそうな人柄を思わせる。だがそれがいい。
 
ともあれひどく無口で無骨な人物であったことだけは確かであり、側にいるだけで胃に穴が空きかねない付き合いづらそうな人柄を思わせる。だがそれがいい。
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===景虎との相克===
 
===景虎との相克===
成人した景勝は謙信の養子となり、上杉家次代当主の候補の一人と取りざたされていた。他方、謙信にはもう一人養子がた。北条家から人質として送られてきた上杉景虎である。本名は氏秀だったり最近の研究でどうもそうじゃないことが明らかになったりして判然とせず、要するに北条の人質という以外たいして特筆するほどでもないどうでもいい人物だったのだが、眉目秀麗の精悍なイケメンであったため謙信や隠れジャニオタであった姉[[仙桃院]]寵愛されついには謙信の往昔の名である「景虎」の名を貰い、上杉景虎と名乗って彼もまた謙信の養子となった。景虎は容姿のみならず武芸の誉れ高く才知も煥発、人となりも颯爽としており、所謂優等生タイプの人物であったという。無愛想な仏頂面の景勝とはえらい違いで、急激に求心力獲得してゆき、景勝はその後塵を拝していた。兼続初め、景勝側近であ所謂「与板衆」呼ばれる<del>小ざかしい小才子の群れ</del>しきりに景勝に発破を掛けて景虎に先を越されいようにしたが、何か策を講じるわけでもなく、巌のように鎮座したまま無言を貫き通し、暖簾に腕押しの状態であった。
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成人した景勝は謙信の養子となり、上杉家次代当主の候補の一人と取りざたされていた。他方、謙信にはもう一人養子がた。北条家から人質として送られてきた上杉景虎である。本名は氏秀だったり最近の研究でどうもそうじゃないことが明らかになったりして判然とせず、要するに北条の人質という以外たいして特筆するほどでもない'''どうでもいい人物'''だったのだが、眉目秀麗の精悍なイケメンであること加え、武芸の誉れ高く才知も煥発、人となりも颯爽としており、所謂優等生タイプの人物演じだけ得意人物であったという
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景虎はその美貌と芝居にたらし込まれた謙信や隠れジャニオタであったその姉[[仙桃院]]に寵愛され、ついには謙信の往昔の名である「景虎」の名を貰い、上杉景虎と名乗って彼もまた謙信の養子となり、急激に家中の求心力と人望を獲得していった。無愛想な仏頂面のうえ、陰湿で愚鈍と周囲に誤解されていた景勝は今までちやほやしてくれていた叔父や母・姉たち(姉の一人は景虎夫人である)をはじめとする家中から手のひらを返すようにたちどころに「ウザい」「視界に入るな」と露骨にないがしろにされてしまい、景虎の後塵を拝することを余儀なくされていた。
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兼続を初めとする景勝子飼いの側近たちである「上田衆」と呼ばれる<del>小ざかしい小才子の群れ</del>はしきりに景勝に発破を掛けて景虎との差を少しでも大きくしないようにしたが、彼らにも現状を良くするための打開策がなんらあるわけでもなく、日に日に開いていく景虎と主君との格差を前になすすべもなく、いつの日か好機が訪れることを信じながら臥薪嘗胆の日々の中、巌のように鎮座したまま無言を貫き通すことしかできない八方ふさがりの状態であった。
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===家督継承===
 
===家督継承===
そんな最中、謙信が酒の呑み過ぎ&肴の梅干食いすぎによる塩分過剰摂取による脳卒中でポックリ突然死してしまう。とある史料によると便所で糞まみれになった状態ででんぐり返ってこと切れていたという。「軍神」と畏怖された男の最期にしてはあまりにみっともない。が、'''そんなことはどうでもいい。'''問題はその先である
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そんな最中、謙信が酒の呑み過ぎ&肴の梅干食いすぎによる塩分過剰摂取による脳卒中でポックリ突然死してしまう。とある史料によると便所で糞まみれになった状態ででんぐり返ってこと切れていたという。「軍神」と畏怖された男の最期にしてはあまりにみっともない。
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が、'''そんなことはどうでもいい。'''問題はその先である。
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謙信は唐突に他界したため、当然世継ぎを正式に選定しておらず、有力候補である景勝と景虎との間で御家騒動に発展した。いわゆる[[御館の乱]]である。景勝はこの内訌で権謀術数を駆使して景虎を降し、上杉家の領袖に収まることに成功する。尚、大河ドラマ「天地人」他、兼続、景勝を主役として描いた作品では「景勝の側に義があったから御舘の乱は景勝勝利に終わった」などと荒唐無稽なたわごとがほざかれているが、内訌を制したのは義などではなく'''銭'''と'''謀'''であることは言うまでもない。
   
謙信は唐突に他界したため、当然世継ぎを選定しておらず、有力候補である景勝と景虎との間で御家騒動に発展した。所謂[[御館の乱]]である。景勝はこの内訌で辛うじて景虎を降し、上杉家の領袖に収まることに成功する。尚、大河ドラマ「天地人」他、兼続、景勝を主役として描いた作品では「景勝の側に義があったから御舘の乱は景勝勝利に終わった」などとたわごとがほざかれているが、内訌を制したのは義などではなく'''銭'''であることは言うまでもない。
 
 
===織田家・北条家との死闘===
 
===織田家・北条家との死闘===
辛くも内乱を制した景勝だが一難去ってまた一難、破竹の勢いで北進する柴田勝家率いる織田軍、織田と内通して寝返った北越後の[[新発田重家]]御館の乱で滅ぼした景虎の実家である北条家に三方からの挟撃を食らう。程なく[[武田勝頼]]が滅ぼされて北信以南からも織田家が侵攻し、更に北からは[[蘆名盛隆]]までもが攻め入り景勝は文字通り八方塞の苦境に追い込まれた。しかし、織田信長が本能寺の変で頓死するという間抜けなアクシデントで涅槃の人になってしまったため窮地を脱する事となった。しかもその二年後には、北狄蘆名盛隆が男色のもつれからペニスを小太刀で斬りおとされてNice boat.な頓死を遂げるというこれまた上杉家にとって僥倖というべき椿事が起こっている。相次ぐ宿敵の死によって上杉家は完全に立て直しを計れた。父の変死、家督継承争いと不運続きであったが、ギリギリの所で運の良さが発揮するのが景勝という男の天性である。この「ギリギリのところで発揮される強運」はこの後も景勝、ひいては上杉家そのものの命綱となってゆく
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辛くも内乱を制した景勝だが一難去ってまた一難、破竹の勢いで北進する柴田勝家率いる織田軍、織田と内通して寝返った北越後の[[新発田重家]]御館の乱で滅ぼした景虎の実家である北条家に三方からの挟撃を食らう。程なく[[武田勝頼]]が滅ぼされて北信以南からも織田家が侵攻し、更に北からは[[蘆名盛隆]]までもが攻め入り景勝は文字通り八方塞の苦境に追い込まれた。しかし、織田信長が本能寺の変で頓死するという間抜けなアクシデントで涅槃の人になってしまったため窮地を脱する事となった。
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しかもその二年後には、北狄蘆名盛隆が男色のもつれからペニスを小太刀で斬りおとされてNice boat.な頓死を遂げるというこれまた上杉家にとって僥倖というべき椿事が起こっている。相次ぐ宿敵の死によって上杉家は完全に立て直しを計れた。父の変死、家督継承争いと不運続きであったが、ギリギリの所で運の良さが発揮するのが景勝という男の天性である。この「ギリギリのところで降臨する豪運」はこの後も景勝、ひいては上杉家そのものの命綱となってゆく。
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===会津転封===
 
===会津転封===
巻き返しを計る景勝はまず裏切り者の新発田重家を攻め滅ぼした。硬派な武人である重家は景勝の降伏勧告を頑なに拒み、居城の天守から景勝目掛けて放尿(ここでも景勝のが発揮され、ションベンはなぜか景勝に命中せとなりた[[色部顕長]]に命中した。顕長はションベンをぶっ掛けられたショックで間もなく病没した)して挑発した後、全身にダイナマイトを抱えて着火し天守閣ごと爆死するという壮絶な最期を遂げた。[[松永久秀|誰かさん]]のデジャヴュのような気もするが、その辺は[[誰も気にしない|気にしない]]。
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巻き返しを計る景勝はまず裏切り者の新発田重家を攻め滅ぼした。硬派な武人である重家は景勝の降伏勧告を頑なに拒み、居城の天守から景勝目掛けて放尿(ここでも景勝の運が発揮され、小水はなぜか景勝にしぶき一つすらかから、その隣た[[色部顕長]]に命中した。顕長は小水をぶっ掛けられたショックで間もなく病没した)して挑発した後、全身にダイナマイトを抱えて着火し天守閣ごと爆死するという壮絶な最期を遂げた。[[松永久秀|誰かさん]]のデジャヴュのような気もするが、その辺は[[誰も気にしない|気にしない]]。
   
 
新発田を滅ぼした後は甲斐・信濃、上野の占有権を巡り、北条、徳川と角逐し、幾度も合戦を交えた。この抗争の最中[[真田昌幸]]の次男[[真田幸村|幸村]]を人質として一時預かっている。景勝は幸村に「義」の精神を叩き込んだ。幸村も景勝の人柄に惚れこみ、信玄以外の人物を始めて「ウォヤカタサムァ!」と呼んだと言われている。上杉家の元培われた幸村の「義」の精神はその30年後[[大阪の陣]]で遺憾なく発揮されたが、その時伝授した側の上杉は徳川の犬となっていた。
 
新発田を滅ぼした後は甲斐・信濃、上野の占有権を巡り、北条、徳川と角逐し、幾度も合戦を交えた。この抗争の最中[[真田昌幸]]の次男[[真田幸村|幸村]]を人質として一時預かっている。景勝は幸村に「義」の精神を叩き込んだ。幸村も景勝の人柄に惚れこみ、信玄以外の人物を始めて「ウォヤカタサムァ!」と呼んだと言われている。上杉家の元培われた幸村の「義」の精神はその30年後[[大阪の陣]]で遺憾なく発揮されたが、その時伝授した側の上杉は徳川の犬となっていた。
   
数年に渡り北条、徳川と覇権争いをした景勝だが、やがて豊臣秀吉が破竹の勢いで西国を席巻すると済し崩し的にこれに恭順。小田原征伐に従軍したり、参謀兼続が[[伊達政宗]]と醜い餓鬼の喧嘩をやっているのを遠巻きに見たりしているうちに、いつの間にか越後を没収されて会津に左遷させられていた。佐渡銀山の私有化と上杉家と結束の深い越後の土豪、土民を乖離させるための政策の一環であったらしい。景勝はいつものように仏頂面で何も言わず秀吉の命令に従容と従ったが、一部の上杉家臣、それも結構な人数が「ヤダヤダ会津なんていくのやだ越後出てくのなんてヤダ」と暴れだしたので景勝は彼らを義によって成敗した。幸い、景勝が入植した会津は先代領主である[[蒲生氏郷]]によって整地されていたため統治にさほど難儀することはなかった。が、会津城下では氏郷を慕う人々の間で「景勝が会津の地ほしさに氏郷を殺した」などという根拠不明の流言蜚語が飛び交い、「義」を重んじる景勝としてはそのような噂が耳に入るのを大変悲嘆していたらしい。
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数年に渡り北条、徳川と覇権争いをした景勝だが、やがて豊臣秀吉が破竹の勢いで西国を席巻すると済し崩し的にこれに恭順。小田原征伐に従軍したり、参謀兼続が[[伊達政宗]]と醜い餓鬼の喧嘩をやっているのを遠巻きに見たりしているうちに、いつの間にか越後を没収されて会津に左遷させられていた。佐渡銀山の私有化と上杉家と結束の深い越後の土豪、土民を乖離させるための政策の一環であったらしい。景勝はいつものように仏頂面で何も言わず秀吉の命令に従容と従ったが、一部の上杉家臣、それも結構な人数が「ヤダヤダ会津なんていくのやだ越後出てくのなんてヤダヤダヤダ」と暴れだしたので景勝は彼らを義によって成敗した。幸い、景勝が入植した会津は先代領主である[[蒲生氏郷]]によって整地されていたため統治にさほど難儀することはなかった。が、会津城下では氏郷を慕う人々の間で「景勝が会津の地ほしさに氏郷を殺した」などという根拠不明の流言蜚語が飛び交い、「義」を重んじる景勝としてはそのような噂が耳に入るのを大変悲嘆していたらしい。
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===関ヶ原===
 
===関ヶ原===
秀吉が病没すると、水面下で蠢動していた[[徳川家康]]がいよいよ天下を我が手に収めんと躍動を初め、各大名の懐柔に乗り出し、また豊臣政権を骨抜きにする権謀術数を仕掛け始める。その過程で、上杉氏は家康によって色々言いがかりを付けられて征伐を受けることになる。家康は福島正則ら有力大名、諸将を糾合して北進、会津と目と鼻の先まで迫り万事休すと思われた時、西国で[[石田三成]]が呼応して挙兵、家康が三成を迎撃するべくUターンしたため虎口を脱した。
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秀吉が病没すると、水面下で蠢動していた[[徳川家康]]がいよいよ天下を我が手に収めんと躍動を初め、各大名の懐柔に乗り出し、また豊臣政権を骨抜きにする権謀術数を仕掛け始める。その過程で、上杉氏は家康によって色々言いがかりを付けられて征伐を受けることになる。家康は福島正則ら有力大名、諸将を糾合して北進、会津と目と鼻の先まで迫り万事休すと思われた時、西国で[[石田三成]]が挙兵したため、家康が三成を迎撃するべくUターンしたため虎口を脱した。
景勝のの強さが再び発揮されたのだ。
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景勝の運が再び発揮されたのだ。
   
何とか虎口を脱した景勝参謀の直江兼続が引き返す家康を南下して後ろから追撃すべきと提案するが、景勝は何故か南ではなく北に向かっ軍を進め、[[最上義光|出羽の狐]]や[[伊達政宗|DQN眼竜]]と合戦に及んだ。この一連の「奥州の関ヶ原」は史料によって政宗TUEEEEEEだったり[[本庄繁長]]がチート性能を発揮していたりで史料ごとに趨勢にかなり差異があるのだが、「有耶無耶のまま終わってしまった合戦」という点で一致している。どうも景勝はこの混乱に乗じて最終的には祖国越後を奪還したかったらしいのだが、結局失敗に終わった。
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何とか虎口を脱した景勝だが、この時参謀の直江兼続が引き返す家康を南下して後ろから追撃すべきと提案するが、景勝は侵攻しきた[[最上義光|出羽の狐]]や[[伊達政宗|DQN眼竜]]と対峙するべく北に向かって軍を進め、合戦に及んだ。この一連の「奥州の関ヶ原」は史料によって政宗TUEEEEEEだったり[[本庄繁長]]がチート性能を発揮していたりで史料ごとに趨勢に'''かなり'''差異があるのだが、「うやむやのまま終わってしまった合戦」という点で一致している。景勝はこの混乱に乗じて最終的には祖国越後を奪還したかったわれているのだが、結局失敗に終わった。
   
 
===晩年===
 
===晩年===
戦後の沙汰により、上杉家は西軍の一翼を担ったとして大幅に領土を削減され米沢30万石に押し込められた。が、参謀直江兼続と共に、石田三成と結託して西軍の中枢を担った景勝が、改易ではなく減封で済まされたのは実に運が良いと言うべきである。本能寺で窮地を脱して以来効力を見せてきた景勝の運が三度発揮された。
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戦後の沙汰により、上杉家は西軍の一翼を担ったとして大幅に領土を削減され米沢30万石に押し込められた。が、参謀直江兼続と共に、石田三成と結託して西軍の中枢を担った景勝が、改易ではなく減封(と正室・菊姫を人質として差し出すこと)で済まされたのは実に運が良いと言うべきである。本能寺で窮地を脱して以来効力を見せてきた景勝の奇妙な豪運が三度発揮された。
   
その後は兼続や本庄繁長らと共に領国経営と藩政の立て直しに尽力したが、完全に徳川の犬になり下がり、大阪の陣では東軍として参戦し旧主豊臣滅亡の一翼を担っている。「義、義」と口うるさく言っていた昔日の上杉義レンジャイの姿はどこにもなかった。
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その後は兼続や本庄繁長らと共に領国経営と藩政の立て直しに尽力したが、菊姫のいなくなった後(性的な意味で)可愛がっていた[[四辻氏|愛人の京女]]の色香に鼻の下が伸び切ったこともあって完全に徳川の犬になり下がり果て、大阪の陣では東軍として参戦し旧主豊臣滅亡の一翼を担っている。「義、義」と口うるさく言っていた昔日の上杉義レンジャイの姿はどこにもなかった。
   
 
1619年には懐刀の兼続が死んだ。マシンガントークが煩わしいあの小才子がようやく死んだと最初は安堵していた景勝だが、話相手がいなくなったことの寂寥感がじわじわと押し寄せ、気力を無くしたのだろうか、その4年後に逝去した。
 
1619年には懐刀の兼続が死んだ。マシンガントークが煩わしいあの小才子がようやく死んだと最初は安堵していた景勝だが、話相手がいなくなったことの寂寥感がじわじわと押し寄せ、気力を無くしたのだろうか、その4年後に逝去した。
   
 
今際の際、先に三途を渡った兼続から、「死ぬ時くらい笑ってください」と言われて、'''おぞましい笑みを浮かべながら'''亡くなったという身の毛のよだつ逸話がある。
 
今際の際、先に三途を渡った兼続から、「死ぬ時くらい笑ってください」と言われて、'''おぞましい笑みを浮かべながら'''亡くなったという身の毛のよだつ逸話がある。
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==人物==
 
==人物==
 
*とにかく無口であり必要最低限の事以外は一切喋らない。その為「ネタにしづらい」「ツッコミを入れ難い」と言う声が多い。
 
*とにかく無口であり必要最低限の事以外は一切喋らない。その為「ネタにしづらい」「ツッコミを入れ難い」と言う声が多い。
*正室は[[武田信玄]]の娘である菊姫だが、彼女との間に長らく世継ぎは生まれなかった。すると直江兼続が「世継が生まれないのは信玄の亡霊が祟っているからだ!」と決めけ、菊姫(の背後にいると兼続が思い込んでいる信玄の亡霊)に対して調伏を行った。菊姫は兼続のこの礼を失した振る舞いに憤慨し、以後二度と景勝と閨を共にしなかった…という逸話が『奥羽永慶軍記』にある。もしこの話が本当だとすれば、兼続は景勝の世継を「殺した」も同然の極悪人である。何故そんな男を重用したのか不思議としか言いようがない。
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*正室は[[武田信玄]]の娘である菊姫だが、彼女との間に世継ぎは生まれなかった。その原因は直江兼続が婚礼直後菊姫を「お前には信玄の亡霊と不運を呼ぶ摩利支天の呪い憑いている!」と決めけ、菊姫(の背後にいると兼続が思い込んでいる信玄の亡霊と摩利支天の呪い)に対して調伏を行った。菊姫は兼続のこの礼を失した振る舞いに憤慨し、生涯景勝と一切閨を共にしなかったからである…という逸話がゴシップ誌『奥羽永慶軍記』にある。もしこの話が本当だとすれば、兼続は'''景勝の世継を「殺した」も同然の極悪人である'''。何故そんな男を重用したのか不思議としか言いようがない。
 
*ある時、彼は[[ひよこ陛下]]に銅像と間違えられて顔に落書きされたが、怒ることはなかった。次に[[コロ助]]が銅像と見間違えてまた彼の顔に落書きしたが、彼はムスっとしただけで両名を咎めはしなかった。しかしこれを知った[[ジャイアン]]が同じように銅像と見間違えて(むろん故意にである)彼の顔に落書きした時には、彼はこの不埒者を'''一刀両断の元に斬り捨てた'''。この逸話を側近の[[直江兼続]]は'''「仏の顔も三度まで」'''との諺に例えている。
 
*ある時、彼は[[ひよこ陛下]]に銅像と間違えられて顔に落書きされたが、怒ることはなかった。次に[[コロ助]]が銅像と見間違えてまた彼の顔に落書きしたが、彼はムスっとしただけで両名を咎めはしなかった。しかしこれを知った[[ジャイアン]]が同じように銅像と見間違えて(むろん故意にである)彼の顔に落書きした時には、彼はこの不埒者を'''一刀両断の元に斬り捨てた'''。この逸話を側近の[[直江兼続]]は'''「仏の顔も三度まで」'''との諺に例えている。
 
*彼を笑わせようと何人もの芸人が彼の前で漫才を披露したが、一人も彼を笑わせることは出来なかった。そんな中[[出川哲朗]]氏が'''「くすぐらせりゃー簡単だろ」'''と言って景勝の脇の下を擽らんとするや、出川は景勝に'''一刀両断で成敗された'''。脇の下を擽るのは反則なのかと思われたが、実際には景勝はその際の出川の態度が気に食わなかっただけらしい。
 
*彼を笑わせようと何人もの芸人が彼の前で漫才を披露したが、一人も彼を笑わせることは出来なかった。そんな中[[出川哲朗]]氏が'''「くすぐらせりゃー簡単だろ」'''と言って景勝の脇の下を擽らんとするや、出川は景勝に'''一刀両断で成敗された'''。脇の下を擽るのは反則なのかと思われたが、実際には景勝はその際の出川の態度が気に食わなかっただけらしい。
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**「夫の敵打ちよ!」と意気込んで、[[キムチドラマ|韓国ドラマ]]や[[韓国]]マンセー映画の話をしつこく語り続け、余りの痛さに辟易した景勝の命により、上杉軍鉄砲隊隊員の射撃を受け、危うく射殺されるところだった。
 
**「夫の敵打ちよ!」と意気込んで、[[キムチドラマ|韓国ドラマ]]や[[韓国]]マンセー映画の話をしつこく語り続け、余りの痛さに辟易した景勝の命により、上杉軍鉄砲隊隊員の射撃を受け、危うく射殺されるところだった。
 
*[[福田康夫]]
 
*[[福田康夫]]
**[[チンパンジー]]としての沽券を賭けて[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ]]に対抗すべく、[[五星紅旗|例の赤い旗]]と人民服の[[コスプレ]]で上杉邸を訪れようとして「ふふん? 」と微笑みつつスキップで自宅の玄関を出た所を、ピンポイント爆撃で攻撃されてお陀仏となった。ちなみに景勝の好きな猿は日本猿である。
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**[[チンパンジー]]としての沽券を賭けて[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ]]に対抗すべく、[[五星紅旗|例の赤い旗]]と人民服の[[コスプレ]]で上杉邸を訪れようとして「ふふん」と微笑みつつスキップで自宅の玄関を出た所を、ピンポイント爆撃で攻撃されてお陀仏となった。ちなみに景勝の好きな猿は日本猿である。
 
*[[小沢一郎]]
 
*[[小沢一郎]]
 
**「何故か存在しているだけで奴が許せない」と問答無用で軒猿(上杉家の忍者)に半日ほど不眠不休で追いまわされ続けた。
 
**「何故か存在しているだけで奴が許せない」と問答無用で軒猿(上杉家の忍者)に半日ほど不眠不休で追いまわされ続けた。

2009年8月13日 (木) 15:01時点における版

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「上杉景勝」の項目を執筆しています。
「俺が死んだおかげで命拾いしたのだ!感謝しろよ!…それにしても本当にギリギリの所で生き残る奴だな」
上杉景勝 について、織田信長
「…あんた、少しは何か喋ったらどうだ?」
上杉景勝 について、クラウド・ストライフ
「殿様よ、一丁傾こうぜ!」
上杉景勝 について、前田慶次
「景勝公 (;´Д`)ハァハァ」
上杉景勝 について、直江兼続
「何とか言え!!信長を殺せと言っておるだろうが!!」
上杉景勝 について、足利義昭

テンプレート:語録 (山内一豊)

上杉 景勝(うえすぎ かげかつ、弘治元年11月27日1556年1月8日) - 元和9年3月20日1623年4月19日))は、戦国時代サムライ。 通称は喜平次。現代人からは直江兼続の付属品扱いされている。常に忿怒仏(ふんぬぶつ。例・不動明王など)のようにひどくおっかない威厳に満ちた形相をしており、黙っていると仁王像と見分けがつかないところから仁王様寡黙とも称される。厳つい形相どおり峻厳な人物で、冗談が一切通じない。下手にギャグでも飛ばそうものならこっちの首が飛ぶ。

どういう訳か与する勢力が全て負け組になってしまう上に、ミラヲタ系腐女子や数多くの偏狭で険介な歴史家・歴史小説家、歴史系アクションゲームをプレイしたり三文歴史小説や三文歴史トリビア本を数冊読んだだけで「自分は歴史通」とうぬぼれている歴女・歴史ヲタクといった連中からまるで底意地の悪い姑・小姑の嫁いびり以上に凄惨、陰湿かつ執拗な敬遠、忌避、嘲笑、揶揄、痛罵、無視され続けたり、挙句の果ては弁当のプラスチック製ハランやいらない子扱いされている日本歴史人物の中で最も真の悲劇の人物である。

しかし織田軍の猛攻によって窮地に立たされながらも、本能寺の変勃発で窮地を脱したり、徳川家康に言い掛かりをつけられ征伐されそうになったり、関ヶ原で西軍に与したと看做されて米沢藩30万石に減封されながらもした大名として命脈を保つなどギリギリのところで生き残ったりする運が良いのか悪いのか良く分からない男でもある。恐らくチキンレースや綱渡りやロシアンルーレットなどが趣味か特技だったのかもしれない。

ともあれひどく無口で無骨な人物であったことだけは確かであり、側にいるだけで胃に穴が空きかねない付き合いづらそうな人柄を思わせる。だがそれがいい。

生涯

少年時代

謙信公の後を継ぎ、上杉の当主となった景勝だが、謙信の実子ではない。というか謙信はおにゃのこもしくはふたなりであったのは確定的に明らかで、しかも生涯不貞を貫いた為当然子供が生まれることはなかった。景勝は謙信の姉仙桃院の子であり、謙信の甥に当たる。父は謙信の実家である長尾家の一族長尾政景だが、この政景は景勝が10歳にもならないころ変死を遂げている。広く世間に流布されている伝聞によると、謙信の懐刀である軍師宇佐美定満と一緒になってどうもヤクをやっていたらしく、ヤクに依存しすぎて心身を消耗し、ある日湖岸にかけられていた小船の上で二人揃って素っ裸のまま事切れていたというのである。また別の話では、定満とアナルセックスをしている最中二人とも腹上死したと伝わっている。いずれにせよ、尋常でない死に方をしたのは確かである。

この父親のショッキングな死が及ぼした精神的ショックが、景勝の寡黙で無骨で朴念仁な人格を培養したと言っても過言ではない。景勝は意地っ張りな所があり、父の死によって受けた動揺、悲嘆を他者に悟られまいとし、徹頭徹尾他者との意思疎通を拒み、一人武芸に励み、部屋で書物を読む引きこもり同然の生活を送っていた。憂慮した母の仙桃院が苦楽を共に分かち合え、胸襟を開いて心中を明かしあえる莫逆の友として育成するべく選りすぐりの小姓達を近侍させたのだが、皆景勝の憤怒の如き渋面を見るや否や怯懦して逃げ惑い全く使い物にならなかった。

しかし、そんな有象無象の小姓達の中で、唯一景勝の深淵な心の扉を開かせた男が居た。樋口与六、後の直江兼続である。互いに気脈が通じる所が合ったのか、兼続と景勝は意気投合し、水魚の交わるが如き莫逆の友となった。

景虎との相克

成人した景勝は謙信の養子となり、上杉家次代当主の候補の一人と取りざたされていた。他方、謙信にはもう一人養子がいた。北条家から人質として送られてきた上杉景虎である。本名は氏秀だったり最近の研究でどうもそうじゃないことが明らかになったりして判然とせず、要するに北条の人質という以外たいして特筆するほどでもないどうでもいい人物だったのだが、眉目秀麗の精悍なイケメンであることに加え、武芸の誉れ高く才知も煥発、人となりも颯爽としており、所謂優等生タイプの人物…を演じることだけは得意な人物であったという。

景虎はその美貌と芝居にたらし込まれた謙信や隠れジャニオタであったその姉仙桃院に寵愛され、ついには謙信の往昔の名である「景虎」の名を貰い、上杉景虎と名乗って彼もまた謙信の養子となり、急激に家中の求心力と人望を獲得していった。無愛想な仏頂面のうえ、陰湿で愚鈍と周囲に誤解されていた景勝は今までちやほやしてくれていた叔父や母・姉たち(姉の一人は景虎夫人である)をはじめとする家中から手のひらを返すようにたちどころに「ウザい」「視界に入るな」と露骨にないがしろにされてしまい、景虎の後塵を拝することを余儀なくされていた。

兼続を初めとする景勝子飼いの側近たちである「上田衆」と呼ばれる小ざかしい小才子の群れはしきりに景勝に発破を掛けて景虎との差を少しでも大きくしないようにしたが、彼らにも現状を良くするための打開策がなんらあるわけでもなく、日に日に開いていく景虎と主君との格差を前になすすべもなく、いつの日か好機が訪れることを信じながら臥薪嘗胆の日々の中、巌のように鎮座したまま無言を貫き通すことしかできない八方ふさがりの状態であった。

家督継承

そんな最中、謙信が酒の呑み過ぎ&肴の梅干食いすぎによる塩分過剰摂取による脳卒中でポックリ突然死してしまう。とある史料によると便所で糞まみれになった状態ででんぐり返ってこと切れていたという。「軍神」と畏怖された男の最期にしてはあまりにみっともない。

が、そんなことはどうでもいい。問題はその先である。

謙信は唐突に他界したため、当然世継ぎを正式に選定しておらず、有力候補である景勝と景虎との間で御家騒動に発展した。いわゆる御館の乱である。景勝はこの内訌で権謀術数を駆使して景虎を降し、上杉家の領袖に収まることに成功する。尚、大河ドラマ「天地人」他、兼続、景勝を主役として描いた作品では「景勝の側に義があったから御舘の乱は景勝勝利に終わった」などと荒唐無稽なたわごとがほざかれているが、内訌を制したのは義などではなくであることは言うまでもない。

織田家・北条家との死闘

辛くも内乱を制した景勝だが一難去ってまた一難、破竹の勢いで北進する柴田勝家率いる織田軍、織田と内通して寝返った北越後の新発田重家御館の乱で滅ぼした景虎の実家である北条家に三方からの挟撃を食らう。程なく武田勝頼が滅ぼされて北信以南からも織田家が侵攻し、更に北からは蘆名盛隆までもが攻め入り景勝は文字通り八方塞の苦境に追い込まれた。しかし、織田信長が本能寺の変で頓死するという間抜けなアクシデントで涅槃の人になってしまったため窮地を脱する事となった。

しかもその二年後には、北狄蘆名盛隆が男色のもつれからペニスを小太刀で斬りおとされてNice boat.な頓死を遂げるというこれまた上杉家にとって僥倖というべき椿事が起こっている。相次ぐ宿敵の死によって上杉家は完全に立て直しを計れた。父の変死、家督継承争いと不運続きであったが、ギリギリの所で運の良さが発揮するのが景勝という男の天性である。この「ギリギリのところで降臨する豪運」はこの後も景勝、ひいては上杉家そのものの命綱となってゆく。

会津転封

巻き返しを計る景勝はまず裏切り者の新発田重家を攻め滅ぼした。硬派な武人である重家は景勝の降伏勧告を頑なに拒み、居城の天守から景勝目掛けて放尿(ここでも景勝の豪運が発揮され、小水はなぜか景勝にしぶき一つすらかからず、その隣にいた色部顕長に命中した。顕長は小水をぶっ掛けられたショックで間もなく病没した)して挑発した後、全身にダイナマイトを抱えて着火し天守閣ごと爆死するという壮絶な最期を遂げた。誰かさんのデジャヴュのような気もするが、その辺は気にしない

新発田を滅ぼした後は甲斐・信濃、上野の占有権を巡り、北条、徳川と角逐し、幾度も合戦を交えた。この抗争の最中真田昌幸の次男幸村を人質として一時預かっている。景勝は幸村に「義」の精神を叩き込んだ。幸村も景勝の人柄に惚れこみ、信玄以外の人物を始めて「ウォヤカタサムァ!」と呼んだと言われている。上杉家の元培われた幸村の「義」の精神はその30年後大阪の陣で遺憾なく発揮されたが、その時伝授した側の上杉は徳川の犬となっていた。

数年に渡り北条、徳川と覇権争いをした景勝だが、やがて豊臣秀吉が破竹の勢いで西国を席巻すると済し崩し的にこれに恭順。小田原征伐に従軍したり、参謀兼続が伊達政宗と醜い餓鬼の喧嘩をやっているのを遠巻きに見たりしているうちに、いつの間にか越後を没収されて会津に左遷させられていた。佐渡銀山の私有化と上杉家と結束の深い越後の土豪、土民を乖離させるための政策の一環であったらしい。景勝はいつものように仏頂面で何も言わず秀吉の命令に従容と従ったが、一部の上杉家臣、それも結構な人数が「ヤダヤダ会津なんていくのやだ越後出てくのなんてヤダヤダヤダ」と暴れだしたので景勝は彼らを義によって成敗した。幸い、景勝が入植した会津は先代領主である蒲生氏郷によって整地されていたため統治にさほど難儀することはなかった。が、会津城下では氏郷を慕う人々の間で「景勝が会津の地ほしさに氏郷を殺した」などという根拠不明の流言蜚語が飛び交い、「義」を重んじる景勝としてはそのような噂が耳に入るのを大変悲嘆していたらしい。

関ヶ原

秀吉が病没すると、水面下で蠢動していた徳川家康がいよいよ天下を我が手に収めんと躍動を初め、各大名の懐柔に乗り出し、また豊臣政権を骨抜きにする権謀術数を仕掛け始める。その過程で、上杉氏は家康によって色々言いがかりを付けられて征伐を受けることになる。家康は福島正則ら有力大名、諸将を糾合して北進、会津と目と鼻の先まで迫り万事休すと思われた時、西国で石田三成が挙兵したため、家康が三成を迎撃するべくUターンしたため虎口を脱した。 景勝の豪運が再び発揮されたのだ。

何とか虎口を脱した景勝だが、この時参謀の直江兼続が引き返す家康を南下して後ろから追撃すべきと提案するが、景勝は侵攻してきた出羽の狐DQN眼竜と対峙するべく北に向かって軍を進め、合戦に及んだ。この一連の「奥州の関ヶ原」は史料によって政宗TUEEEEEEだったり本庄繁長がチート性能を発揮していたりで史料ごとに趨勢にかなり差異があるのだが、「うやむやのまま終わってしまった合戦」という点で一致している。景勝はこの混乱に乗じて最終的には祖国越後を奪還したかったといわれているのだが、結局失敗に終わった。

晩年

戦後の沙汰により、上杉家は西軍の一翼を担ったとして大幅に領土を削減され米沢30万石に押し込められた。が、参謀直江兼続と共に、石田三成と結託して西軍の中枢を担った景勝が、改易ではなく減封(と正室・菊姫を人質として差し出すこと)で済まされたのは実に運が良いと言うべきである。本能寺で窮地を脱して以来効力を見せてきた景勝の奇妙な豪運が三度発揮された。

その後は兼続や本庄繁長らと共に領国経営と藩政の立て直しに尽力したが、菊姫のいなくなった後(性的な意味で)可愛がっていた愛人の京女の色香に鼻の下が伸び切ったこともあって完全に徳川の犬になり下がり果て、大阪の陣では東軍として参戦し旧主豊臣滅亡の一翼を担っている。「義、義」と口うるさく言っていた昔日の上杉義レンジャイの姿はどこにもなかった。

1619年には懐刀の兼続が死んだ。マシンガントークが煩わしいあの小才子がようやく死んだと最初は安堵していた景勝だが、話相手がいなくなったことの寂寥感がじわじわと押し寄せ、気力を無くしたのだろうか、その4年後に逝去した。

今際の際、先に三途を渡った兼続から、「死ぬ時くらい笑ってください」と言われて、おぞましい笑みを浮かべながら亡くなったという身の毛のよだつ逸話がある。

人物

  • とにかく無口であり必要最低限の事以外は一切喋らない。その為「ネタにしづらい」「ツッコミを入れ難い」と言う声が多い。
  • 正室は武田信玄の娘である菊姫だが、彼女との間に世継ぎは生まれなかった。その原因は直江兼続が婚礼直後の菊姫を「お前には信玄の亡霊と不運を呼ぶ摩利支天の呪いが憑いている!」と決めつけ、菊姫(の背後にいると兼続が思い込んでいる信玄の亡霊と摩利支天の呪い)に対して調伏を行った。菊姫は兼続のこの礼を失した振る舞いに憤慨し、生涯景勝と一切閨を共にしなかったからである…という逸話がゴシップ誌『奥羽永慶軍記』にある。もしこの話が本当だとすれば、兼続は景勝の世継を「殺した」も同然の極悪人である。何故そんな男を重用したのか不思議としか言いようがない。
  • ある時、彼はひよこ陛下に銅像と間違えられて顔に落書きされたが、怒ることはなかった。次にコロ助が銅像と見間違えてまた彼の顔に落書きしたが、彼はムスっとしただけで両名を咎めはしなかった。しかしこれを知ったジャイアンが同じように銅像と見間違えて(むろん故意にである)彼の顔に落書きした時には、彼はこの不埒者を一刀両断の元に斬り捨てた。この逸話を側近の直江兼続「仏の顔も三度まで」との諺に例えている。
  • 彼を笑わせようと何人もの芸人が彼の前で漫才を披露したが、一人も彼を笑わせることは出来なかった。そんな中出川哲朗氏が「くすぐらせりゃー簡単だろ」と言って景勝の脇の下を擽らんとするや、出川は景勝に一刀両断で成敗された。脇の下を擽るのは反則なのかと思われたが、実際には景勝はその際の出川の態度が気に食わなかっただけらしい。
  • しかし、彼の愛妻・菊姫と兼続だけは容易に景勝を笑わせることが出来る。この件は「日本七不思議」候補に挙げられているらしい。
  • 彼にパイを投げつけた場合、機嫌のいい時は無視され、機嫌の悪い時は一刀両断される。もちろん投げつけられたパイは、彼の機嫌の良し悪しにかかわらず一刀両断の元に斬り捨てられ、パイクリームの一滴はおろか、かけら1つすら彼に当たることは無い。
  • 景勝に睨まれると大人でも恐怖の余り卒倒してしまうか、さもなくば失禁してしまう。
  • 叔母の謙信ちゃん検閲により削除関係にあったという噂があるが、真相は景勝と謙信ちゃん、そしてXXXXX兼続のみが知る秘密である。
  • 景勝にとってはアンサイクロペディアの99%は退屈な記事である。しかし君は牛を二頭持っている。の項目を見た時は爆笑したという。
  • 緑のカラービキニ(純国産シルク製)を愛用している。関ヶ原の後、伊達政宗が景勝への萌え心とフェチ心、そして興味と検閲により削除な想いが募る余り、忍びの者を景勝の屋敷に忍び込ませて景勝の下着を奪い、景勝は緑のカラービキニ(純国産シルク製)を着用していると言う事実を日本中に大々的に暴露した。これを知った兼続は「政宗許すまじ!!」と烈火の如く激怒したが、景勝は乙女の如く恥ずかしそうに赤面しただけだったと言う。ちなみに兼続の下着は白木綿製の六尺褌である。そしてhydeの身長は156cm

景勝を笑わせようとした人々とその華麗なる軌跡

  • 明石家さんま
    • 出てくるたびにお茶の間の笑いを掻っ攫うさんまも、「無駄に話が長い上に下品で不愉快」の一言と共に景勝に一蹴された。
  • 笑点の皆さん
    • 全員座布団1枚も貰えなかったばかりか、手持ちの座布団まで没収された。
  • モノウ・ルッテレ・ベルジャネーゾ
    • 渾身の一発ネタ「漫才ってレベルじゃねーぞ!!」を披露したが景勝は微動だにしなかった。
  • 鉄拳
    • 「こんな上杉景勝は嫌だ!」ネタで笑わせようとしたが逆に景勝の機嫌を損ねてしまったようだ。
  • ウィキペディアン
    • 頭の固い専門家気取りのウィキペディアン共は笑わせようとするどころか、逆に景勝の評価だの戦術だの毀誉褒貶だのをしたり顔で語り始め、景勝を呆れさせた。
  • 豊臣秀吉
    • 「サル」だけに猿芝居を披露したが、あまりにヘタ過ぎる芝居だった為強制退去させられた。
  • 山内一豊
    • 景勝を笑わせれば有名になれると思った一豊は秘蔵の漫才を披露したが存在自体を無視された。
  • 周の幽王
    • 狼煙を上げて嘘の緊急招集を発し、全ての上杉軍将兵を景勝の元に集結させたが、「お前の妻と同じ手には乗らぬ」と却下された。
  • ジョン・F・ケネディビル・クリントン
    • 空気を全く読まないばかりかそもそも空気を全く読めない上にミーハーな彼らは、景勝の子孫の上杉鷹山を褒めちぎる一方、これと比較して景勝を散々クサしため、ブチ切れた変態陰陽師による強烈な飛蹴りと大量のおぞましい凄まじい呪詛を食らい、2人仲良くフルボッコとなって撃沈した。
  • ジョージ・ブッシュジョージ・ウォーカー・ブッシュ
    • 「ギャグがダメならまともな話さすべぇ」という安易な発想で、ピューリタニズム説話をテキサス訛りで語り続けたが、彼らが気づいた時には景勝はとっくの昔にその場から退出していた。
  • 安倍晋三
    • 「何故か存在しているだけで苛々する」と問答無用で玄関から追い出された。
  • 安倍昭恵
    • 「夫の敵打ちよ!」と意気込んで、韓国ドラマ韓国マンセー映画の話をしつこく語り続け、余りの痛さに辟易した景勝の命により、上杉軍鉄砲隊隊員の射撃を受け、危うく射殺されるところだった。
  • 福田康夫
    • チンパンジーとしての沽券を賭けてブッシュに対抗すべく、例の赤い旗と人民服のコスプレで上杉邸を訪れようとして「ふふん」と微笑みつつスキップで自宅の玄関を出た所を、ピンポイント爆撃で攻撃されてお陀仏となった。ちなみに景勝の好きな猿は日本猿である。
  • 小沢一郎
    • 「何故か存在しているだけで奴が許せない」と問答無用で軒猿(上杉家の忍者)に半日ほど不眠不休で追いまわされ続けた。
  • 鳩山由紀夫
    • 「鳩」だけに即効上杉軍鉄砲隊隊員の集中砲火を浴び、豆鉄砲を食らわされたような顔で退散した。
  • 麻生太郎
    • 執拗で陰湿なアンチの工作により、世間からいらない子扱いされ、忌み嫌われてフルボッコに叩かれているという境遇にある者同士で意気投合した模様。むろん笑い一つない愚痴のこぼし合いである。
  • 花ヶ前盛明火坂雅志楠戸義昭愉快な仲間たち
    • 花ヶ前氏は景虎信者から猛烈なマンセー支持を受ける作文論文を書き、景勝信者たちをファビョらせている(もっとも花ヶ前氏のご先祖は景虎側についたばかりに景勝によって越後を追放されて長年に渡って北陸を流浪し、景勝の会津転封後にようやく越後に戻れたのだから、景勝を憎悪かつ侮蔑するのも当然だが。※実話)。
    • 火坂氏は病的かつ原理主義的な謙信&兼続マンセー(むしろ謙信&兼続 し か 見えていない)の果てにとち狂ったヘタレな作文で見事に両方をファビョらせている。また、花ヶ前氏の友人(※本当)である彼は、「美男で優秀な景虎」「醜男で凡庸な景勝」という描写も作文に欠かさず盛り込み、景勝信者のファビョり狂いに一層油を注ぐという、友に対する美しい友情と敬意も見せている。
    • 超つきの姫萌えである楠戸氏は景勝の愛妻・菊姫に病的に萌える余り、「僕の菊姫タンを景勝の鬼畜野郎が冷遇した!」「貧乏公家の下男の娘を孕ませて菊姫タンを悲しませて自殺させた!」「おのれ!鬼畜景勝と自称四辻の娘の糞ビッチめっ!てめえらのやったこの悪事はこの僕の人生を賭けても絶対風化させないからな!!」と脳内幻想で本人がファビョりまくり、そのおどろおどろしくも過激で極端な恨(ハン)の篭りまくった妄想の書きつけ幻想作文を「史実」と偽って方々に大量散布している。誰か景勝信者が猛烈に嬉し泣きして喜ぶ文章を書く歴史家や歴史作家はいないのか、本気で。
    • 空気を全く読めなくなるほど極端に熱烈な謙信・兼続・菊姫ファンかつ気違い同然の極端に凄まじいアンチ景勝である彼らは、景勝を完全に無視して、自分たちのいる方へまっしぐらに向かったのを不審に思って問いただした謙信・兼続に、
      あんな糞ボンクラ、存在自体が日本、いや全人類の恥かつ大罪だから最初から存在しない物として扱うのは当然ですよ。あなた様方も早急にアイツをぶっ殺すか縁切りして追い出してしまいなさい
      と答え、さらにたまたま居合わせた菊姫に、
      あなた様のような素晴らしい女性があんな愚劣で鬼畜で冷酷な人でなしの妻だなんて勿体なさ過ぎます。今すぐにでも離婚して慰謝料たんまりせしめてアイツを追い出しなさい
      と言い、余りにも酷過ぎる景勝に対する罵詈雑言と暴言に激怒した謙信・兼続・菊姫らに極めて暴力的かつ残酷なシーンにつき削除
    • なお、これに先立って楠戸氏は「平民の分際で菊姫タンのハートを最も傷つけた糞鬼畜」と日ごろから憎悪し続けてやまない景勝の側室・四辻氏を禁則事項ですしようとして、血眼で邸内中の下女部屋や侍女の居室を探したが放送時間の都合上カットいたします。
  • 小松江里子
    • 余りにも酷いドラマの出来に堪忍袋の緒が切れた上杉家はもとより、怒りに燃える他家の皆さん総出により、問答無用で命の次に大事な韓国ドラマDVDコレクションを眼前で全て叩き割られた上、諸藩の鉄砲隊と弓隊による集中砲火を浴びせられ、蜂の巣どころかグロにつき削除状態で殺害された。
  • 毎日新聞
    • 「菊姫は徳川家康と連日のようにチョメチョメしまくっている淫乱女」「菊姫は毎日どころか一日中誰彼構わずアーン♥♥しないと生きていけないビッチ」などと景勝の愛妻に対する事実無根の中傷記事を書いて世界中に発信したため極めて暴力的かつ残酷なシーンにつき削除

関連項目

FF5girugamessyu.jpg 間に合った!このまま「上杉景勝」を加筆しなかったら、
どうしようもない記事のまま歴史に残っちまうからな! (Portal:スタブ)